第363話

 ステータスオープンによる金貨三十枚分の生活費支給。

 それは千年王朝後期の約十年間を、宰相となり幼帝ルルドを擁して権勢を握ったヴァルハザード以来の改革といえる。


 アルテリスが、火の神の神殿アモスの大神官リィーレリアと一緒に、各地を渡り歩いていた時代は、ヴァルハザードの改革より以前の時代である。


 耕作して作物が収穫できる土地こそが、最も価値があるものと考えられていた。

 次に価値があるものは耕作地で作物を栽培する労働力である民衆である。

 そして、子供を産んで労働力を殖やせる女性は、男性の三倍は価値があると考えられていた。


 豊かな土地には限りがあり、荒れ地や森林地帯を耕作地にするためには長い年月がかかるため、反乱する配下に対してヴァルハザードの命令に従い戦い忠誠を示した配下に報酬として、反乱した配下の土地を与えるだけでは、報酬は不十分だった。

 耕作に適していない、大河バールによる作物の運搬の恩恵が得られないなど、何かしら問題がある土地の太守が他の太守の土地を奪うために、反乱を起こしていたからである。

 わけありの土地、それも太守を討つために攻め込んだ結果、民衆の耕作地から兵糧の調達なども行っていたり、討たれた太守を慕っていて恨まれていたりする土地と民衆を、攻め込んだ複数の太守たちに、報酬として与えるから分配せよと言われてもあまりうれしくなかった。


 それを豪族の墳墓から盗掘してきたダンジョンのドロップ品である貨幣を与えることで、ヴァルハザードは報酬とした。

 千年王朝で、貨幣の価値を定め、食糧や、時には民衆を売り買いさせた。

 ヴァルハザードにより、約十年間で土地の奪い合いを目的とした反乱は減少した。

 大陸各地で同じ言語が使われていて風習は多少ちがいがあっても、民衆は移住したあと、慣れたらそれなりに暮らせるということが、貨幣制度の導入に大きく貢献した。


 皇帝のための大きな都で、人や物を流通できることや、各地の豪族の古墳から埋葬品を強奪しても祟りから逃れる手段を研究していた教団を持つ宰相ヴァルハザードは、貨幣制度の導入と普及によりその権勢は安泰に思われた。


 ヴァルハザードが中原の帝国で、あとニ十年ほど君臨できていたら、大樹海のエルフ族と遭遇したり、大河バールを超えた東方への帝国の領土を拡大しようと画策していたかもしれない。


 ヴァルハザードは、前皇帝をお飾りとして酒池肉林の自堕落な生活で飼い慣らして権勢を思うがままに握っていた宮中の都の官僚たちの排斥や、太守たちの千年王朝を打倒して新たに自らか王朝の皇帝とならんとする野望を絶つために自ら戦線に立って、手を血で染めることもためらわなかったが、それでも王朝の盛衰の運命は変えられなかった。


 貨幣制度の普及は千年王朝が滅亡しても、ヴァルハザードが魔獣化して、神聖教団の幹部アゼルローゼやアデラがヴァルハザードの遺言に従い討伐したあとも現在まで続いている。

 人身売買は大同盟が成立した時に禁じられていて、さらに神聖教団が禁欲の戒律から、娼館の経営や個人的な売春を倫理的に悪いことだと罰することを布教している国々に求めたので、エルフェン帝国では、身を売ることやそれを買うことは、恥ずかしいことだという認識が広まって根づいている。


 ターレン王国では、モルガン男爵や女伯爵シャンリー、すでに暗殺されたフェルベーク伯爵などの暗躍で、ターレン王国の法改正、バーデルの都でのフェルベーク伯爵と女伯爵シャンリーの共同出資出資による奴隷市場の建造、今は震災で焼け落ちて再興されてはいないが、女伯爵シャンリーが公営施設として経営する遊郭が作られた。

 王都トルネリカの貧民窟スラムでは現在も売春行為で、その日の糧を得ている若者はいる。

 ブラウエル伯爵領のレルンブラエの街で、一時期は多かった個人娼婦たちは、ジャクリーヌが「誇りを持って生きなさい。身を安売りすることは許さない」と宣言して取り締まりを長年行っているので、売春行為をする者やそれを買う客も身を潜めた。

