第311話

 怪異の満月の夜――呪術師シャンリーは死闘のあと、美しい満開の桜の下で臨終を迎えた。

 深い刀傷から血を流しながらシャンリーは振り返ることなく漆黒の闇へ身を潜めるために、ゆっくりと立ち上がり……。

 この時、シャンリーが振り返っていれば、月明かりに照らされた桜の木に、背中をもたれたまま、ぐったりとうなだれている令嬢エステルの姿を、シャンリーは見ることができたはずだ。


 死に直面し切迫した状況から脱するために渾身こんしんの力を振りしぼって、立ち上がったと思っている。


 亡霊となって漆黒の闇へ消えた呪術師シャンリー。

 令嬢エステルの姿の遺体は、シャンリーの亡霊が離れると、すうっと消えてしまった。


 エルフ族が息を引き取る時や、またダンジョンで冒険者が絶命した時は、遺体は残らず血痕や髪一本すら残らず消え失せる。

 逝去したエルフ族は、世界樹の洞の中から、乳幼児の姿となり転生してくる。

 ダンジョンの障気を吸収してエネルギーとして回収する力によって、冒険者の遺体や遺品は消失して、亡霊となっていなければ心も消えてしまう。

 シャンリーが亡霊になった夜、ストラウク伯爵の奇門遁甲の陣の結界の中で、祟り鎮めの儀式が行われていた。

 スヤブ湖から這い上がってきた異形のカエル人たちや、致命傷を負って呼吸と鼓動を止めた令嬢エステルの亡骸なきがらは消失してエネルギーとして、大いなる混沌の始源の海へ還るまで、時の番神アテュトートの夢幻の領域へ渡ってゆく。


 女神ノクティスが、聖騎士ミレイユの剣として共に命を共有しているので、時の番神アテュトートやバイコーンやマーオのような神使たちが大いなる混沌の始源の海へ、悪夢のエネルギーを返還している。

 魔獣の王ナーガは、邪神ナーガの創造した世界や、邪神ナーガにとエネルギーを供給している。


 大いなる混沌の始源の海――無色透明、無音、無臭……清浄なる光に満ちているエネルギーの坩堝るつぼから、想像力は創造力として、幾千、幾万、幾億の世界のあらゆる物語へと変化させ流転させてゆくだろう。


 ランベール王に憑依していた先代のターレン王国の国主ローマンの亡霊は、ウィル・オー・ウィスプのアーニャとランベールの心の力で、魔獣の王ナーガの領域へ追放された。


 呪術師シャンリーの亡霊は、どこかでさまよっているのか?

 それとも、ローマン王の亡霊のように誰かに憑依しているのか?


 邪神ナーガが、女神ラーナの加護する世界へ渡って来た時に、令嬢エステルの姿へ変化メタフォルフォーゼさせられてしまうのは、呪術師シャンリーが逝去してエステル嬢の肉体を喪失した亡霊となっているという事実が関係している。


 バーデルの都の女伯爵シャンリーの邸宅で、ロンダール伯爵と伴侶のアナベルは、エステル嬢と会ったことがある。

 まだ、親衛隊の隊長ギレスが女伯爵シャンリーを裏切る前のことである。

 女伯爵シャンリーに、ロンダール伯爵領からのバーデルの都への出資を増額してもらえないかと頼まれていて、ロンダール伯爵と伴侶のアナベルは、女伯爵シャンリーから、バーデルの都に客人として招待されたことがある。


 ロンダール伯爵と伴侶のアナベルは、エステル嬢に会って術者になる才能があることに気づいた。


 女伯爵シャンリーが、貨幣偽造と反乱の罪の容疑で子飼いの親衛隊から捕縛され、王都トルネリカに更迭こうてつされた時に、ロンダール伯爵はドレチ村を任せているニルスとエイミーに、エステル嬢の探索と保護を頼んだ。


 ニルスは、王都トルネリカの宮廷官僚ルーク男爵の長男ではあるが、母親はパルタの都の小貴族の令嬢で、次男の美少年ヨハンネスの母親は王都トルネリカの貴族令嬢で、ニルスが宮廷官僚として出仕をしても、モルガン男爵の派閥のいわゆる名門貴族の者たちから軽視され出世の見込みはない。

 そこでニルスにルーク伯爵はまとまった金額の旅費を与えて、王都トルネリカを離れさせた。

 ニルスのそれをバーデルの都の賭博場で賭けた。

 腕の良い美人ディーラーのエイミーと大勝負をして、ニルスは大金を獲得。さらに景品として勝負で負けた責任を取らされて奴隷にされた呪物の指輪をはめられたエイミーをニルスは与えられた。


 そのため、ニルスとエイミーはバーデルの都に詳しい。しかし、二人はエステル嬢の探索を行ったが見つけられなかった。


 ロンダール伯爵をふくめてエステル嬢のことを覚えている人物、それは聖戦シャングリ・ラというゲームをプレイした記憶を持って転生しているエリザもその一人ではあるが、美少女のエステル嬢は忘れ去られていないので、大いなる混沌の始源の海へ、エステル嬢の情報は運ばれて消えず、時の番神アテュトートの領域に保存されていた。


 ストラウク伯爵領の祟り鎮めの儀式の力で、異形のカエル人やエステル嬢の遺体は贄のように消失して、カエル人は魔獣の王ナーガの領域へ、エステル嬢の遺体の残存していた魔力のエネルギーにより、時の番神アテュトートの領域へと記録保存された。


 誰からもエステル嬢が忘れ去られていれば、邪神ナーガが変身させられる姿にエステル嬢の姿が、女神ノクティスによって選ばれることはなかっただろう。


 配信終了がしても、ファンから愛されている聖戦シャングリ・ラの世界も消失せずに残されているだけでなく、ファンと原案者の同人誌から、新人作家の森山猫によりノベライズや、原案者のマンガとして電子書籍化の連載などの想像力によって、変化しながら維持されている。


 18禁指定のオンラインネットゲームの聖戦シャングリ・ラだったが、メディアミックスの媒体ごとの自主規制があるため、原案者のマンガ家メイプルシロップこと緒川翠は編集者に打ち合わせで、ああっ、メイプル先生、ちょっとこれは……と指摘されて訂正を余儀なくしなければならなくなっている。


 邪神ナーガが令嬢エステルに変化しているのは、吟遊詩人の旅人ローレンの姿や美青年のヴァンパイアーロードであるランベールとして行動するストーリー展開を、喫茶店ラパン・アジルでの打ち合わせで、編集者の河原ひなが事前に察して注意喚起したことも関係している。


 邪神ナーガは、自分の創り出した世界で、摂理に収まらない気まぐれさと、創造神の力で、あれこれと行動して調子に乗っていたこともあった。

 だが、それにも飽きてしまい、地味だが悠々自適の旅人暮らしを満喫していたのである。


 邪神ナーガが女神ラーナの世界へわざわざ渡ってきたのは、女神ラーナの世界の変化――本来の聖戦シャングリ・ラの世界にあった野蛮である意味では開放的な力が変化したことで、邪神ナーガの世界の人間たちの暮らしの治安やモラルが悪化してきたせいである。


 女神ラーナの世界でも多少の悪事が横行しているぐらいでなければ、邪神ナーガの世界のちょっぴりほのぼのとした人間たちの生活は乱されてしまう。


 パルタの都や王都トルネリカから離れている曲がりくねった街道――蛇の道を、踊り子アルバーダと、フェルベーク伯爵領では名の知れた武器商人ヴァリアンと傭兵ザルレーの恋人たちは、ロープをまとい霧雨の降る中、目深にフードを下ろして黙々と歩いている。

 霧雨はロープをまとっていなければ、衣服や肌を濡らし旅人から体温を奪う。

 パルタの都の遠征軍の逃亡兵の衛兵たちから、武器商人ヴァリアンと傭兵ザルレーは、旅に所持していれば便利なこのフェルベーク伯爵領ではなかった衣服を手に入れていた。

 フード付きのロングコートのようなロープは、ブラウエル伯爵領で軍服として考案されたもの。

 一枚布でゆったりとした丈は長めのフードつきの全身を隠す衣服のロープよりも、この改良されたロープはかなり動きやすい。


 盗賊や悪役がまとうロープの衣装は定番で、フードを目深に下ろして顔を上半分を話す時に隠していたら、エリザは怖がりなので、怪しい人物ではないかといぶかしむだろう。


 ノベライズされた聖戦シャングリ・ラのために、原案者の緒川翠によって改めて描かれた挿し絵の衣装も、ゲーム版の聖戦シャングリ・ラとは、デザインが細かく変更されている。


 

 

 

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