第314話 

 ゼルキス王国とターレン王国の間にある辺境地帯は、どちらの王国の領地でもない。

 神聖騎士団が魔獣の王ナーガの異世界と通じるゲートを破壊したあとは、人のいない廃墟の村があり、群れで徘徊している腐れた野犬がうろつく地域となっている。


 もともと人が暮らすには適していない土地であることを、ゼルキス王国の歴代の国主たちは、初代国王の英雄ゼルキスの最後の戦いについて王家の秘密として語り継ぐことで知っていた。


 フェルベーク伯爵領生まれの武器商人の貴族ヴァリアンと傭兵ザルレーは、神聖騎士団の戦乙女たちの死闘や、腐敗した牝オークと遭遇した英雄ゼルキスの物語を知らない。

 しかし、辺境地帯にターレン王国から脱国した村人たちが隠れ住んでいるという噂だけを、フェルベーク伯爵領の闘技場の武器庫から盗み出した品物を、潜伏していたバーデルの都の闇市で高値で売りさばいた時に別の商人から聞いたことがある。


 フェルベーク伯爵領から、商業都市であるバーデルの都、ブラウエル伯爵領のレルンブラエの街、ロンダール伯爵領のフィーガルの街、パルタの都と渡り歩いて逃亡中の武器商人ヴァリアンと傭兵ザルレーは、ゼルキス王国への亡命を考えている。


 王都トルネリカと国境の先まで続く埋め込まれた煉瓦が蛇の鱗、曲がりくねっている長い一本道が蛇が這い進む姿に似ていると古くからある街道のことを「蛇の道」とターレン王国の人たちは呼んでいる。


 ゼルキス王国への亡命が可能であれば、ゼルキス王国の王都ハーメルンはとっくにターレン王国の亡命者たちの子孫だらけになっているはずなのだが、エリザが王都ハーメルンを訪問した時は、そうなっていなかった。


 大陸西域のゼルキス王国は、広さでいえばターレン王国の半分以下の領土しか持たない小国。

 それは東にある大湿原や山岳地帯が耕作に適していない地域であることも関係している。

 現在の国王レアンドロやマキシミリアン公爵が、この大湿原を人の暮らしやすい土地にする開拓を行わないのは、歴代の国王たちが大湿原の開拓事業に失敗している事情がある。

 ゼルキス王国で暮らす人たちの飲み水に関係している。

 大湿原のおかげで山からの水が浄化されて、王都ハーメルンの井戸水を清らかにしているという事情がある。

 王都ハーメルンは古い石造りの街となっている。もともとこの土地に暮らしていた人たちが何らかの事情でいなくなってしまったあと、英雄ゼルキスと大陸の中原からの流民たちが残された廃墟の跡地に住みついた。


