夢幻隠世編3

第350話

 フェルベーク伯爵領の問題は、男尊女卑の差別のむごさや他の伯爵領にはない男色文化の特異性だと思われている。

 そんな伯爵領で生まれ育った人たちは、他の伯爵領で生きていくのは難しいのではないかと思われがちである。


 また他の伯爵領から、あえてフェルベーク伯爵領へ移住を希望する者は、ほとんどいない。


 移住者がまったくいないわけではない。けれどフェルベーク伯爵領で移住者は、政治と文化の中心地であるルゥラの都の良民という特権階級として迎えられることはない。


 訳ありで逃亡してくる移住者もいないわけではない。

 評判が悪い伯爵領へ訪れる事情は、生まれ育った土地から追い出された者などもいる。

 しかし、ターレン王国の他の伯爵領の地域では、旅人におもてなしをして歓迎する古くからの風習が残っている。

 フェルベーク伯爵領の地域は、大開拓時代に、激しい住民たちの抵抗があった地域であった。

 抵抗した者たちを捕らえ、服従させるために、他の伯爵領よりも古くから行われていた風習を無視して、あえてしいたげるための制度が元になり、やがて、独特な男尊女卑の差別や男色文化が発展していった。

 統治者の伯爵が血筋で選ばれるのではなく、血筋とは関係なく伯爵自身による指名制であることもこの伯爵領独特の制度である。


 伯爵、良民、賤民、奴婢と大きく分けて四つの階級に分かれていて、見た目の特徴で分かりやすい女性には、名前をつけることも許さず、奴婢ぬひとして生きることを強制した。


 良民が何かしら伯爵領の法律で裁かれると、罪人として賤民に降格させられる。

 賤民と奴婢の階級の者たちは、作物の栽培や、見せ物として闘技場の闘士奴隷バトラー・スレイブとして戦うことが義務とされた。

 賤民は、刑罰として種づけを行い、罪の重さに対応した男子を奴婢に産ませるか、闘士奴隷バトラー・スレイブに登録され、闘技場で勝利数を重ねることで良民階級の最下層の戦士や傭兵という職業につく道を選ぶ。

 奴婢は生まれついての賤民よりも低い身分であると、この伯爵領では考えられているが、法律上では賤民――元老院と呼ばれるルゥラの都の議員選出の投票権とルゥラの都の居住権を持たず、労働の義務がある階級とされている。

 女性には名前を与えないというのは風習であって、法律上で定められたものではない。

 

 傭兵ザルレーと武器商人ヴァリアンは、同じ母親から産まれた種ちがいの兄弟である。


 男子は五歳か六歳ぐらいまで、奴婢の村ではなく、特別地域の街でまとめて育てられ、その後はルゥラの都の良民の元へ引き取られていく。


 同じ子守唄を口ずさんだザルレーとヴァリアンは、同じ母親から産まれたと街で育てられている時に気づいて親しくなった。

 しかし、引き取られた先がちがっていて引き離される。


 ザルレーは、保護者の良民議員を殴りつけて、闘技場コロシアム闘士奴隷バトラー・スレイブとなった。

 ヴァリアントは、移民のバーデルの都から移住して来た商人に引き取られた。

 この種ちがいの兄弟は、闘技場の賭け試合の主人マスター奴隷スレイブという立場で再会した。

 主人マスターは、闘技奴隷の衣食住や試合の装備などに投資する。

 

 主人マスターは、お気に入りの闘士奴隷バトラー・スレイブ寵愛ちょうあいする関係を持つことを許されている。


 こうして再会した二人の青年は駆け落ちをするように、伯爵領から出奔した。これにより、良民であった二人を引き取った保護者は、罪人の賤民となった。


 美青年の種ちがいの兄弟――傭兵ザルレーと若き武器商人ヴァリアンは旅から戻ると、ルゥラの都の旅人の識者として人気を集め、ルゥラの都の良民たちからの署名を集めた嘆願書が元老院へ提出された。

 出奔した罪を恩赦され、元老院の議員でもまとめ役の名士である元老という地位の人物たちと肩を並べる名士となった。


 領外から移住する旅人が、メイドなど名を持つ女性を連れていることはある。名を持つ女性は奴婢ではなく、しかし元老院の議員選出の投票権を持たず、移住者を管理責任者として所有を許される。


 ザルレーとヴァリアンは、世界の摂理について、踊り子アルバータとルゥラの都を目指す旅の途中であれこれと語り合った。


 生まれ変わりについて、踊り子アルバータは美青年の恋人たちの二人からおもしろい話を聞くことができた。


 人は逝去すると肉体分のエネルギーと分離する。残り分のエネルギーは、大いなる混沌カオスに取り込まれるか、風や土などに取り込まれたりする。

 他の逝去した者の残りのエネルギーや例えば風や土、草花などからの逆にエネルギーを分けてもらい寄せ集めの集合体として一つに融合すると、大いなる混沌カオスに取り込まれる前に、生まれ変わってくることができる。


