第397話
最近、妻の様子がおかしい。
携帯電話のロックをかけるようになった。これだけなら、最近は個人情報の流出や暗証番号の流出など、セキュリティにはくれぐれも注意しましょうとニュースで報道されているぐらいだから、防犯意識なのかもしれないと考えられる。
以前よりも頻繁に外出用の服を購入するようになった。
お金は大丈夫なのかと聞いてみると、問題ない証拠として通帳を見せられた。
貯金は減っているどころか、なぜか少し増えていた。
他にも二ヶ月か三ヶ月おきに、友人と出かけると言って、土曜か日曜の朝から家を出て、夕方には帰ってくる。
翌週に妻の預金口座へ入金がある。
妻が出かけていく事は、謎の入金と関係があるのだろうか?
寝室で同じベッドに並んで、妻はおだやかな寝顔で、すぅすぅと寝息を立てながら眠っている。
もしも妻が浮気をしていたとしよう。さらに、愛人からお金を受け取って、これほど平然としてられる性格だったとは思えないのだが……。
「いってらっしゃい~!」
「……いってきます」
いつもと変わらない水曜日。
悩んで寝不足のこともあり、頭がぼんやりして、頭痛がする。
この日、体調不良で早退することになった。熱や咳まで出てしまった。
►►►
「ただいま」
夫が玄関で革靴を脱いだ時、ちょうど部屋から出てきたところで目が合った。
夫はじっとこちらの目を見つめて動きを止めて立っていた。
思わず、笑ってごまかすつもりではないけれど、なんとなく癖で、にへらっとわらってしまうのは、子供のころからの癖。緊張が苦手なのだ。
「……そこに、浮気相手でもいるの?」
「いやああぁ、そこはだめぇぇっ!」
背後の部屋の扉の前に立ちふさがる前に、夫は赤らんだ顔で、すたすたと普段は使っていない部屋のドアに近づくと、勢いよく開いた。
「えっと、これは……」
「……言えなくてごめんなさい」
►►►
彼女の結婚前の務め先で親しかった人は、彼女が結婚してしばらくして退社したので、三年ほど疎遠になっていた。
彼女の夫は、自分の妻が、とても上手に絵を描ける特技があることを知らなかった。
二ヶ月か三ヶ月ごとにイベントに参加して、結婚して辞めた職場のお仲間と、同人誌を作って販売していた。
学生時代の彼女は、なかなか有名なサークルの看板同人作家だった。
就職してからは、彼女は執筆活動から他のサークルの同人誌を買いまくるのにはまっていた。
彼女は交際中の彼氏を一人暮らしの自分の部屋に呼ぶことになった時、同期入社したお仲間に、買いまくったお宝を全て譲り渡して、過去の趣味を
その時の交際中の彼氏が、今の彼女の夫である。
結婚して三年後、元同僚のお仲間が彼女に「おねがいしますっ、手伝って下さーい!」と緊急で救援を求めてきた。
イベントの行われたあとの週の平日、最速なら月曜日には、売り上げから分け前が分配されていた。
彼女のように、一度は引退したコスプレイヤーや同人作家が、お仲間にお誘いを受けて、こっそり復帰していることが増えた。
「まぎらわしいことをして、すいませんでした」
彼女の描いた聖戦シャングリ・ラとマニプーラワールドオンラインのキャラクターが共演するボーイズラブの熱愛同人誌の原稿データを見た時、彼女の夫は、ちょっとなつかしさを感じた。
彼女の夫は、大学生の頃、聖戦シャングリ・ラをプレイするのが趣味だったからである。
►►►
作品やキャラクターを愛する気持ちを表現するのは、コスプレや同人活動だけではなくなった。
「推し活」の流行がある。
「推し活」は、好きなキャラクターのグッズを集めて写真を撮ったり、グッズと一緒にお出かけしたり、ライブやイベントに行ったりすることを指す。
「推し活」は以前のコスプレや同人活動にくらべると安価であり、メディアに取り上げられる頻度も増えてきた。
作品やキャラクターを愛する気持ちを表現する方法にも流行がある。
今は「推し活」のほうが、大きな流行となりつつある。
また、コンビニなどで販売されているプリペイドカードを使ったスマホゲームへの課金もスタンダードとなった。
特に中高生のファンは、ハードルが高い同人活動やコスプレよりも、ハードルが低いスマホゲームへの課金を重視し、他のことへお金を使わない傾向がある。
こうした「推し活」「課金」に集中する人が多いことを考えると、コスプレや同人活動をしている人が減っているというよりも、少なく見えるともいえる。
今は小学生でもスマホを持つ時代。
数年前より幅広い年代の人が、配信アプリでアニメを観たり、漫画アプリで漫画を読み、スマホゲームで人気のゲームをプレイする。
たくさんの作品に出会い、ファンになる人も増えてきた。
しかし、小学生から高校生にとって、コスプレや同人活動といった、かなり費用のかかる趣味は難しい。
同人誌も手作り感のあるコピー誌からオフセット印刷の同人誌が主流になって見た目にこだわるようになった。
コスプレは、趣味として楽しまれていた。しかし、今はコスプレイヤーが企業のモデルとして採用され活躍する場面もみられるようになった。
コスプレイヤーから、アバターを使ったバーチャルYouTuberの流行へと移り変わっていった感じもある。
コスプレイヤーが数人で集まって撮影会をする「併せ」の参加条件にも(金銭的に)自立している人というものが挙げられていて、同人誌即売会や、同人誌を頒布するサークル参加をするのにも、年齢制限が設けられている。
誰でも手軽に作品を楽しむことができるようになっているけれど、コスプレや同人活動といった創作活動に挑戦するには、年齢の壁がある。
低年齢化してきてファン人口が増えている。とはいえ、新たにコスプレや同人活動をする人はわずかという状況になりつつある。
また、新しくコスプレや同人活動をする人が増えないことの背景には、少子化問題も関わってくる。
それぞれの活動をするのにもかなり体力が必要。
コスプレは年を取るとともに自分の容姿が変わっていくことを理由に、ある程度の年齢に達したら引退する人もいる。
また、結婚や出産・育児、共稼ぎなどの様々な理由によって、コスプレや同人活動を辞めざるを得なくなる人もいる。
そうして現役のコスプレイヤーや同人作家が引退した後に、憧れて新しく活動をしたいという受け継ぐ人が現れなければ、コスプレや同人活動といった文化も衰退していく。
ここでさらに少子高齢化が進み、より若い世代のファンが減少していくことを考えると、彼女は「せっかくの楽しいことが無くなってしまうのは、もったいないと思うの」と夫に熱く語った。
今は企業が参入した「推し活」グッズの制作や販売が以前よりも増えている。同人誌も即売会より、ネットで作品やイラストを公開する人が増えつつある。
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妻に頼んで、彼は誕生日に、自分がとてもお気に入りだった参謀官マルティナのコスプレをしてもらった。
「ねぇ、マニプーラワールドオンラインは、遊んでみないの?」
「なんか、ドキドキ感が今のゲームには足りない感じがするんだ。なんでなのかよくわからないけど」
「んっ、ちょっとわかるかも」
現在、彼の携帯電話の待ち受け画像は妻のコスプレした参謀官マルティナの画像となっている。
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