第385話
ホムンクルスのマルティナは、すでに一度、聖人ファウストの生まれ変わりであるゲールと出会っている。
マルティナは、オクルス・ムンディー(世界の眼)をゲールと蛇神祭祀書から融合されて目覚めてから、彼女の世界の認識が始まった。
私たちは、人生をいつから始まりと認識しているのだろう。
生まれ落ちた瞬間を覚えている人から、ぽつりぽつりと、二歳か三歳ぐらいの風景や匂いを覚えているという人もいて、物心をつく年齢に個人差がある。
人間でいえば子供の頃の五歳ぐらいの記憶で、エルヴィーヌという修行中の少女が、自分の名前がわからない幼女に「あなたはマルティナ、私はエルヴィーヌ」と教えたあたりが、マルティナの物心をついた時期だろう。
ホムンクルスの幼女にとって、エルヴィーヌという少女が姉という存在だと教えたことで、妹のマルティナという本当ならば、すでに亡くなった存在とうまく結びつくことができるきっかけとなった。
エルヴィーヌという少女が成長して、乙女になり聖騎士の試練に挑んだ。だが、試練に失敗して、全身が動かせなくなった状態で帰還した。
それでもこれは、聖騎士の試練に挑んだ人たちの中では、ましな結果といえる。
神聖教団でアゼルローゼとアデラに吸血されて亡くなった人たちの
アゼルローゼとアデラに吸血されて亡くなった人たちの集まって怨霊と成り果てた
その前世の因果から、神聖教団へやって来て、因果から解き放たれることなく死後は怨霊と成り果てた。
エルヴィーヌという人物にも前世があり、怨霊と成り果てた
神聖教団の審判で処刑、つまりヴァンピールの血の生贄とされた人たちの
亡霊という肉体を喪失した残留したプラーナの残り
マルティナの姉、紫色の瞳のマルティナを妹以上に、一人の人間として愛した女性は、再び生まれ変わりの運命へと導かれることになった。
マルティナの姉として生きたエルヴィーヌという人物の前世と、吸血されて処刑された人たちは、どれほど昔の因果で結びつきができていたのかといえば、蛇神の都で長年の大祭で犠牲になった信者たちや生贄にされた巫女たちだった過去まで遡ることができる。
ホムンクルスの研究に関連して自らの欲望に従って、聖職者にあるまじき蛮行を実行した者たちは、前世の蛇神信仰の信者だった時も無礼講の大祭で蛮行の果てに命を落としている者で、因果を繰り返しているといえる。
聖騎士の試練に挑んで悲惨な状態に陥った乙女エルヴィーヌは、前世の蛇神の都で行われていた大祭で、生贄の巫女として命を捧げられた犠牲者の一人なのだった。
青年ゲールが聖騎士の試練で使用する魔法陣を、異世界へ渡る直前に書き換えて教団から逃亡。
次の聖騎士の試練に挑んだ乙女エルヴィーヌが、身動きが取れない身体となる悲惨な事故に陥りながらも生還。
さらにその次の聖騎士の試練に挑んで生還したのが、聖騎士の乙女ミレイユだった。
前世で聖人ファウストであったゲールは、聖騎士の試練に挑まずに逃亡した。
前世で祟られかけたが、蛇神の大祭で犠牲とならずに、ターレン王国を建国している。
前世で蛇神の大祭の犠牲となった巫女の生まれ変わりのエルヴィーヌは、聖騎士の試練で生還できた。因果の関係からすれば、生還できずに魔獣モドキに葬られて、エネルギー変換されて回収されていたはずだった。
しかし、彼女は前世の因果の運命では出会えなかった愛する者を見つけていた。
オクルス・ムンディーの魔力で復活したホムンクルスの幼女と出会って、紫色の瞳のマルティナを妹ではなく、ただ世界に一人だけの特別な存在として愛していた。
それが生まれ変わっても、何度も繰り返して、犠牲になって狙われる運命からの脱却のきっかけとなっていた。
前世では、人に優しくされたい、愛されたいとしか思っていなかった人が、生まれ変わって、今世では、守ってあげたい、愛したいと思うことができる人と出会えることができたことで、エルヴィーヌの因果は変わった。
聖騎士ミレイユの魔剣の一撃を受けた他の
ただ愛されたい、快楽に溺れたいと思う心が変わらない限り大いなる
想像力は、創造力でもある。
