第376話

 赤錆び銀貨を献上された執政官ギレスは、フェルベーク伯爵の訃報の情報を知るまでは、他の使用者とは異なる使い方をしていた。


 赤錆び銀貨を偶然、噂を聞いて入手したバーデルの都で暮らす住人たちは、まず本物か、興味本位で、一度は使って眠ってみる。


 住人たちは、自分なりに思い浮かべる普通の暮らしができる給料をもらい、普通から脱落した者は、努力が足りない愚か者として軽蔑し、非難さえすることもあった。

 給料をもらうために働き、余暇時間や休暇の日に散財する。それを繰り返せるのが幸せだと思い込んでいる。


 赤錆び銀貨を大金で買い取ってくれる羽振りのいい王都トルネリカから来た貴族や、奴隷商人、闇市で儲けた商人を見つける。

 まとまった金額の大金を得て、代わりに人を雇うか奴隷を購入して働かせて、自分はのんびり過ごす。

 そして、その暮らしに退屈して、貴族の真似事をしたり、無断でバーデルの都から職務放棄して逃げ出そうと決めてわくわくする夢をみて、赤錆び銀貨を握って起床する。


 すると夢でみた赤錆び銀貨の買い取り手を、夢と同じ場所で、同じ時間帯に見かける。

 声をかけて、売り込みをかけると、夢と同じように交渉成立して、給料の一年分ほどの大金を手に入れる。

 やがて、職務放棄して逃げ出そうとしたタイミングで憲兵や雇われた住人に捕縛されてしまう。


 赤錆び銀貨を買い取る羽振りのいい誰かは、ギレスの用意した偽貴族、偽商人たちである。

 赤錆び銀貨を買い取ってから、相手がどんな考えをして、どんな行動をするか見張らせて確認する。

 バーデルの都から職務放棄して無断逃亡する直前に、憲兵たちか雇った住人に捕縛するよう指示をギレスは命令する。


 ギレスは赤錆び銀貨を使用した住人や隊士が、都のルール違反する者たちの夢を共有して、罠を仕掛け、取り締まりを徹底した。


 執政官ギレスは、直感が鋭い――部下やバーデルの住人たちからそう思われ怖れられた。


 執政官ギレスのバーデルの都の統治体制は、女伯爵シャンリーのやり方を踏襲したものとなっている。


 女伯爵シャンリーは、ギレスという汚れ役を作り上げ、自分の評判はできるだけ悪くならないように配慮していた。


 赤錆び銀貨の夢が、他人と共有されて個人的な秘密の願望が情報として漏洩することがあるという仕掛けがわからない者たちからすれば、ギレスに自分の心が読まれたような薄気味悪さがあった。


 ギレス自身がバーデルの都で、シャンリーの汚名をかぶりながらの生活に、何も次の展望を心に抱けなかった時期が二年以上続いて、深い心の傷として刻まれてしまっている。


 女伯爵シャンリーは、かつての信仰を利用して、自分が新たな教祖として君臨する野望を抱いて領地であるバーデルの都を使って、民衆を飼い慣らす方法を試していた。


 ギレスは、フェルベーク伯爵の後継者になるように特別な子として育てられてきた。それをギレスは、伯爵の証の印綬いんじゅを手渡されて知った。

 知ったけれど、それですぐにシャンリーのように、十年後の自分はこうなりたいという未来の展望を思い描ける生き方に切り替えられない。


 幼い頃はフェルベーク伯爵に服従することが生き抜く方法だった。

 成長してからは、女伯爵シャンリーに従う事を強いられ、自ら未来の展望を思い描くことをしてこなかった。


 女伯爵シャンリーを裏切り、フェルベーク伯爵に協力するという事しか、自らの心でギレスは選択しなかった。


 反対する他人には知られたくないぐらい強い心の願望を、ギレスは持てずに生きてきた。

 赤錆び銀貨を手にして、他人の願望や欲望を疑似体験する夢をギレスはみた。


 ギレスは女伯爵シャンリーからバーデルの都を奪った直後から、執政官になるまでに、汚名をかぶる身代わりを見つけておかなければならなかった。

 しかし、ギレスにはシャンリーと同じ統治の方法では、バーデルの都を統治し続けることは限界があることを想像しきれない。


 ギレスは、分担された役割として、商人ロイドを拷問した。だから、ロイドの顔つきや容姿をおぼえていなかった。

 シャンリーであれば、水神の像を奪い呪物の試作品をつけたので、名前は忘れても、顔や容姿は思い出せただろう。


 このままバーデルの都を暴力で統治していくことの意味を、フェルベーク伯爵から教えられるはずだとギレスは思い込んでいた。


 だから、フェルベーク伯爵の訃報は、ギレスにとって大きな動揺を与えるものだった。生きていく指針を失ったようなものだったからである。


 自らの心で生きていく指針を持たない者は、他人に利用され服従していく生き方にしか安心できない。


 フェルベーク伯爵の訃報を知ったあと赤錆び銀貨は、ギレスにとって幸福だったフェルベークとの快楽の日々の記憶を夢の中で呼び覚ました。


 バーデルの都の住人たちの中には、自分が生き残るために親衛隊と一緒に協力して虐殺したけれど、殺害した人との懐かしい思い出を持つ人もいた。

 そうした人が赤錆び銀貨を手にした時は、過去の楽しかった思い出の夢をみて自分のしたことへの罪悪感をまぎらわせなければ、生きていくことができなかったからである。


 たとえば生活のために母親が遊郭で働きに出たおかげで、どうにか食いつないでいた子供は、震災で遊郭が焼け落ちた時に母親を火災で亡くしているが、自分が働いて稼げれば母親はあんな無惨な死に方をしなくて済んだのでさないかと、当時の自分ではどうにもできなかったと頭ではわかっていても、胸の奥で自分のせいだと悔やんでいた。

 赤錆び銀貨は、そうした人に母親からあやされている乳飲み子に戻ったような夢をみせた。


 シャンリーが教祖として君臨していたら、罪悪感を信仰でごまかすことで、信者を魅了することができただろう。


 愛するロイドの心を深く傷つけ、一度はひどく荒ませた者たちへの怒りをジャクリーヌは、執政官ギレスを標的として狙いを定めてぶつけた。


 赤錆び銀貨の夢に翻弄されて、バーデルの都のルールに違反してしまい処刑された者もいた。

 また悲しみを心の痛みとして抱える人に対して、赤錆び銀貨は、まるで麻酔のように、その心の痛みだけを夢の力で眠っているときだけは緩和した。


 執政官ギレスは、だんだん眠っている時間が増えていった。彼はジャクリーヌの狙い通りに赤錆び銀貨に依存していくことになった。




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