第389話

 美しき呪術師シァンレンは、スヤブ湖の湖賊に網をかけられ生け捕りにされた敵兵を説得して逃がすか、親族などを殺害されたり、住んでいた土地で虐げられた恨みが強い者たちに「この者を好きにしなさい」と告げて引き渡すかを「南蛮征伐」という言葉を敵兵が使うかどうかで判断した。


 パルタの都よりも南に暮らすまつろわぬ野蛮な民を征伐することが正義。

 何も悪い事をしていないと言い張り、心を痛めない者を「このような愚かな戦を止めて、共に私たちは生きる道があるはずです」と説得するのは、シャンレンでも難しいものがあった。


 南の広大な耕作地を開拓する目的で、働き口を求めてパルタの都からやって来て、戦ったことなどないので逃げ遅れてしまった。

 妻や子供が待つ村に帰りたい。

 青ざめながらそう言う者には、スヤブ湖を目指して、または、もっと山奥の土地へと家族を連れて逃げなさいとシャンレンは教えて、拘束を解いてやった。


「どうして、捕らえた人を殺してしまったんですかっ!」


 ユイユンは、騎士ゴアヴィダルの天幕に怒鳴り込んでいた。


 ユイユンの法具で生け捕りにした湖賊の密偵と話してみたいと、朝から捕虜が集められた居留地に行くと、昨夜、警邏けいらの兵が来て、彼女を殺害したので、牢から出してやり弔っているのですと、捕虜の女性たちが泣きながら訴えた。


「私たちの命はこれほどたやすく奪われるのですか?」

「なぜ、こんなところに閉じ込められて鶏を飼うようにされているのですか?」

「どうして殺すなら、このようなことをなさるのですか?」


 ユイユンはこの戦が終われば、もう殺し合う必要はなくなるので、それまで戦わずに済むように、居留地で生け捕りにされた人たちを保護するようにと居留地を作ることから、まず着手した。


 これは捕虜の居留地ができて三ヶ月目の事件だった。


 しかし、警邏けいらの兵は、王都トルネリカの宮廷から派遣されたユイユンが直属の上官ではないので、上官の命令に従い、保護しきれずに処刑されてしまうことがあった。


 宮廷魔術師クローリーの開発した法具を用いて、湖賊の女戦士を、ユイユンが初めて生け捕りに成功した。


「こちらも牢の番人を一人殺された」

「牢の番人って、ハオって子ですか?」


 ユイユンが、牢の番人の少年の名前を知っているとは思っていなかったので、騎士ゴアヴィダルが一瞬、顔を強ばらせたあと、いつもの口の端の片側を吊り上げたような笑みを浮かべた。


 この騎士ゴアヴィダルは、フェルベーク伯爵の先祖にあたる人物で三十代後半の紳士である。細い体つきで、細い目の少し面長な顔立ちである。


(この人は嘘つきだ……昨夜、何が起きたのでしょう?)


 師匠クローリーから「嫌な奴がいても騎士には手を出すな」と言われて、王命で派遣されたユイユンだが、捕縛された湖賊の若い女戦士が、危害を加えた警邏けいらの兵たちを殺害することがあっても、牢の番人ハオを殺害するとは考えられなかった。


 居留地はまだできたばかりで、日替わりで、それぞれ騎士が配下の兵に命じて見廻りすることが決められている。

 昨夜は、騎士ゴアヴィダルの配下が見廻りの日だった。


「あの蛮賊の女は、牢の番人の少年を殺害した。現場を発見した警邏けいらの兵たちが身の危険を感じたので、蛮賊の女を始末した。これ以上、貴女にお答えできることはない」


 お引き取り願おうと言われて、ユイユンは騎士ゴアヴィダルの天幕から、見張りの兵に両腕をつかまれ、引きずられながら外へ出されてしまった。


 ユイユンは、見張りの兵にあっさり天幕から引きずり出されるほど、腕力もなく、騎士ゴアヴィダルの胸ほどの高さにも、その背丈は届かない。小柄で華奢な体つきをしている令嬢である。

 走るのは得意で、兵たちよりも速いかもしれない。


(絶対に何か隠しごとをしてます。ハオくんの名前を出したら、変な顔をしてました。あやしい!)