想像する者が望む存在と、それを存在すると認識するために必要となる相対的と感じる存在や似ている存在、本当に真逆の存在などが世界と同時に現れる。
綺麗なものと醜悪なもの、これらは心にとって刺激的というものという意味でとらえれば、似ている意味を持つが、いい気分になるか不快になるかという意味でなら相対的で、どちらも同時に存在している。
真逆というものは、興味を感じないもの、どうでもいいと感じるもの、綺麗でも醜悪でもないものである。
それらがそれぞれの存在することで、認識することができている。
世界の摂理として、大いなる
タロットカードの占いでいえば、
善と悪は似ているが相対的なもの。
どちらともいえない普通という曖昧なもの。
この三つの善、悪、普通という考えかたが、どれか一つだけでは成立できない考え方であり、それらが影響し合って変化しあっていることで絶妙なバランスを保っているというのが、生者と
全てを一度、大いなる
それが魔剣ノクティスの一撃の秘密といえる。
大陸の南方の地域の土を砂にして、大砂漠を形成して、卵を生んだ魔獣サンドワームは卵から孵った幼虫のような子の命を守るために、神聖騎士団とシン・リーに挑んだ。
母が子を守ろうとする心が宿った守獣サンドワームを、神聖騎士団やシン・リーを守るために聖騎士ミレイユは、魔剣ノクティスの神の一撃を放った。
魔獣サンドワームに宿っていた産んだ子を守ろうとする激しい闘争心は、討伐されることで魔獣の姿とサンドワームとしての生活から解き放たれた。
世界中に存在する子を身に宿しているたくさんの女性たちに、母親としての愛情を再配置したことだろう。
女性は妊娠して、母親としての愛情を自動的に持つわけではない。
母親としての愛情を子に与える存在になると決意して、自ら選択して母親らしさを想像しながら行動しているだけで、それ以前も子供を産み落としても、ただ一人の人間ということは変わらない。
子供にとって母親は生まれた時から母親で、いつ自分と同じ一人の人間だと思えるようになるのだろうか?
母親はもう一人の自分の分身のように守ってくれて無条件で愛してくれる存在ということを信じながら成長して、一人の人間として、母親や自分以外の誰かのことを、無条件で守られるだけでなく、守ってあげたいという心の
子のひたすら愛されたい、から、無条件で愛したいという心の
または、母のもう無理をし続け苦しんでいるのに、愛さなくてはいけないと限界に達して、子と自分の見境いができなくなってしまう依存心からの脱却という
これは子と母がどちらも挑まなければならない試練となるだろう。
その時、父親は何ができるのか?
母親の役目をしている存在という思い込みを脱却して、ただ一人の女性の人間として、再び自分の人生の伴侶として何度も再認識して、ただ愛す
新しい素敵な伴侶を、同じ人の中に何度でも発見していく喜びを見つけていくのか、まったく知らない他人から関係を築いていくのか……生まれ変わりか怨霊として甘えて、ただ愛されたいと叫び続けながらさまよい続けるのか?
幻術師ゲールは、同じ
それは
(一緒に暮らしていて、あんなことやこんなことまでしているのに、またあの変な本ばっかり読んで……男の人って、本当によくわからないわ)
青蛙亭でゲールと暮らしている乙女エレンには、蛇神祭祀書は猥褻な内容の書物にしか見えないように化けている。
変な本と言われても、ゲールは何度も
自分とは異なる考え方や行動をするエレンのことが、ゲールにはおもしろくてしかたがない。
(彼女はまったく世界の摂理や何がどうなっているのかという真理にはまったく興味がないまま、のん気に生きている。だから逆に悩まないから元気なんだろうな……おもしろすぎるぞ、エレン)
もしも青蛙亭のこの二人の間に子供が家族に加わっても、心と因果の試練を簡単にクリアできそうである。
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人は女に生まれるのではない、女になるのだ。
ボーボワール「第二の性」
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