第402話

 アルテリスが何をしようとしているのか、ストラウク伯爵、賢者マキシミリアン、そして、シン・リーは予想がついていた。


 飛びかかってきたゴーディエにアルテリスは目を閉じて、無造作に立っているように、武術の心得がない者が見たら思うだろう。


 勝負は一瞬であった。

 アルテリスは開いた両手を前方に突き出した。

 開いた両手が、ヴァンピールのゴーディエ男爵の両胸のあたりにふれた。


 ゴーディエ男爵の動きが止まり、そのままうつ伏せに倒れた。

 気絶したので、もう起き上がってこなかった。


 アルテリスが目を開いて、ふぅっ、と大きく息を吐き出した。

 アルテリスも緊張して少し汗ばんだ体の火照りに、吹いてきた風が心地良かった。


 アルテリスは、突き出した両手から発勁はっけいで、自分のプラーナを叩き込んだのであった。


 念力や念動力は、かなり打撃など物理的な力にプラーナを変換して発動させがちである。

 しかし、シン・リーの目の前でアルテリスが見せた発勁は、それよりも相手の心に影響を与える。


 発勁を放つ時、アルテリスには殺気と言われるような敵意や怒りのような感情はない。

 むしろ、相手を全て許して受け入れるような慈悲や愛情に近い感情を目を閉じながら胸に抱いていた。


 ストラウク伯爵がアルテリスに教えた無我の境地にはまだ遠いけれど、アルテリスなりの境地に達している。


 ゴーディエは強烈な憎悪や怒りで、クンダリーニをブラーナに変えて、ヴァンピールの魔性に肉体が変化するようなチャクラの使い方をした。


 その憎悪や怒りのは異質のそれらを受け入れて、なお愛する慈悲の感情で練られた気=プラーナで相手を包み込むような力をアルテリスは、ゴーディエが飛びかかるまでのわずかな時間で思い浮かべたのである。


 どれだけ荒々しい力もそれを受け入れて愛する女性の感情――母性本能といわれるものを放つ発勁。

 憎悪や怒りを鎮める力に、ゴーディエ男爵の変化は解けていく。


「あっ、猫、ちょっと来い!」

「やれやれ、踏みつけた時に手加減をせぬからそうなる」


 ゴーディエ男爵の肋骨を踏みつけてひびを入れてしまったのを、アルテリスは発勁でプラーナを叩き込んだ時、息苦しさを感じ取っていた。


 シン・リーが人の姿に戻ったゴーディエの背中を小さな前足の肉珠で、マッサージでもするように、もみもみと踏んで治癒の術を施している間、アルテリスもしゃがみこんで、子供の寝顔のような表情で気絶しているゴーディエの頬のあたりを指でつついて、彼女なりに心配していた。


 アルテリスとしては、怯えられながら攻撃されるよりは、清々しく潔い攻撃だったと思う。

 それに、ゴーディエのプラーナに自分のプラーナを叩き込んで、アルテリスに対しての激しい欲情のようなものも混ざっていたのも感じ取っていた。


 とても興奮して、激しい交わりを求められたような感じもする。


(まあ、あたいは優しい美人だけど、あたいには、もう心に決めた素敵な旦那様がいるから、あきらめてもらわないとな~)


 まんざら悪い気はしていないアルテリスなのであった。


 ヴァンピールとして、たしかにこれほど激しく相手を宿敵と認めて、激情に突き動かされたことは、ゴーディエにはなかった。

 ヴァンピールが普通の欲情とは異質の本能として、強いプラーナを宿した子孫を実に宿らせ産ませられるかもしれない相手として、獣人族でもかなり強いアルテリスに激情を起こして、ヴァンピールの魔性が呼び覚まされることは、ゴーディエも、またアルテリス自身にもわかっていなかった。


 言ってわからないやつには、こぶしでわからせるしかないという、アルテリスのちょっと過激な考え方がある。


 それは、恋をするのも命がけの戦乱の時代の考え方で、ゴーディエが自分の生き方に自信がないからといって、相手から惚れられていて一生懸命なのもわかっているのに「どうでもいい」と言った態度は、卑怯者のようにアルテリスには思えた。


 明日には戦で命を落とすかもしれなくても、今、生きている瞬間の心に素直に熱く生きるのが、アルテリスがいた戦乱の時代の人の生き方なのだった。


 あとは、アルテリス自身の性格が関係している。彼女は自分が惚れた相手には一途で、大胆なぐらい積極的なところがある。

 自分が惚れていない相手には、いくら相手が積極的でも、誤解させないぐらい拒絶する。


▶▶▶


 恋愛に対する考えかたは、それぞれちがっているけれど、その人の人生の状況によってちがいがある。


 恋のひとつでもしていなければ、孤独感が強かったり、心が絶望に押しつぶされてしまいそうな時だってある。


 人生が安泰で、なにも不安を感じない気楽な時の恋と、人生にあれこれ迷いがあって、また生きずらさを感じている人生の恋は、相手を求める切実さや情熱がちがう。


 他人との競争が当たり前で、孤独感が強い時代。

 さらに成果主義で、結果が出せないのは、努力が足りない自分が悪いと他人からも非難中傷されていると感じることで自己嫌悪から自分の心が落ち着けるために、卵みたいに心を守る殻が必要だと思えるほど孤独感を感じている。


 命がけの死が身近な時代には、心を守るために他人の集まりの中で孤立する選択は、致命的となる選択となる。


 生きるために誰もが、経済的な競争に巻き込まれて激化していて、下手に同情すれば、他人から助けて下さいと根こそぎ財産を奪われるのではないかと警戒すらしているのが当たり前の考えとなっているのと、戦で命の奪い合いをしている時の不安は、似ているところもある。


 戦ではどの勢力の集団に身を置いているか、いかに協調性が他人から認められて、孤立しないことが重要になる。


 アルテリスは、もともとは一匹狼の傭兵で、その強さゆえに、どの部隊からも重宝されるが、逆に警戒されて受け入れてもらえないこともあった。


 アルテリスは、自分の戦闘力の強さしか見ない利用しようとするか怯える人たちを、信用することはできなかった。


 彼女の惚れたテスティーノ伯爵は、アルテリスの戦闘力を認めているけれど、特別な一人の優しい愛すべき女性としか思っていない。アルテリスは、戦で直感力を磨き、また感応力が強く、他人の心がよくわかる。


 アルテリスという人物は、こういう人物であると決めつけて考える相手は、あまり好きではない。

 だから、熱烈に強さをアピールして迫られてもヴァンピールのゴーディエにアルテリスは惚れたりしない。


 ただ、ゴーディエが、はぐれてしまったと感じている人で、心の底に孤独感を抱いているのには同情したのだった。


 ゴーディエはヴァンピールであることが世界の中で特別だと思い込んでしまっていた。

 しかし、他にも特別な人物たちがたくさんいることや、凡人だということを、この戦いの身の痛みを持って教えられたのだった。




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