第421話

 魔導書グリモワールの蛇神祭祀書に手をふれたザルレーとヴァリアンという青年たちは、故郷のフェルベーク伯爵領で若者たちに支持を受けている評判から、元老院の議員のメンバーとして抜擢された。


 踊り子アルバータがフェルベーク伯爵領からロンダール伯爵領へ、ゴーディエ男爵を追跡するように旅立ったあと、元老院の四卿たちと何度もザルレーとヴァリアンは議論して、支持者を増やしていった。


「この酒がこの世で一番、美味であるという者がいる。しかし、本当に美味なる酒を知らないから、この酒を美味であると言えるのだと主張する者もいる。我々は、そのどちらも正しいと考える。君たちはどう考えるのかね?」


 この四卿の質問は、弱者を奴隷にしようという考えであっても、弱者に仕事を与え我々が救うと言い換えれば、素晴らしい考えであるように伝えることができると主張しているのと変わらない。

 美味という価値観は、人それぞれだという考えを平等に認めているかに思わせておいて、全ての判断基準は人によって異なるので、正義も悪も絶対的な尺度はなく統治する者たちが決めることが許されているという主張なのである。


「酒を飲めば、翌日にひどく頭痛や気分を悪くなる人からすれば、食事には水を一緒に飲むほうが幸せと言い、美味か不味いかという考えに、不要なものと言うでしょう」


 ヴァリアンはそう答えてみせた。

 美味か不味いかは、酒は誰でも飲むものであるという前提があってこそであって、その前提を疑うことができなくさせる質問だと言っているのである。


「必要か、それとも不要なものなのか。それは話し合える。美味とは何か、どんな幸せなのかを、私たちは博識な貴方たちに問いたい」


 ザルレーの質問に四卿は顔を見合せて酒杯にそれぞれ、考えているふりをするために口をつけて、時間稼ぎをした。


「美味であるということは、不味いものや、とても口にできない味のものを知らなければわかるまい」

「必要か、不要なものかで言えば、不要なものばかりではないかな」

「どんな酒を飲むことができるか、酒を買い求め、飲み比べることができるという者でなければ話にならぬ」

「人それぞれの美味を認め合うのは、悪いことではあるまい」


 元老院の四卿たちはザルレーとヴァリアンにそう語ると笑みを作ってみせた。

 正確には、四卿と若き議員のザルレーとヴァリアンが宴の席でどのように四卿の考えに追従するのかに注目している参列者たちに、我々は余裕があると見せつけるためである。


「貴方たちにとって、美味とは、甘いのか、しょっぱいのか、からいのか、良い香りがするのか、それぞれの好みについて答えていただければ、こちらとしても酒以外の美味なものについて語り合えるのですが」

「ヴァリアン、美味ということではなく酒を口にすることができることが裕福であると他人に誇れることだと、四卿はおっしゃっているようだ」


 人それぞれの価値観があり、基準も人それぞれ異なっていると認めて、だから自分たちの主張は正しいと別の話でも、自分たちの主張は正しい主張なのだと思わせるのが、四卿がお得意の説得の手口なのである。


 そこでルゥラの都の酒は美味と追従して、酒杯を飲み干し、おかわりするのが無難に四卿に逆らわないでこの場の雰囲気に合わせることで、四卿から嫌われないで済むと、宴に呼ばれている者たちは思っている。


「ひどく飲み過ぎた翌朝に、喉が渇いて目を覚ました時の水の一杯は格別に美味しい」


 ヴァリアンはそう言って、酒杯の酒を一口飲んだ。

 ザルレーは、酒は苦手な体質で、すぐに酔って吐き気に辟易するので、酒杯に手をつけていない。


 ザルレーが最初の乾杯以外は、酒に手をつけていないのを見て、意地悪するつもりで、四卿はわざと酒が美味であるという話題を二人にしている。


「何を体が求めているか、何が必要なのかによって、美味しいと感じるものはちがうものではありませんか?」


 ザルレーに四卿は質問を返されて、笑顔が消えて顔を見合せている。


 平等にどの意見も尊重しているふりをしている四卿たちは、ザルレーが食事をしやすいように水の入った杯を命じて用意させた。


「何が美味しいものなのか、私たちは、わかっていないのです。慣れたものが安心できるので、慣れていないものを口にした時は奇妙な味と感じることが多いと思います。また、他人から美味であると聞けば、そんな気がするものです」