「私たちが人として産まれてくるのは、偶然なのね」

「アルバータにそう言われると、本当に身も蓋もないな」


 ヴァリアンがそう言うと、ザルレーが「そうだな」と短くぶっきらぼうに同意した。


 生まれ変わりの前に、エネルギー融合したアストラル体が出来上がる。その時に、同じプラーナを分け合い宿しているアストラル体が生まれ変わってくると、同じ命の力を宿した者となる。


「同じ命の力のプラーナが宿った者は、心が呼び合うように意識し合うことがある。意識し合う時に敵対心を抱くのか、親しみを抱くのかは決めつけられない」


 ザルレーがアルバータに語りながら、焚き火に小枝を足した。


 同じプラーナを宿した他人と出会い、恋に落ちることがある。

 ザルレーとヴァリアンは、自分たちがどうして恋をする相手が他の誰かではないのか、他の誰かでは許せないのかを魔導書グリモワールの蛇神祭祠書に心の中で質問した。

 思念で語りかけてきた魔導書からの回答が、生まれ変わりの時に同じプラーナを分け合った相手とは、プラーナが呼び合うように心が意識し合うという内容だった。


(ゴーディエと私に同じ命の力が潜んていて、心が呼び合っていたという考え方は嫌いじゃないわ)


 踊り子アルバータは奇妙な魔導書が思念で語りかけてきたのには驚かされたが、ありがたいお告げだとすべてを信じて行動する気になれない。

 ザルレーとヴァリアンの帰郷に同行しているのは、世界の摂理に興味を持ったからである。


 踊り子アルバータは祈祷の舞いを踊る時に、体内のプラーナが全身に巡るのを感じる。

 プラーナがあるかどうか、チャクラがあることも、ザルレーやヴァリアンは自分では実感できなかったが、魔導書に指先がふれた瞬間に、命の力を実感した。


 ルゥラの都のクーデターを美青年の恋人たちと達成したアルバータは、ゴーディエの行方の情報をつかんだ。


 今、アルバータは美青年の恋人たちの二人から離れて一人旅をしながら、二人が語った世界の摂理を眠る前に思い出している。


 ゴーディエと再会しても、アルバータは王都トルネリカにすぐに帰ることはできないだろうと思っている。

 ゴーディエがランベール王の不在の王都トルネリカに帰還して、落ち着いたあと、アルバータを迎えてくれるまで待つ期間があるだろう。

 待つあいだザルレーとヴァリアンの暮らすルゥラの都にしばらく滞在するのも悪くないと、アルバータは思う。


 ザルレーとヴァリアンは心の力の導くままに、他人を愛せばいいとルゥラの都で語り、賛同した弟子たちもできたが、内心では、二人っきりで旅暮らしをしている方が気が楽だと思い始めていた。


 引き取られてどんな大人との暮らしが待っているのかを、子供は選ぶことはできない。

 ザルレーのようにどうしても許せずに反発して罪人になる者もいる。ヴァリアンのように耐えて、周囲の常識に合わせることで心に負荷をかけながら、じわじわと心が死んでいくような感覚に陥っていく者もいる。

 自分たちは一度、二人で愛し合う自由を求めて、重罪人にされる覚悟で伯爵領から逃亡した。

 そうしないまま大人の良民になった者たちは、自分たちにできたのだから、引き取った子も耐えきれると思いがちである。

 自分の人生は、自分で選ぶことができるということに、虐げられた子が大人になって気づくまでにとても遠回りをさせがちの考えを大人は抱かせがちである。


 大人が子供を否定しない、判定しない、アドバイスもしない。それだけで、子供が自分の心と向き合う時間を作る余裕ができる。


 たとえ二十歳で成人になったとしても、蕾が花を開くように、自分の心に素直な人生を歩んでいて幸せだと感じるまでに、さらに十年以上かかるのが、この伯爵領では当たり前で、また女性は心の自由に気づくことがないまま、一生を終えることもある。

 ザルレーやヴァリアンは世界の摂理を語りながら、語り合う人たちの抱えている悩みを聞いていることしかできない。

 それが二人の気が重くなる原因なのだった。

 

 踊り子アルバータに、伯爵領の伯爵としての政務や人づきあいを丸投げして、自分たちはのんびり二人で、とりあえずゼルキス王国あたりに旅立つための裏工作を、こっそり進めている。




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