第337話

 左胸――心臓の真上に手をあて長身の身体を丸めて倒れ込んでいるゴーディエは苦しげに、目を閉じてうめき声を上げながら屋敷の裏手で降りだした雨に打たれていた。


 魔族の血を求める渇望が、ゴーディエの呼吸を雨音と雷鳴の轟きの中でひどく乱している。


 踊り子アルバータは、ゴーディエのような発作的な渇望の苦しみを知らない。

 ゴーディエは密偵ソラナと関係を結ぶまでは、フェルベーク伯爵領の罪人が送られる奴婢の村で、渇望を鎮めるために、血の生贄から吸血していた。


 欲情やもっと荒々しいものが混ざり合った感情の嵐が、心臓を激しく打ち鳴らす。

 奴婢や酷い呼び名では豚と呼ばれているが、王都トルネリカの貴婦人や令嬢と変わらない容姿の女性の首筋に牙を立て、その傷口から溢れる鮮血を飲み込む。

 ゴーディエに血をすすられるたびに、髪を振り乱し、身をのけ反らせて、やがて全身を痙攣させる血の生贄たちは、意識が飛ぶほどの高揚感に声を震わせた。

 ゴーディエの脳裏にきついたように、血の生贄となった者たちの熱い吐息や、泣きなから高揚感の限界を訴える声が鮮明に思い出されて、降り続ける雨音と重なり合って止まない。


 無人島で、生物を見つけると襲いかかり、骸骨のその残された身を補うかのように、犠牲者の血に塗れようとするスケルトンの船員や船長も、ゴーディエのような渇望に心が囚われていた。


 目を閉じているゴーディエは、血を捧げながら息絶えるまで、しがみつき吸血を懇願する犠牲者たちの姿がまぶたの裏で幻のように浮かび上がり、その感触まで生々しく思い出されてくるのを、唇を噛みしめて、この悩ましい幻よ消えろ、もう許してくれと願う。


 気絶しているゴーディエを見つけた賢者マキシミリアンは、抱え上げてストラウク伯爵の屋敷に運び込んだ。


「ソラナ、ゴーディエはどこか体が悪いように思えないが、ひどく眠ったままうなされ続けている。急に倒れ込んで気絶するようなことは、よく起きるのかね?」


 ストラウク伯爵がゴーディエの眉間のあたりに手をかざして、すぅっと深く息を吸い込んで、苦しげな表情を覗き込んだまま、念の力をゴーディエに流し込む。


(肉体を巡る気が逆流して、心臓のあたりで凝り固まっているような感じであったが……ふむ、これで落ち着いてくるだろう)


 枕元にいるソラナが、自分たちの肉体に起きた変化を打ち明けるべきか迷いつつも「ありがとうございます」とストラウク伯爵に言って、ゴーディエの手を握った。


 ついさっきまでは、ひどく汗ばみ熱を持っていたゴーディエの手は、どこかひんやりとした感じのいつものゴーディエの手の温もりに変わっていた。

 苦しげな表情は消えて、ただ眠っているだけのように見えた。


「ゴーディエが目を覚ましたら、山の岩清水の白湯さゆを飲ませるとしよう。目を覚ましたらマリカに声をかけなさい」


 ストラウク伯爵はゴーディエとソラナを残して、布団を敷いた部屋から離れた。


 プラーナ、またはストラウク伯爵からは気とも呼ばれ、大神官シン・リーであれば魔素マナと説明する肉体と心を結びつけているエネルギーが存在する。

 気とは、全身を爪先から髪の毛の先まで巡るものである。


 エリザがこうした説明を聞いても、健康に関係する栄養素の話かしらと言うかもしれない。


 チャクラというのは、気を全身に巡らせている中継地点であり、代謝たいしゃするためのところでもある。


 代謝というものは、肉体の生命維持に必要なエネルギー変換のことである。


 食事をするということを、代謝で説明するなら、栄養素が含まれる食物を内臓という器官で摂取することで、たとえば熱エネルギーに変換して体温を維持している。

 また脳内では、電気エネルギーに変換して、情報の伝達を行っている。

 食べ物が、体温や脳波に変換されている。


 エネルギーの変換は、魔獣の王の冥界だけではなく、また時の番神アテュトートによって夢幻の隠世で行われているだけではない。

 人が生きていく上で、意識せずに、日常的なもの生存活動として体内でも行われている。


 気またはプラーナやチャクラというものは、食べ物や臓器のように目に見えるものではない。

 

 ゴーディエの気が凝り固まっていたと、ストラウク伯爵は感応力で感じ取ったチャクラの位置は、ハートチャクラと呼ばれている心臓の位置であった。


 頭の登頂から、骨盤底や肛門までチャクラで意識しやすいものとして大きな七つの位置があるが、正確には、肉体には微細な小さなチャクラが星の数ほどある。

 エネルギーが通過して、各チャクラが連動していることで体調や心の感情に影響し合っている。


 その小さなチャクラの集合として、体の七つの位置としてまとめて考えると、チャクラというものを感覚として意識しやすいということなのである。


 七つのチャクラのうちハートチャクラは第四の位置にあたる。

 七つのチャクラのうち第一チャクラから第三チャクラと第五チャクラから第七チャクラを中継しているのが、第四チャクラということになる。


 ソラナは、ストラウク伯爵の伴侶である巫女のマリカから、気やチャクラという考え方を教わって考えてみるが、なかなか理解できないものなのだった。


 大神官シン・リーが、秘術【浄化の矢】で、神聖教団のアゼルローゼとアデラの心臓のあたり――第四チャクラを狙い撃ち活性化させたことで、他のチャクラにも全身に魔素マナあるいはプラーナを急激に巡らせて、魔族ヴァンピールから人化という変身メタフォルフォーゼを起こさせたと考えることができる。


 女神ラーナの加護している世界や、降臨した雄雌一対の神龍シェンロンの力が拡散され地上世界と統合した天界を、第七チャクラから第五チャクラ、魔獣の王の冥界や邪神ナーガの創り上げた新世界が第三チャクラ、第二チャクラ、大いなる混沌は第一チャクラと考えるとすればどうか?


 女神ノクティスが、眠った神龍シェンロンたちや、眠る生物の夢の力で創り上げた夢幻の隠世かくりよは、第四チャクラであるハートチャクラにあたるといえるだろう。


 ストラウク伯爵はゴーディエの眉間のあたりにあるチャクラを、念の力と呼ぶプラーナの流れで活性化させ、ゴーディエのハートチャクラの異変からの影響を緩和させた。


 全てのエネルギーは、循環している。そして、世界と同じように肉体というものにも、プラーナというエネルギーの循環が行われていて、変容バージョンアップが起きている。


 さて、エルヴィス号が、陸地が見当たらない大海の夢幻の隠世に渡り、邪神ナーガが飛行帆船による潜水という試みに挑むことで、どんな変容バージョンアップが、世界にもたらされようとしているのか?


 ストラウク伯爵がゴーディエに行った施術という出来事も、世界の運命という大きな流れの中で、それぞれが意識してはいないとしても、まったく無関係ではないのであった。




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