第356話

 リヒター伯爵領のトレスタの街に、若き剣士カルヴィーノが、婚姻したシナエルというブラウエル伯爵領出身の乙女と一緒に、クルドという三十代前半の衛兵隊長の手伝いをしながら滞在している。


 カルヴィーノは、あくまで客人であって、リヒター伯爵に官使として仕えているわけではない。

 彼もバーデルの都で私塾を開いている学者モンテサンドの弟子で、気が合う兄弟子の貴公子リーフェンシュタールの故郷について来たのである。


 カルヴィーノは、テスティーノ伯爵の息子である。

 テスティーノ伯爵が獣人娘アルテリスと婚姻した。そのためテスティーノ伯爵のあとは、後継者は伯爵婦人のアルテリスが、女伯爵の称号を与えられ、統治者となる。

 テスティーノ伯爵とアルテリスとの間に子が生まれたら、カルヴィーノを跡継ぎにしたいと望んでいるのは、彼の剣技の師匠であるストラウク伯爵である。


 ストラウクとテスティーノはまだ若い青年の頃、王都トルネリカの騎士団の武芸師範オーシェが在野の士となり、ストラウク伯爵領へ訪れたので、二人で熱心に一年間、オーシェの隠れ住んでいた双子の山へ通い、弟子入りを許された。

 この武芸師範オーシェは、まだ少女だった令嬢ジャクリーヌの気まぐれに巻き込まれた人物である。

 のちにトルネリカの華と呼ばれるジャクリーヌは、少女のうちから目をつけられて、婚姻を申し込まれていた。


「ふふっ、私は、強い方が好き……そうですわね、武芸師範のオーシェ様ぐらいお強い方が素敵ですわ!」


 騎士団の師範であるオーシェは、武芸一筋の美丈夫で、生真面目な男性で色恋の噂は無かった。

 当時、王都トルネリカの貴婦人や令嬢たちからこの三十歳の師範は、とても人気があった。

 令嬢ジャクリーヌとオーシェの面識は無い。オーシェは色恋沙汰のトラブルを嫌い、王宮の舞踏会に顔を出さなかったからである。


 ジャクリーヌと、自分の息子を婚姻させたいと考えた貴族がいた。

 息子のジュゼルとローマン王の御前で試合をして、わざと負けて見せよと、賄賂を添えた密書を邸宅に持参した使者をオーシェは「帰れ!」と一喝した。


 御前試合を、オーシェは王宮に呼ばれ王命だと告げられたので断れなかった。

 子爵ジュゼルは、宮廷議員の息子で、武芸師範のオーシェが手加減するものと思い、調子に乗って挑発した。

 オーシェにしか聞こえない声量で、男好きの好色野郎と罵った。

 無礼な子爵ジュゼルの手首と背中を、オーシェは槍の穂先がない長い棒で、びしっと打ち据えた。

 それは見事で華麗な棒術であった。


 長棒だけを持ったオーシェ対する子爵ジュゼルは、利き手には片手用の刃の鋭いショートソード、反対の手には、しっかりとした丸盾を構えていた。


「勝負あり!」


 歓声の中で、息子が打ち据えられで情けない声を上げる姿を見ていた宮廷議員は、舌打ちして御前試合の観客席から立ち去った。

 ジャクリーヌは好みではない生意気な子爵の青年との婚姻を断る口実ができて満足そうだった。


 この件で、貴族議員の面子を丸つぶれにしたオーシェに代わって半年後、新しい武芸師範が就任し、オーシェは失職することになった。


 そんなオーシェが二十日間ほどで、ストラウクとテスティーノ、このセンス抜群な二人の青年たちには、もう教えることは何もないと感心した。

 少年時代のカルヴィーノは、二人の伯爵が青年時代に二十日間かかった木刀で大岩を割る修行を、十日目で達成した。


 カルヴィーノをストラウク伯爵が、自分の伯爵領の後継者にしたいと望むのには、そうした事情があった。


 リヒター伯爵領で、もう一人、ベルツ伯爵領出身の若い客人がいる。

 ザイフェルトというニ十七歳の武芸者である。

 彼も学者モンテサンドの門人で、カルヴィーノが意気投合して、学者モンテサンドの前に連れて来た。

 ストラウク伯爵領でテスティーノ伯爵と獣人娘アルテリスが、このザイフェルトに格闘の技をみっちりと教え込んだ。


 彼は無我の境地で、一度だけとはいえ組み手でアルテリスを足払いをかけ、押し倒すことに、ザイフェルトは成功している。

 

 カルヴィーノと同じように、ザイフェルトもリヒター伯爵領の誓いの丘の大樹の前で挙式している。

 ザイフェルトの伴侶のフリーデ。彼女には、ブラウエル伯爵とは、腹違いの異母妹という秘密がある。


 ストラウク伯爵はザイフェルトを、師匠の武芸師範のオーシェのような達人だと、ゴーディエ男爵に語っている。


 法術や念力は、師匠のオーシェと同じように、ザイフェルトも修行してみたのだが、まったく身につかなかった。


「特訓を受けて身につけたその技をしっかりと考え、ザイフェルトはしっかり説明して他人に教えることができる。これはすごいことだと、私は思う」


 木刀を毎朝、ストラウク伯爵は素振りする。

 足の運び、握り込みの力加減、背筋を真っ直ぐにする、肘を開く……いくつものコツがあり、それらが合わさって木刀を素早く振り下ろすことができる。

 ゴーディエ男爵も木刀を握り、見よう見まねで振り下してみる。

 しかし、ストラウク伯爵のように素早く振り下ろせない。


 バランスがとても大切なのだと、ストラウク伯爵はゴーディエに語った。


 リヒター伯爵領は、貴公子リーフェンシュタールが留守にしている間、剣士カルヴィーノと武闘家ザイフェルトが、預言者ヘレーネと黒猫のレチェと一緒に守護している。



 

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