 フェルベーク伯爵領出身の男娼や娼婦も、王都トルネリカの貧民窟スラムに流れてきている。

 奴婢ぬひの村の刑罰労働や奴隷闘士スレイブ・バトラーとして生きられないと伯爵領を捨て逃げのびた青年や奴婢ぬひの村で王都トルネリカからお忍びで来た貴族たちが、名も無い奴婢ぬひたちを娼婦として買い、王都トルネリカの貧民窟や、辺境地帯の森林地帯なら売春をしても罰せられないと教え込み、伯爵領から出奔する者がいた。


 生きて行くために労働として一夜限りで身を売り稼ぐことが、いつの時代から行われていたのかを考えると、ヴァルハザードの貨幣制度が普及すると同時に広まった商売だといえる。


 エリザのステータスオープンによる、所持金の数値での品物の売り買いや取引が普及した時、ヴァルハザードが意図せずに残したこの売春という負の遺産のような商売は、どうなってしまうのか?

 エルフの王国育ちで箱入り娘のエリザはそうしたことへの知識がなく、また、彼女の心として宿った二十歳の女性も世間知らずで、性風俗をライフラインとして選択し、とりあえず今を乗りきるために内心では嫌なのを我慢して、うしろめたいサービス業に従事している者がいることを想像しきれていない。


 ステータスオープンで、それまでの社会的な地位や資産よりも、他人の幸福感と自分の自尊心をどちらも満足させることで、どれだけ信頼されたり、愛されているかを示している「所持金」のステータスを、生活の安心を求めて増やしたいと考える人はいるだろう。


 恋人や伴侶が見つけられている人は、パートナーから愛されていると感じた瞬間に、体内に巡るプラーナが増え「所持金」のステータスが上がる人もいる。


 いわゆる浮気や興味本位で別に相手を信頼も愛してもいないのに、人生の退屈しのぎだったり、子育ての責任感の土台となる愛情をうまく受け止められず自信がなかったり、自尊心を客の立場を利用して、誰かに特別扱いされることで満たしたい人が、性風俗的な商売をする者を求めた結果、接客する者たちの方が深く心が傷つき不安になったり、そのうしろめたさから、プラーナの安定を失い、客を性的に再起不能にするような怪事件まで起こすことになった。


 ネズミのミッシェルが王都トルネリカで、自分本位の考えに囚われている壮年貴族をかじり、性的に再起不能にした怪事件は、その発端ともいえる。


 聖騎士団の団長ミレイユと参謀官マルティナは、女神ノクティスや、愛する他人からの愛情を疑うことはなく、とてもプラーナが安定している人たちなので、エリザのステータスオープンによる影響を想像してみたけれど、心がどこか荒んでいる人たちがどれだけ深く絶望しているかを想像することができなかった。


 体内を巡るステータスの元となるエネルギーのプラーナが、どうすれば増えるのかを、自分の心の安定やバランスを露骨なまでに示すステータスオープンの能力が普及することで、それぞれの人が自分の心と向き合い、また他人のことを思いやり、その心を想像するようになる。


 想像できる範囲は、それぞれの心の安定や、どれだけ生きてきた間に幸福感や愛情に心が満たされてきたかによってちがう。

 相手の言動や態度からその心を想像した時に、誤解する者たちや、愛情を信じられず自分本位に解釈して、結果的に心を傷つけ合う残念な者たちはいる。


 エリザがダンジョン探索で生計を立ててきた冒険者たちが困窮しないように、現金の貨幣支給より便利と安直に考えてステータスオープンの能力を自分だけでなく、全ての人たちに解放することを目指している。

 エルフの王国にいる女神ラーナの化身である世界樹の精霊族ドライアド娘になった転生者、現在のエルフの王国の女王である僧侶リーナに毎月金貨三十枚分の「所持金」を増加してもらえるように、交渉する気なのである。