 ゴアヴィダルの悪趣味な性癖は、自分よりも力の弱い少年の首を絞めて窒息させながら意識が朦朧もうろうとしているところを狙い、抵抗できないようにしておいて、欲望をぶち込み、たっぷりとなぶるというものであった。

 

 牢の番人といっても、捕虜の世話係のようなものである。

 だから屈強な大人の兵である必要はなく、捕虜とよく話し、捕虜に気づかいできる少年ハオは、適任といえた。


 見習い兵のハオを居留地に住まわせ、捕虜の人たちと交流を持たせるために、ユイユンが引き抜きで採用した。

 ユイユンが赴任してきて、どの天幕が誰の天幕なのか、見た目は一緒でわからずに困っていると、案内してくれたのが「ハオくん」だった。

 まだ十四歳ということだったので、ユイユンは驚いた。


 ユイユンの取り調べが済んだあとは、居留地の中であれは、捕虜たちは自由行動が許されている。


(騎士たちの陣営から逃げ出そうとするなら、手枷てかせを外され、牢小屋から出された時のほうがたやすいはず)


 ユイユンは、ゴアヴィダルの悪趣味な性癖について、世間知らずなこともあり想像することができなかった。


 シァンレンなら、少年ハオをうっかり力加減を興奮しすぎて、ゴアヴィダルが殺害してしまい、その犯行を「蛮賊」の若い女性に押しつけようとしたと気づいただろう。


 ゴアヴィダルはユイユンが赴任する前から、少年ハオを狙っていた。

 しかし、ユイユンが兵の幕舎から居留地へ少年ハオを住まわせ、戦場にも同伴させなくしてしまったので、なかなか襲う隙がなかったのである。


(小娘に感づかれたか。やれやれ、しばらくおとなしくしなければならんな)


 少年ハオが陵辱りょうじょくされている姿を見て、怒りの感情が爆発した湖賊の若い女性が、ゴアヴィダル以外の二人の兵を罵った。


「おい、お前ら、なんであの子を助けてやらないんだ、あんなひょろひょろの奴にびびってるのかっ!」


 もしも、賄賂を受け取る宮廷議員や宮廷官僚がいるのも悪い状況だが、もっと悪い状況は、それを誰も非難したり咎めることができない状況である。

 学者モンテサンドは、歴史書の一節にこのように書き記して警告している。


 この時は、ゴアヴィダルに仕えて彼の悪事を見逃している二人の兵が、何も言えず見逃している状況がより退廃的な状況であった。

 

 こうして、少年ハオという被害者とある一人の湖賊の女性という事件の目撃者が知る事実は、死という闇に隠蔽いんぺいされた。


 この事件から八ヶ月後、騎士ゴアヴィダルは、バーデルの変で戦闘中に息苦しさを感じて、その隙を突かれて、逃げそびれた。


 少年ハオの亡霊ゴーストと湖賊の若い女性の亡霊ゴーストに祟られた騎士ゴアヴィダルは、戦場で、誰が投げたのかわからない石で、頭部にひどい損傷を受けた。

 

 一命を取り止めたが、虚ろな目で、名前を呼ばれると「あぅ~あ~」と言って振り返った表情はゆるみきっていて、唇の端からはよだれを垂らしている。

 誰かにつき添われながら、よたよたとおぽつかない足取りで歩く。

 騎士ゴアヴィダルは、バーデルの変のあと伯爵に叙任された。

 だが、領地の統治は元老院という議会が設立され選ばれた名士たちが行い、後継者も選任した。


 ユイユンは、戦場で命を散らすには若すぎる少年ハオや、まつろわぬ民の捕虜たちの命を一人でも救おうと努力した。


 シァンレンとユイユンは、それぞれの立場で、自分の所属する組織の中に、隠れて悪事を行う愚かな者たちがいることを知った。

 またその悪事に加担して、良心を捨て従うしかないと思い込まされている人たちが少なからずいることを知って、深く悲しんだ。


 シァンレンは現在、生まれ変わって冒険者の乙女エレンとして、惚れているゲールと青蛙亭で暮らしている。


 もしも、時を越えて肖像画を描く画家がいたとしたら、エレンの顔立ちや容姿は、シァンレンが愛したユイユンの容姿とよく似ていると驚くだろう。


 前世や因果について、歴史書は何も教えてはくれない。

 また、隠された事実とは、人の心や行いが状況によって、どれだけ制約されてしまうかというものである。


 生まれ変わっても、フェルベーク伯爵のように、前世で先祖でもある騎士ゴアヴィダルの因果から脱することができずに、祟られて悲惨な死を迎える者は存在する。

 




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