 大陸西域には謎が多い。

 マキシミリアン公爵と賢臣ヴィンデル男爵の孫にあたるゴーディエ男爵は、ストラウク伯爵も交えて話し合っていた。


 ゼルキス王国とターレン王国では果実酒が流通している。

 この果実酒を大量に生産しているのは辺境地帯で暮らしている無国籍の村人たちである。

 エリザや酒好きの獣人娘アルテリスは、ベルツ伯爵領の村でも梅酒のような果実酒が作られているのを、実際に村人たちからおもてなしをされて味わったので知っている。

 だが、ゼルキス王国とターレン王国の広範囲に、ベルツ伯爵領の村人たちは村の果実酒を販売したりはしていない。


 果実酒を売り歩いていたのは、獣人族の幌馬車に乗った商人たちだったが、近年では王都トルネリカでもその姿を見かけていない。 

 古い果実酒は年代物の古酒クースーとして、その希少価値から、貴族たちの間では高額で取引されている。


「マキシミリアン殿、時を越えて獣人族の行商人が辺境地帯から酒を仕入れて、別の時代に来て売り歩いていたというわけですか?」

「ストラウク殿、そう考えると辻褄つじつまが合う」


 大陸の北方ルヒャンの街やその周辺には、人間はめずらしく獣人族ばかりが暮らしている。


 細工師ロエルが少女の頃に、ドワーフ族の師匠からはさみを初めて制作して腕を認められてルヒャンの街にある工房を受け継いだ。

 それは、十年ほど前の話であって、さほど昔の話ではない。

 しかし、青年のセストがロエルの工房へ弟子入り希望で訪れた時には、錆びた鋏を持ってきた。

 仕立て屋であるセストの祖父母の遺品である鋏には、ロエルの銘が刻まれていた。

 セストの祖父母たちはどこかの大市場の都で、その鋏を獣人族の行商人から手に入れたらしいと、セストは親たちから聞いていた。


「バーデルの都にセスト君の祖父母は来て、市場で鋏を買った。その鋏がこれというわけですか?」


 ゴーディエ男爵は、美しい光沢がある研ぎ澄まされた鋏をセストから渡され、手に取りながめながら言った。


 話を聞いているストラウク伯爵の伴侶の村娘マリカと密偵ソラナの乙女たちも首をかしげながら、ゴーディエ男爵の手にしている布切り用の鋏を見つめている。


 十年前に少女のロエルが錬成して制作した鋏を、獣人族の行商人が買い取った。

 獣人族の行商人がバーデルの都で、セストの祖父母に布切りにちょうど良い鋏を売った。

 セストはその遺品の錆びた鋏を使えるようにできる人を探して、獣人族の街ルヒャンに、平原地帯の街から四年間ほど旅をして訪れた。


「ところがセストの故郷の街というのはジュシュンという名前の街なのですが、エルフェン帝国のトービス男爵によると、エルフェン帝国が成立するより前にあった街らしいことはわかりましたが、今は何もない平原となっています」


 そう話したセレスティーヌは、マキシミリアンの顔をちらっと見た。マキシミリアンがうなずいたあと、また話を続けた。


 セストは旅の途中で奴隷商人に売られている奴隷たちを見た。さらに、セスト自身も、旅人を捕まえて奴隷商人に売り飛ばそうとする宿屋からこっそりと逃げたことがある。


「獣人族と人間の若い女性や少年たちが奴隷として売り買いされていたのは、エルフェン帝国ができる前の時代の話で、そうしたことをエルフェン帝国の建国時からの法律は禁じている」

「マキシミリアン殿、ではセスト君は、旅の途中でくたびれて迷っているところで、時を渡る獣人族の行商人に過去の時代から拾われて、ルヒャンという街のロエルさんの工房にやって来た……ということになりますよね」

「ゴーディエ男爵、実は私も過去の時代へとうっかり渡ってしまったことがある」


 マキシミリアン公爵は親友のクリフトフと、ニアキス丘陵のダンジョンの瞬間移動ワープの魔法陣で遠出してみたら、過去の時代に渡って、エルフの王国の姫君セレスティーヌと恋に落ちて、駆け落ちした話をゴーディエ男爵と密偵ソラナに語った。


「セストの生まれ故郷の街は、その時代の地図にはなかった。もっと前の時代から、セストは来たことになる」


 マキシミリアン公爵は、こうした怪異が引き起こされている原因が、参謀官マルティナの魔石に何らかの異常が発生して、引き起こされると考えた。

 魔獣の王ナーガが地上に存在していた時代から、ハイエルフ族が他の種族と協力して討伐した魔獣が出現する可能性もあるので、ターレン王国へ訪れたことを、ゴーディエ男爵と密偵ソラナに説明した。


(それなら、マキシミリアン殿たちは、急いでそのマルティナという人のところへ行かないといけないのでは?)


 ソラナは術者で、ロンダール伯爵領のドレチ村には、めずらしい謎だらけのマーオがいるのを知っているので、魔獣というものが遠い過去の時代に存在していたことも理解した。

 

 ゴーディエ男爵は、あまりに荒唐無稽こうとうむけいなマキシミリアン公爵夫妻の話に理解が追いつかずに困惑してしまった。


 逆さ刻印の赤錆び銀貨の影響力を、ブラウエル伯爵領のジャクリーヌや獣人娘アルテリスがこの場にいれば、ゴーディエ男爵に何か関係あるのではないかと話すかもしれない。


 古都ハユウで少年ゲールが研究施設の特別区から逃げ出して来たホムンクルスの少女……この時はまだ名前がなく、ただ108号と数字で呼ばれていたマルティナと出会ったのは、実は100年以上も過去の話である。

 神聖教団の幹部アゼルローゼやアデラは、蛇神祭祀書を神聖教団の本部から奪い行方をくらました逃亡者ゲールは、とっくに老いてくたばっていると思っている。

 ホムンクルスの少女の遺体が魔石の力で蘇生してから、修行者の寄宿舎にあずけられるまで、長い期間、研究施設に観察のために閉じ込められていたのである。


 幻術師ゲールも、時を渡ってきて逃亡してきた人物である。

 そして、ターレン王国で暗躍していた呪術師シャンリーが、病に蝕まれた旅人から呪物の蛇神のナイフを譲り受けたのは、いつの時代の、どこの地域だったのか?


 それは時の番神アティユトートの異世界が記憶している情報を、何かしらの手段で検索してみるしか知る方法はないだろう。



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