 「所持金」というステータスに隠された意味――他人からは見えない心の愛情をどこまで想像して信じてもらえているのかを示し、それはそれぞれが生活していて関わる身近な他人がどれだけ想像力があり、幸福感をどれだけ実感しているかによって、ずいぶん差があることをエリザは、一緒に旅をしているシン・リーやアルテリス、平原やターレン王国で出会った人たちが心が豊かな人たちが多かったので、わかったような顔で聖騎士ミレイユや参謀官マルティナに説明しているけれど、ちゃんと気づいていない。


 どのような環境や人づきあいの中で育ち、自分で人づきあいを選べるようになってからも、どんな心の人たちに出会い人生を愛し愛されて生きているのかによって、それぞれのプラーナの力に、大きな差ができている。


 作物を成長させて現在よりも多く収穫することも、全ての植物の王であり、エルフ族を転生させる女王でもある世界樹の魔法の力で可能ということも、エリザは「ここは聖戦シャングリ・ラのゲームの世界」という思い込みから離れられていないので、食糧を取引する必要が無くなる可能性が発想できていない。


 作物や人間も、耕す土や流れる汗も、空も海も、爽やかに平原を吹きわたる風も、本当は同じエネルギーで、それと同じエネルギーが心や想像力として、誰でも、猫でも、ネズミでも、夢をみる力として授かっていて、亡霊という肉体を離れた残留プラーナのアストラル体になっても持っている。


 そこを理解できれば、かなり世界の可能性がさらに広がるはずなのだ。


 ヴァルハザードは、魔石で自らの肉体を一時的に魔獣化する秘術に成功して、皇子ルルドを殺害して皇帝の証である玉璽を略奪した太守エンユウに復讐している。

 他人への憎しみもまた、同じエネルギーとして世界を変える力となる。


 ステータスオープンは、情報を確認する能力や便利な機能ではない。

 エリザが確認することで、体内を巡るプラーナという一つの世界の在り方が確定する。


 これは占うことによって、吉凶が定まっていなかった状況から、占いの結果を受け止めた人の心の解釈しだいで、一時的な状況が生成されて確定すると言っているようなものである。


 占うことで決まっている運命を知るのではなく、運命を生成しようとしていると魔術師の一族の末裔であるロンダール伯爵は知っている。


 そこが呪術師シャンリーとロンダール伯爵やストラウク伯爵との術師としての実力の差であった。


 呪術師シャンリーは、世界がとても曖昧だけれど、人の心が強く作用する呪法の儀式をすることで望む結果が起こせると理解していたが、呪術の儀式が必要だという思い込みがあった。

 ヴァルハザードも魔石から力を取り込む必要があると思い込んでいた。


 心の想像力で世界の可能性を引き出すように、曖昧な世界を一時的に確定させようとしても、術者の心の安定がなければ難しい。

 心を安定させたり、思い込みを破るために儀式が必要なだけであって、儀式そのものはこれが完璧というものはなく、呪術も祟りたい相手が呪われていると自覚して思い込ませ怖がらせることで、より強力な効果を発揮するため、完璧な呪法も存在しないと、ロンダール伯爵やストラウク伯爵は知っている。


 エリザは女神ラーナの化身の転生者の駄女神樣に世界の人たちの苦情を告げることが、世界を変えるのに必要な手順だと思い込んでいる。


 聖騎士ミレイユは、女神ノクティスと交際中なので思う。


 女神樣というものは、たとえ話し合えたとしても、思い通りになるものではない、そして女神樣も人間に対して、思い通りにはならないと思っている。

 そんな共通の認識ができていて、おたがいそれでもいいと認め合っている。


 それは人間関係で、他人に対してどれたけ自分の思い通りに従わせようとしても無理で、それぞれ思い通りにしか生きていないというのと似ている。


「愛することは相手に対して全肯定するしかないと認めることかもしれないな。自分に対して許したり、肯定できることも、悪くはないさ」

「それが、大切な人にも、いつでも同じようにできるならね」


 フェルベーク伯爵領で、弟子たちに二人の識者である美青年のザルレーとヴァリアンが、エリザの知らないルゥラの都でこのように語っている。




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