第365話
フェルベーク伯爵領で起きている時代の
フェルベーク伯爵という紳士が、自分の手元で育てた青年ギレスにバーデルの都という活躍の場を与え、自領のルゥラの都へ戻った時には、元老院の一員に加えても恥ずかしくない人物として迎え、伯爵領の名士の責任を果たそうとしていた。
ルゥラの都の名士は、若者を自分と同じように育てる責任があるという常識があった。親と子というものはそういうものだと。
女伯爵シャンリーは、十八歳のギレスのことを平隊士でなく、いきなり親衛隊の総長として任命した。
親衛隊の募集に参加している者たちはギレスより歳上の者も多かった。また、副長のエドアルドは少し歳上で王都トルネリカ出身で、彼こそ総長に適していると思ったことは一度や二度ではなかった。
なぜギレスを親衛隊の総長に任命したのか、女伯爵シャンリーは説明したりはしなかった。
ギレスの扶養者であるフェルベーク伯爵が、奴隷市場や親衛隊の資金援助をしているから、総長に選ばれたのだと隊規に違反して処刑された隊士のなかには罵った者も少なくなかった。
ギレスはそのたびに「それで、何が悪い?」とだけ隊規に違反して処刑される者たちに言った。
実際にコネだったのか、どこか見所があると女伯爵シャンリーに判断されたのかを、ギレスはフェルベーク伯爵や、雇い主の女伯爵シャンリーに確認することはなかった。
フェルベーク伯爵から少年の頃のように抱かれて、雇い主の女伯爵シャンリーを捕らえてくれないかと囁かれた時、ギレスの胸が熱くなった。
扶養者に子は逆らっては忠義の道に反する。それは配下の者が王に逆らうようなものだと、フェルベーク伯爵領では教育される。
扶養者から命令されるのではなく、頼まれごとをされたギレスは、憧れのフェルベーク伯爵から、一人前の人物と認められた気がした。
フェルベーク伯爵領の子供は、扶養者の大人に逆らうことないことが良い忠節の行いだと教えられて育つ。
バーデルの都の親衛隊の隊士募集の呼びかけに参加せよと、フェルベーク伯爵から「これは命令だ」と言われた時は、もう十八歳なので、愛される子としては見放されたのかと、ギレスはさびしさを感じた。
フェルベーク伯爵領では、恋愛という思想はなかった。
ザルレーとヴァリアンが、フェルベーク伯爵領にもたらしたのは、上下関係ではない対等な関係から、愛情を持って他人を愛すという考え方だった。
同胞意識は、フェルベーク伯爵領では強い。同じように育てられ、大人として節度ある態度で、時には養育者と同じように敬うべし、と教えられているからである。
衣食住を保証され、何も不自由なく育てられる。女性として生まれていれば、名前すら与えられず、生きた道具のように役割を果たさなければ、役立たずと軽蔑され食事や寝床も与えられない。それを見せつけられて、フェルベーク伯爵領の男の子は育つ。
養育者への奉仕の役割を強制されることに逆らう男の子は、忠節の倫理に反すると罰せられる。
闘技場の
絶対王政の王への忠義と養育者や同胞への忠節が重ねられていたことが、フェルベーク伯爵領で恋愛という思想が育たなかったり、罰せられてきた原因である。
フェルベーク伯爵領で孤児であった幼児が闘技場の
それが商人ザバスである。
奴隷商人からロンダール伯爵領へ、養女のメリルを迎えたあと移住して、ドレチ村の品物を売り歩く行商人の父娘として、ザバスとメリルは生活を始めた。
ザバスはフェルベーク伯爵領の制度の常識から外れた斡旋屋に育てられ、心を蝕まれるような奉仕を求められることもなく、また女性は素敵というフェルベーク伯爵領では変質者扱いされる考え方をザバスは叩き込まれて、育て上げられた。さらに、闘技場で勝たなければ生きる価値はないという厳しい教えも一緒に教え込まれた。
斡旋屋は名前を名乗ることをフェルベーク伯爵領で禁じられた。
だからザバスは養育者の名前を知らない。闘技場の
他の伯爵領の常識やエルフェン帝国の常識、エルフの王国の常識でも、子供の心を蝕ばむような奉仕の強要のほうが、よっぽど虐待と思われる行為なのだけれど。
養育者としてザバスを認め、少女でありながら、一生この人について生きて行くと強い決意を持って養女になったメリルの恋心に、養育者になったザバスが気づくまでは、しばらくの年月がかかるだろう。
ストラウク伯爵と幼妻の村娘のマリカの恋愛も、世界の危機の影響から、伯爵領の怪異が起きなければ、発展せずに村娘マリカの片思いに終わっていただろう。
ストラウク伯爵や商人ザバスは、そばで慕っている乙女を、子供として恋愛対象外、まして繁殖のお相手という認識が持てずにいた。
踊り子アルバータの用心深さから、悩める美青年の傭兵ザルレーや武器商人ヴァリアンは、魔導書にふれさせられて、恋愛というものが時に、制度や倫理とは関係なく発展して来たことを教えられた。
養育者なのに、乙女になったメリルにむらむらするなんて、と動揺する商人ザバスや、自分と腹違いのほぼ同じ年頃の異母姉アナベルと相思相愛になっているロンダール伯爵の背徳感は、そういう常識や身分制度とは関係なく恋愛は発展することがあると知っているザルレーやヴァリアン、ストラウク伯爵は魔導書にふれたわけではないけれど、いろいろな人に言えない事情をたとえ話の昔話として伝えている膨大な量の巻物を読破しているので、恋愛が常識にはとらわれない場合もあると理解しているので、恋愛を受け入れるか悩むということは相手を愛しているからだと言うだろう。
ゴーディエ男爵が悩まされているプラーナの源流ともいえるクンダリーニの力は、単純に性欲に結びついていて男性にしかないものではない。
女性にもプラーナに変換されるクンダリーニの力はあり、恋愛感情の元となる愛情という感情を呼び覚ます力でもある。
ゴーディエ男爵は王都トルネリカの貴族様、ソラナは伯爵領の平民階級の庶民で身分ちがいなことを、彼女は人に相談しないが気にしている。
踊り子アルバータも、ゴーディエ男爵が有名な側近の直系の名門貴族であり、王宮に出入りしている平民階級の芸人であり、本当はゴーディエ男爵の迷惑になるからこの恋心はいけないことだという思いが、胸の奥で小さな
この二人は、ゴーディエ男爵への恋心から魔族化するほどなのに、身分制度の階級の格差に悩んでいるのは、奇妙な一致といえるだろう。
二十一歳の若者ギレスは、養育者である歳上の紳士フェルベーク伯爵に恋心を抱いている。ただし、その思いを彼の常識が妨害していて、片思いの恋だと気づいていない。
バーデルの都では、女伯爵シャンリーが遊郭を建設して運営していたほどなので、同性愛は御法度で、他人から小馬鹿にされ軽蔑される。
ギレスはフェルベーク伯爵に対する恋心を誰にも打ち明けられずに、他人に知られたくない秘密として抱え込んでいた。
その孤独感を理解できる者は、バーデルの都には誰もいなかった。
だから、ジャクリーヌとロイドから赤錆び銀貨を贈られたギレスは、夢の中でだけは、幻のフェルベーク伯爵に身をゆだねて、朝には泣きながら寝室で一人で目覚めるのだった。
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