 ヴァリアンは機嫌が悪くなければ、ザルレーよりも饒舌なのである。


 四卿としてはフェルベーク伯爵の影武者の一件を、元老院の議員でもこの二人を特別待遇にすることを引き換えに黙っておいてもらいたいという考えがある。


「ご配慮、感謝致します。私たちは、貴方たちとも、それぞれが何を求めているのか、一緒に考えてゆきたい」


 水を飲んだザルレーが作り笑いが苦手なので、表情はそのまま崩さずに四卿たちの顔を見渡してそう言った。


 民衆が何を求めているのか、ザルレーとヴァリアンは地位を与えられ、二人で考えてみる日々が続いている。


 ザルレーとヴァリアンが美青年でなければ、四卿は宴の場からこの二人を外すか、自分たちが席を外していただろう。


 絶対的な善悪の基準がなければ、法律を決めることはできない。人それぞれの生き方があると言って、好き勝手に生きて他人を虐げていれば、共存していくことは難しくなる。


 ルゥラの都では選ばれた一握りの強者となるためのコツを、ザルレーとヴァリアンに聞きに来る人が少なくなかった。 


 四卿の統治する伯爵領では、民衆はこうあるべきという判断基準を持っていなかった。

 ただ地位のある人物に逆らうことは、罪人にされがちということを子供の時から見せつけられて育ち、従順なふりをし続けてきたまま大人になった都の住人たちなので、考えないようにして他人と合わせるというのが常識となっている。


 ザルレーとヴァリアンは、闘技場の勝ち負けの話を、コツを聞きに来た人たちに語って聞かせた。


 勝ち続けることを毎日、繰り返しているうちに、負けた者たちのことを蔑み、自分には実力や観客からの人気があると油断していると、隙を突かれて思わぬ負傷をすることや死ぬことが奴隷闘士スレイブ・バトラーにはある。


 安全に完璧な勝つ方法はないと考えている者は勝つことを目標とせずに、生き残ることを目標にしている。

 毎日、どの相手と戦うことになったとしても降伏して生き残る覚悟が必要であること。戦うことを途中で放棄しても、がむしゃらに死ぬまで戦ったとしても、それは生き残るためにしていることだと考えた者だけが、無事に生き残ることができる。


「死ぬことを避ける目標を忘れたら、勝ち負けにこだわりすぎて、過信や油断だけでなく、戦い方に癖ができる。その癖の隙を突かれたら負ける」


 だから、毎日、幸せだと思えるのを目標にして、何が自分にとって幸せな瞬間はどんな時かをよく考えてみることが大切なコツだと、ザルレーとヴァリアンは教えた。


 それが同じ瞬間だと思える人と出会えたとしたら、心が一つになったような至福の時間があると。


 一握りの強者になったとしても、その強者であることを失う怖さがつきまとい不安を抱えることになる。

 戦い続けることから逃げてもいい。

 勝つことだけが幸せを感じる方法ではないと気がつくことができる。


 勝ち負けでなく、引き分けに持ち込むのが一番難しい。

「しかし、やりがいがある」とザルレーが、コツを聞きに来た相談者が帰ったあとで、ヴァリアンに言った。



 

++++++++++++++

 

お読みくださりありがとうございます。

「面白かった」

「続きが気になる」

「更新頑張れ!」


と思っていただけましたら、★をつけて評価いただけると励みになります。

 





 


 




 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る