第384話

 王妃トルネリカの心は参謀官マルティナに、僧侶ローザの記憶は貴公子リーフェンシュタールに受け継がれている。


 満月の夜に行われる蛇神の都の大祭に乗り込んだ、戦士シモンという青年がいた。彼の目的は、蛇神の都の神殿にいるローザを連れ戻し、ゼルキス王国へと移住することである。


 ゼルキス王国の神聖教団から分派したファウストと僧侶たちは、ゼルキス王国のさらに西の森林地帯で小さな村をつくり、自給自足の暮らしをしていた。

 トルネリカとローザという僧侶の乙女たちは、この村を訪れた青年シモンと出会う。


 青年シモンと恋をした僧侶ローザは、神聖教団の戒律を破り、青年シモンに体を許してしまった。


 ローザは、禁欲の戒律を破った自分を戒めるために「もうみんなと一緒に、村にいられません」と、トルネリカにだけ事情を話して、修行者たちの村から出奔してしまった。


 ゼルキス王国には神聖教団の教会があり、神聖教団の戒律を破ってしまったことを悩んだローザが、ゼルキス王国へと一人で戻ったとは考えにくかった。


 青年シモンとトルネリカの二人は、僧侶ローザを探し出そうと修行者の村から無断で抜け出し、この頃からすでに蛇の道と呼ばれていた煉瓦が敷かれた街道を進み、蛇神の都へと潜入した。


 本来の神聖教団の戒律に従い、修行者のための人里離れた村で、ゼルキス王国の世俗から離れて美少年の聖人ファウストの教えを学ぶ修行者たちの村から、生活の掟を破って出て行ったローザ、シモン、トルネリカを軽蔑すると修行者たちはファウストに言った。


周囲の者に惑わされず、自分の心に従いなさい。


心と体を健やかに保ち、どんな時も、心と体が誠実なる友達であるようにしなさい。


健やかであるかどうかは、自分の心が決めているんだよ。


過去に囚われてはいけないよ。未来を待つだけでもいけない。

ただ、今、この瞬間に集中すること。


自分を変えられるのは自分だけ。

どんなに大きな変化も、すべてあなたの一つの呼吸から始めよう。


大空に国境がないように、あなたたちの心も、内側と外側で境界を設けてはいけない。


隠し続けることができないもの。

太陽、月、そして真実。


 恋心もまた真実。

 だからファウストが、村に三人が戻って来たら許してあげましょうと言った。


 すると「あの三人は修行者失格です。なぜ、お許しになるのですか?」と非難した修行者ヒムラーに、聖人ファウストは静かな口調でこう言った。


「他人の過ちを指摘する前に、私たちは自分の欠点に気づくことが必要です」


「おおっ、そうですね、ファウスト様」

「ありがたいお言葉です」


 ファウストは、この人たちはどんな言葉も自分たちの都合が良いように考える悪い癖があると思った。


心をしっかり保つには、まず体が元気でなければね。


 森で断食の修行していたヒムラーが気絶して救助され、寝込んでいる家にファウストは訪れると、彼に果実を手渡してそう言った。

 神聖教団の修行には、なぜそうしたらいいことがあるのか、よく考えなければならない修行がいくつもある。


 聖人ファウストは、断食の修行も、きっともともとは食べ過ぎ注意ぐらいのことだったんだろうな、と思っている。


心で思うことは実現しますよ。

強き心の持ち主には、心から思うことに世界が近づいてくるものです。


「他人にばかり頼らずに、道を見つけて、それぞれ歩かなければ」


 三人を追いかけて処罰しようと騒いでいた修行者ヒムラーに乗せられて「そうだ、そうだ、そうだ」と賛同しながら、聖人ファウストのいおりにやって来た修行者たちは納得したのかはわからないが、それぞれぺこりと頭を下げて一礼すると帰っていった。


(ヒムラーさんにも困ったものだな。一生懸命なところはいいんだけど、その分だけ他の人にも厳しすぎるから)


 この修行者ヒムラーが、現在では誰に生まれ変わってきているのかといえば、バーデルの都の執政官ギレスに生まれ変わってきている。


 修行者ヒムラーは、美少年のファウストに惚れて、ゼルキス王国から、他の求道者たちと一緒に勢いで出奔してきた青年である。


 ファウストの教えをゼルキス王国に持ち帰り、一番弟子として他の求道者たちの指導者になるという目標を心に隠し、誰にも文句は言わせないつもりで、自ら厳しい修行をして、聖人ファウストに対してと周囲の求道者たちに、がんばっているというアピールをしている。


 ファウストの教えの言葉の意味を、神聖教団の元僧侶のトルネリカやローザが質問され、求道者たちに語っていることがよくあった。


僭越せんえつながら、そのお言葉は、おそらくこういう意味ではないでしょうか?」


 修行者ヒムラーは、ゼルキス王国に暮らしていた時は、神聖教団の僧侶ではなく、酒場の用心棒だった。

 ヒムラーは、トルネリカやローザの二人がちょっと美人だからって他の求道者が、ありがたがって話を聞きたがるのも嫌だった。

 わかりやすくいえば、聖人ファウストのそばにいつもいる二人の乙女に、ヒムラーは嫉妬していたのである。


 なぜなら、ヒムラーは美少年のファウストに恋焦がれて、ついて来ただけだからである。

 神聖教団の教義では、禁欲の戒律はあるけれど、具体的に男色を禁じるとは教えられていなかった。

 神聖教団の教義を信者が忖度そんたく――それぞれが布教者の気持ちをおしはかって考えて、たぶんあれもこれも禁じられていると決めつけて判断していたところがあった。


 だからヒムラーは、美少年ファウストに対する熱い気持ちを、他の求道者たちに言い出せずにいた。

 また、聖人ファウストに愛の告白をする勇気はもっと持てずにいた。


(一番弟子と認められたら、きっとファウストは、俺の気持ちを受け入れてくれるにちがいない!)


 ヒムラーは修行者たちの小さな村で、男色の恋慕をこじらせていた。


 美青年のシモン、他の求道者たちに一目置かれていた元僧侶のトルネリカとローザがいなくなったことは、ヒムラーにとっては心から喜ばしいことだった。


(ああっ、僕はここで心をおだやかに暮らしたいだけなのに、本当にみんな、いつも騒がしくて困るなぁ)


 聖人ファウスト――のちのターレン王国初代国王は、そう思って流れる雲を見上げていた。


 そして、聖人ファウストは、現在は生まれ変わって幻術師ゲールとして暮らしている。




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