第335話

「おーい……って呼んで出てくるわけないか」


 令嬢エステルの姿のナーガが、左舷側の甲板で「おーい!」と呼んでみている声を、甲板の右舷側を見廻りしている船員の青年が聞いてクスッと笑った。


 陸地が無いと大騒ぎになる前夜に、それぞれ船員たちは、子供の頃に親たちから聞かされたことがあるマーメイドの昔話を思い出して「神聖教団のおじょう」に話した。


 ナーガには新しいあだ名がついて「お嬢」や「神聖教団のお嬢」と呼ばれるようになった。


 停泊中ということで、エルヴィス号は、船底を海水につけ、ぷかりと浮かばせている状況である。


 呼んでみたら、マーメイドが波間に顔を出したという昔話があると聞いたからだろうと船員の青年も「おーい!」と海に声を上げて叫んでから、声を上げて笑った。


 停泊三日目、予定では今日の午後か夕方にはエルヴィス号のエネルギー充填が完了の予定である。


 ナーガが海を眺めながら考え事にふけっているけれど、船員たちからは「お嬢は海が、よっぽとめずらしいんだろうな」と噂されている時、クォーターマスターの海賊ガモウは、エルヴィス提督と船長室で話し会っていた。


 飛行帆船は、行ったことのある航路の海図を全て記録している。

 船長は操舵室の船長の椅子にゆったり腰かけ、両脇の手すりに腕を乗せて目を閉じていると、その海図と現在の飛行帆船の位置情報を知ることができる。


 これはエリザの【ステータスオープン】と、感覚としては似ているものである。

 頭の中に、海図と船の向きを▲の記号で示した情報が浮かんでくるのである。


 エルヴィス号が着水した日から陸地が無かったことは今まで一度も無かったので、海図ではここがシャーアンの都の港であることになっている。


「エルヴィス坊っちゃん、また、あの濃霧の海域に戻りますか?」

「神聖教団のお嬢さんの言う通りなら、未知の海域で漂流中だ」


 戻れないだろう、とエルヴィス提督は海域ガモウに言った。


「ガモウ、この帆船が飛行だけでなく、潜水できると思うか?」

「聞いたことがありませんな」

「濃霧から抜け出したら、陸地が無いことだって、聞いたことがない話だ」


 昨日の夜、ナーガが船長室に一人で来て、エルヴィス提督に、この帆船は潜水できると言った。


「たしかに神聖教団のお嬢さんの言う通り、真下の方角に進路を定めて動かせば潜れなくはない」

「浸水するでしょう?」

「浸水しない方法があるようだ」


「帆布から、この帆船を包むように魔力の障壁を張ることができるのか?」

 とエルヴィスは昨夜、この帆船に質問してみたところ、その答えは可能だとわかった。


「しかし、この帆船の船員たちには海上へ浮上するまで眠ってもらう必要がある」

「エルヴィス坊っちゃんとお嬢ちゃん以外の全員が眠る必要があるというわけですか?」

「そういうことになる」


 邪神ナーガは、船員たちの夢の力を法術として活用する提案を、エルヴィス提督に持ちかけた。


「ガモウ、私はこの真下の海底に何があるのか興味がある」

「エルヴィス坊っちゃん、できることがそれしかないのであれば、やってみる価値はありますぜ」


 エルヴィス提督は、海底で魔法の障壁が損なわれたら、全員溺れて海の藻屑になると海賊ガモウに説明した。


「ぐっすり眠ったまま、浸水してくたばるなら、自分がくたばったことにも気がつかないかもしれませんな」

「……ガモウほど度胸がある海賊はいない」

「あまり褒められた気がしませんな。普通の船乗りは、くたばらないように必死な奴ができる奴ですから」


 エルヴィス提督は、船員たちを説得できるか、と海賊ガモウに言った。


「神聖教団のお偉いさんたちは、あっしらみたいに船乗りじゃないですからな」

「あの二人は、エステル嬢が説得すると言っていた」


 乗船して航海に出たら、一蓮托生いちれんたくしょうで、帆船と船長に命をあずける覚悟ができている連中を、海賊ガモウはスカウトして集めたつもりである。


 エルヴィス提督とクォーターマスターである海賊ガモウの話し合いは、さほど時間はかからなかった。眠った船員は、眠っている間は、飲まず食わずで七日間は平気らしい。

 食糧と飲み水の節約という意味では、これはうってつけの手段だと、エルヴィス提督と海賊ガモウにもわかった。


(エルヴィス坊っちゃん、眠っていても、起きていても、あっしらはエルヴィス号と坊っちゃんに命をあずけているのは同じ。

だから、そんな顔をして気にすることはありませんぜ!)


「君たちは眠っている間に、このエルヴィス号と同調した夢をみるだろう。自分の帆船を持った時に船長の椅子に座ってどんな感じがするのかを体験できるよ」


 食堂室で夕食後「神聖教団のお嬢」ことナーガは船員たちの前でそう言った。

 いつかは自分の帆船を持って船長になりたいと思っている船員たちは、七日間の眠りでどんな体験ができるのか、ちょっとわくわくしていた。


 料理長ベラミィは、七日間の眠りは退屈だと思った。

 ベラミィは、自分の帆船を持って船長になる気はまったくない。

 船員たちの恋愛関係を想像しながら、日常の生活の様子を眺めているほうがいいという趣味を持っている。


「エステルちゃん、その話は本当なの?」

「ベラミィ、みんなには内緒だからね。船長のエルヴィス提督も、これは知らないことだよ」

「なんだか、それを聞いたら楽しみになってきた!」


 夢をみている船員たちは、亡霊のように肉体から心が離れて、自分の思い人のところに思いが強いほど行ってしまう。

 その一部始終を、眠っているベラミィの心は、船員たちに見つからないように覗き放題ができるとナーガは教えたのだった。


 


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