第313話
学者モンテサンドが自分の人生の幸せを代償にして、ターレン王国の変革を進めることが自分の役割だと信じ込んで行動しようとしていた。
誰かに認められたいという気持ちが、学者モンテサンドとエリザを比べてみれば、学者モンテサンドのほうがとても強い。
エリザはこの女神ラーナの加護する世界に、世界樹からこの世界でただ一人だけのエルフ族ではなく特別な人間として、元エルフ族の女王で現在はエルフェン帝国の女王陛下エルネスティーヌとその他のエルフたちから愛され、尊ばれてきた。
さらに、神聖教団の宣伝効果で信者たちからは、聖女として親しまれて愛されている。
転生してきたその日の朝は、エルフェン帝国の宰相の就任式の当日であった。すでに執事のトービス男爵をふくめて帝都の人たちから愛され、その地位が約束されていた。
学者モンテサンドはどうだったのかと考えてみれば、十七歳で即位したローマン王が、後見人の賢臣ヴィンデル男爵が死去して三十二歳になりようやく権勢をモルガン男爵を従えることで握ったために、宮廷議会の権力の移り変わりの影響を、モンテサンドの人生は受けてしまった。
若くしてゼルキス王国の視察団に同行が許されたほど優秀な官使であったモンテサンドは、将来的には宮廷議会で官僚として活躍すると、モンテサンド自身だけでなく、モンテサンドを支持していた当時のバーデルの都の統治者バルテット伯爵も信じていた。
十二代目国主ニクラウス王と賢臣ヴィンデル男爵の時代とは、十三代目国主ローマン王と宮廷議会の重鎮モルガン男爵が権勢を握った時代とターレン王国の方針に変化があった。
ローマン王はゼルキス王国から両国の間のどちらの王国の統治外であった辺境地帯の利権を奪いたいと考えていた。
十二代目国主ニクラウス王と賢臣ヴィンデル男爵、そして、若きモンテサンドもゼルキス王国とは親好を深めることで魔法技術を導入して、ターレン王国の発展させることを理想としていた。
モンテサンドは、モルガン男爵の派閥と対立する考えの優秀な官使として警戒され、バーデルの都での謹慎を命じられた。
エリザと比較すれば、あまりにも、モンテサンドの命や
在野の士として身を潜めたモンテサンドの考えに共感して、リヒター伯爵は息子の師としてモンテサンドを学者として抜擢して、再び官使への復帰する人生を与えてくれた。
しかし、タイミングが悪く、パルタの都にはモルガン男爵と結託して宮廷議会を無視して王の権威で国の方針を決定しようとするローマン王の暗殺に関与したベルマー男爵が、パルタの都の執政官の地位を見返りに求め、赴任してきたのである。
モンテサンドはベルマー男爵との関わりを避けながら、弟子たちを育てつつ、密かにベルマー男爵の被害者たちの治療を行う必要があった。
ターレン王国の歴史にその名を残し、ターレン王国の変革を目指すという若い頃からモンテサンドが抱いている理想は、どうにかして他人から愛されて生きたいという気持ちとつながっていた。
しかし、理想のための手段のために自らの命を犠牲にする計略を実行しようと、現在のモンテサンドは準備をしている。
モンテサンドの考えているターレン王国の変革と、モンテサンドという一人の人物の人生の幸せ、ただ愛されたいという思いとの間には、シャーアンの都からクフサールの都ほどの遠さがある。
それは戦場で戦わなければ生き残れないと死を覚悟している兵士たちが、どれだけ必死に恐怖を
戦場でアルテリスに遭遇するまえに、逃げ出して戦わないことが兵士たちが生き残るための最も最適な最終手段である。
モンテサンドの胸の奥底に眠る深く、ひどく傷ついた心がある。
エリザがとれだけ聖女様と慕われて帝都の人たちから愛されていようが、アルテリスか一騎当千の死神と恐れられる美女だろうが、どうにもできないことである。
それを癒せるのは、モンテサンドを愛している女店主イザベラだけである。
イザベラはまだ若い娘だった頃に、辺境近くの街道沿いで酒場をしている両親と暮らしていたことや、酒場の下働きをしていた青年と恋に落ちて、両親の酒場をいずれは夫婦で継いで暮らすつもりだったことを思い出した。
小雨のしとしと降る夜に、モンテサンドに「どうかしたのか?」と言われて「なんでもないよ、大丈夫」とイザベラが答え黙り込んだので、モンテサンドもさすがに何か様子がおかしいと気づいた。
この聖戦シャングリ・ラの世界は、ゲーム配信終了後に、少しずつエリザやこの世界で生きている人たちの知らないうちに変わりつつある。
「アタシ、こんな雨の夜は苦手なのよ……モンテサンド、嫌な話かもしれないけど聞いてくれる?」
辺境地帯から青年ガルドがターレン王国に一人でやって来て、ターレン王国の帝都の貧民窟でたむろしていた盗賊まがいのやさぐれ者たちと敵対して、抗争のあと、ガルドが五十人の手下を持つ傭兵団の首領になるまで、ターレン王国の街道沿いは治安が悪かった。
だから、呪術師シャンリーが密かに宿屋に見せかけた娼館を経営して、呪術の儀式として、娼婦にしつこく言い寄る客や、シャンリーの言いなりになったふりをして裏で客から多めに報酬をもらい、差額を着服している娼婦を、酒蔵を改装した地下室で、呪物の蛇神のナイフで痛ぶりながら殺害して儀式をしてみていたり、娼婦になりそうな見た目の良い少女を、辺境地帯へ出かけては、奴隷商人として買い取ったりもできた。
酒場から金品を強奪されただけでなく、抵抗した両親は殺害されてしまった。
まだ新婚の夫婦の夫は暴行のあと、縛り上げられて床に転がされて、若妻のイザベラは十人ほどの酔った暴漢たちから、夫の目の前で……。
暴力の嵐が過ぎ去って、気絶していたイザベラが目を覚ましたあと、暴漢たちは立ち去っていた。
あちらこちらの骨を痛めつけられた夫は縛られたまま、呻きながら泣いていた。縛られて顔を腫らしている夫はひどい熱があった。
「店をめちゃくちゃにされた夜も夫が三日ほどで、アタシに守れなくてごめんと言いながら死んじまった夜も、こんな小雨の降る夜だったの」
それでも、イザベラは一人で生きていくために酒場を手放さずに経営しつづけていて良かったとモンテサンドに言った。
「そうてなきゃ、ガルドの旦那やソフィアのお嬢とパルタの都に来て、モンテサンドに会えなかったと思うのよ。あの雨の夜にはわからなかった。今ても思い出すと悔しいし、怖いけど、モンテサンドがアタシのそばにずっといてくれるから、もう大丈夫だって思えるんだよ」
このイザベラの誰にも話せなかったという秘密を聞いて、モンテサンドはイザベラから離れて、計略のために死ぬわけにはいかないという強い思いが、涙ぐむイザベラと抱き合いながら生まれた。
(私は
モンテサンドは、イザベラの心を癒したいと望んでしまった。
しかし、同時に、イザベラから全てをあずけるように、愛していると示されて、モンテサンドの隠されていた渇望――愛されたいという思いが満たされ、雪が溶けるように消えてゆく。
エリザの占いと運命の輪のカードは、この二人の痛ましくも、嘘一つない愛情に、小さな祝福をもたらしたのであった。
+++++++++++++++++
お読みくださりありがとうございます。
「面白かった」
「続きが気になる」
「更新頑張れ!」
と思っていただけましたら、★をつけて評価いただけると励みになります。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます