第331話

 濃霧の海域の航海は、まさに五里霧中の状況である。

 エルヴィス提督とガモウが、無人島に到着する予想よりも五日間ほど遅れている。


 料理長ベラミィから、クォーターマスターのガモウが、食材の在庫の量や酒と飲み水の量の報告を受けた。


「エルヴィス坊っちゃん、今のうちに一度引き返しますか?」

「そうだな」


 船長室で、エルヴィスはガモウの意見に同意した。

 船に積み込んである食糧や飲み水が不足したり、底が尽きそうになっているわけではない。


 シャーアンの都へ引き返す。

 アゼルローゼとアデラ、そしてエステル嬢――正体は邪神ナーガは、船長室へガモウから呼び集められて、エルヴィス提督から説明を受けた。


「見切りの判断が素早いね、エルヴィス提督。一ヶ月の航海が可能なように食糧や飲み水と酒は積み込んであったはずだよね」

「そうだ。あとこの船の推力もまだ余力がある。だから、今なら引き返せる」


 海へ出て限界までは航海できると考える船長の船には、乗ってはいけない。

 これが、他の貿易船に救助される海賊船が陥る典型的なミスである。商業ギルドに加盟せず、安上がりで儲けを得ようとする考えを持つ船長の帆船の航海は、まだ大丈夫だろうというところで引き返さずに、ギリギリになってから引き返そうとして、途中で動けなくなってしまい、救助要請を他の貿易船に出すことになる。


「うん、わかった。アゼルローゼとアデラもこれでいいよね?」

「もう、霧だらけの光景は見飽きました」

「ええ、私たちも船長の判断に、異存はありません」


 エルヴィス提督はこの依頼者たちが、もっとごねるものと思っていた。


 せっかくここまで我慢して航海したのだから、と神聖教団の三人が言い出すと思っていたのは、ガモウも同じだった。


 操舵室の船長の椅子にエルヴィス提督は腰を下ろして、目を閉じてシャーアンの都の港までの航路を思い浮かべる。

 濃霧の中で、飛行帆船は空中でぴたりと停止している。


(船が止まった。ということは、今回は引き返すのね!)


 料理長ベラミィは、港で帆船から降りる前に受けとる報酬を、航海日数から予想し始めた。


 乗組員の船乗りたちは、契約した予定日数よりも航海日数が短くても、長くても、契約で決められた報酬を受け取ることができる。

 料理長ベラミィやクォーターマスターのガモウは、日割り計算で報酬を受け取る。

 航海日数が長いほど、苦労する役割の船員は、普通の船員とは別の契約内容となっている。


 貿易船の航路ではない商業ギルドの掟破りである船旅に、いくらぐらいの口止め料を協力した船員たちに渡せるのかは、神聖教団の依頼者たちが裕福だとしても、依頼された目的地へ到着できなかった以上、あまり高い金額は請求できないとガモウは考えて、また酒を一杯飲んだ。


 船乗りたちは生活がかかっている。それなりの金額を払ってやりたいのが、ガモウの本音である。

 クォーターマスターは、会計係も兼任している。


 エルヴィス号がゆっくりと旋回して、濃霧の中を進み始めた。


 ナーガだけが気づいている。

 エルヴィス号は、シャーアンの都ではないところへ帰ることを。


 怪しい幽霊船に遭遇したり、巨大なクラーケンに船が襲われたりする物語を、ナーガは食後、食堂室にいる船員たちの前で語り聞かせ始めた。

 平穏無事な船旅に退屈しきっている船員たちは、見た目からして育ちが良さげなエステル嬢が、ちょっとおかしな口調で話す物語に引き込まれていった。


 それが本当にこの海域で過去に起きた出来事であるとは、まったく思わずに、ナーガの話に耳を傾けている。


「君たち、アテュトートには気をつけたまえよ」


 闇夜のごとし漆黒の羽のふくろうを見かけても、まじまじと見つめて、目を覗き込まれてはいけない。


「それはどうしてなんだい、お嬢ちゃん」


 シャーアンの都で見たことがない鳥の特徴を聞いて、船乗りたちが見てみたいと興味を持ったところで、ナーガがそんなことを言い出す。


(どこかに渡らされたら戻れなるかもしれないから、ヤバいって言っても、理解できないだろうな)


 ナーガは船乗りたちに、アテュトートに見つめられたら、ふらふらとどこかに歩いて行って戻って来ないと話した。


 幽霊船や大烏賊おおいかクラーケンよりも危険なものに、これから遭遇するかもしれないと、ナーガは教えようとしている。


 マーメイドのことを先日、ナーガと話していた料理長ベラミィが船乗りたちに、マーメイドの昔話を聞いてみると、いろいろな話が出てきた。

 ベラミィから、エステル嬢がマーメイドの昔話を聞きたがっていたと船乗りたちが聞いて、声をかけてきた。


 これはいい機会だと、ナーガは船乗りたちに、このあと遭遇するかもしれない、時の番神アテュトートのことを話すことにした。


 翌日の午後、濃霧の海域を抜けて、内海から見えるはずの陸やシャーアンの都がすっかり無いことに気づいた見張り当番の船員が、慌てながら、ガモウに知らせてきた。


 時の番神アテュトートが監視している世界に、エルヴィス号ごと渡る。

 女神ラーナの加護している世界から、魔獣の王や邪神ナーガの世界に強制送還される前に、女神ノクティスの創り出した夢幻の隠世かくりよに避難してみる。


 聖騎士の試練で、ミレイユは生きて肉体ごと、女神ノクティスの創り出した世界へ渡って生還していた。


 幽霊船やクラーケンの出現の予兆のように、濃霧や大嵐などの気象の変化が発生している。


 女神ノクティスが、魔剣に変化して、女神ラーナの加護する世界へ渡ってしまった。


 その結果、ナーガの創り出した新世界から航海中に遭難した帆船や海で育成していた魔獣クラーケンが、女神ノクティスの夢幻の隠世を経由して、女神ラーナの世界へと召喚されてしまったのではないか?


 海賊ガモウと海賊の娘ルディアナが、エルフ族のセレスティーヌと行ったという無人島が存在するのが、女神ラーナの加護する世界ではなく、女神ノクティスの創り出した世界であったとしたら?


 女神ノクティスが、時の番神アテュトートに任せっきりで創り出した世界から離れているために、邪神ナーガの創り出した世界や女神ラーナの加護する世界との通路のようなものができてしまっている可能性があると、邪神ナーガは考えた。


 そこで、神聖教団の幹部の二人や、エルヴィス号に乗船している全員を巻き込んで、ナーガは、異世界渡りを試してみたのだった。


 



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