第305話

 行動する時、自分でこうしたら物事の結果がこの方向へ進むと、相手の対応や次の行動を予想することを、ゴーディエ男爵は学者モンテサンドから学んだ。


 ゴーディエ男爵にとって宮廷議会の官僚として活動していて、他の官僚と交渉を進める時に、相手に協力させるのにはとても役立つコツだった。


 ストラウク伯爵の屋敷に逃亡してきて滞在しているゴーディエ男爵は、予想しているよりも驚きの結果が起きることがあるということを学んでいる。


 自分の思い込みで物事の結果を予想して、可能性を自分から手放してしまうことがある。

 ソラナがロンダール伯爵に協力を求めた結果、ストラウク伯爵領で潜伏することになったのも、予想外だった。

 スヤブ湖を渡った時の漁師の家族が一夜の宿を提供してくれたことも、予想外だった。

 ゼルキス王国のマキシミリアン公爵夫妻や、さらに遠い土地のルヒャンの街の細工師ロエルと弟子のセストが訪れていてストラウク伯爵領に滞在していることも、フェルベーク伯爵の影武者をしていた時には、予想外の出来事なのである。


 エルフェン帝国という広大な国があることも、ゴーディエ男爵には未知の情報なのだった。

 ゼルキス王国には、女神ラーナを信仰する神聖教団が活動しており回復ポーションがあるという認識は、学者モンテサンドから教えられていたので、ゴーディエ男爵にもあった。


 魔族の眷族ヴァンピールを【浄化の矢】という秘術で、エルフェン帝国の宰相エリザとクフサールの都の大神官にして女王のようなシン・リーが協力すれば、人間に戻すことができる。

 それを、マキシミリアン公爵夫妻と細工師ロエルと弟子のセストは実際に目撃したというのも、驚きであった。


 ランベール王の性格が豹変してしまい、後宮で寵妃の三人や法務官レギーネを吸血してヴァンピールに覚醒させた。

 そのエルフェン帝国の宰相エリザとクフサールの都のシン・リーなら、ランベール王やゴーディエ男爵をふくめたヴァンピールを全員、人間に戻せるということ。

 ランベール王が神聖教団の本拠地の古都ハユウという遥かに遠い大山脈の洞窟内に、心をすっかり喪失して生きた人形のような状態で安置されていると聞いて、ゴーディエ男爵はこの【浄化の矢】の秘術について知っていれば、ランベール王が血の渇望に苦悩することもなかっただろうにと、ゴーディエ男爵は悔しい思いがした。


 ランベール王には先代国王ローマンの亡霊が憑依していて、ランベールの心は封じ込められてしまい、ローマン王の亡霊にすっかり肉体と力を奪われていた。

 ゴーディエ男爵は、呪術師ではなく優秀な宮廷官僚で、そうした見えざる者の力の闘争は、まったく想像することができない。


(法務官レギーネを人間に戻してしまい、私か吸血してしまえば従わせることができるのでは?)


 そのゴーディエ男爵のひらめきを踊り子アルバータが聞けば、権力者として君臨するゴーディエ男爵の姿をうっとりと思い浮かべるかもしれない。

 ソラナはゴーディエ男爵は在野の士として、二人の間に子供を授かれば、スヤブ湖の家族のように暮らしてみたいと願っているのでとても悲しむだろう。


 愛するパートナーを支えて一緒に自分の社会的地位が上がっていくのを望む外向的上昇志向の女性と、小さな家庭を作り伴侶として共に協力して生きていきたい内向的で母性愛志向の女性という意味では、踊り子アルバータと密偵ソラナは、まるで異種族であるぐらい同じ恋する女性でも、その理想がちがうといえる。


 ゴーディエ男爵は法務官レギーネに対抗する発想の閃きを自分の胸の中にしまって、誰にも話さなかった。


 ランベールが眠り続けていて、意識が回復できる見込みはない状態なのを、マキシミリアン公爵夫妻が古都ハユウに訪れ、二人で確認している。


 邪神ナーガが異世界に存在していて、ランベールの肉体に宿り、令嬢エステルの姿に変化して、東の海をエルヴィス提督や神聖教団の幹部の恋人たちと航海中という情報をマキシミリアン公爵夫妻は知らない。


 法務官レギーネを一度、人間に戻してもらってから吸血して服従させたとしても、ランベール王がそんなひどい状態では、ゼルキス王国との合併の流れを中断させるのは難しいと感じた。


 ランベール王を退位させるための動きがある。

 エリザからの情報によって、ロンダール伯爵やサキュバスの貴婦人ジャクリーヌによって連判状が作られた。

 各地の伯爵や執政官マジャールの同盟が結ばれているが、連判状はまだ貴公子リーフェンシュタールと一緒にパルタの都にあり、ストラウク伯爵の元へ届けられていない。


 ランベール王やゴーディエ男爵が不在の宮廷議会では、名門貴族派閥の議員が鼻や股間のものをネズミにかじられ意気消沈してしまい宮廷へ出仕せず、ルーク男爵などジャクリーヌとつながりのある宮廷官僚たちの勢力がわずかに優勢という状況が起きようとしている。


 ゴーディエ男爵には想定外の出来事が起こり、それぞれが関連して、歴史という物語が織りなされていく。


 魔族と人間が敵対する世界の物語の展開が、ヴァンパイアロードのランベール王やヴァンピールたちと、神聖騎士団の聖騎士ミレイユと戦乙女たちが王都トルネリカで対決するエピソードといえる。

 現在の状況は、魔族もふくめた異種族が敵対せずに共存しあう世界の物語の展開といえる。


 恋愛の理想でいえば、まるで異なる生活の志向を持つ踊り子アルバータと密偵ソラナに共通していることがある。

 二人の乙女たちから愛されているゴーディエ男爵が、二人と恋愛関係を維持し続けていること。

 ゴーディエ男爵は、自分の宮廷官僚としての人生やターレン王国の十年先の未来について考えるのに夢中で、恋愛や結婚、自分の人生を共に生きるパートナーについて、今まではじっくりと考える気持ちの余裕がなかった。


 ヴァンピールの神聖教団幹部アゼルローゼとアデラから、エリザは思いがけず抹殺まっさつされかけた。

 その危機を、クフサールの都の大神官シン・リーから護られることで回避した。

 その結果、神官教団の幹部の恋人たちは人間に戻されたことで、寿命がある人生へと舵を切ることになった。

 それまでは教祖ヴァルハザードの転生者を再び教祖として君臨させて、二人はそれを支えながら、永遠に続く愛の生活を仲良く生きていく理想があり、悩むことはなかった。


 ターレン王国の先代国王ローマンの亡霊が、ランベールの恋人アーニャの変化したウィル・オー・ウイスプ、船乗りたちからは「海の鬼火」と呼ばれるものを撃退していたら、神聖教団のアゼルローゼとアデラの幸せな恋愛関係は野蛮なローマン王の亡霊の暴挙によって引き裂かれてしまっていただろう。


 ゴーディエ男爵は吸血して、人間に戻った法務官レギーネを服従させられると考えたが、アルバータやソラナがヴァンピールやサキュバスに覚醒したのは、ゴーディエ男爵の考えているよりも、この二人がゴーディエ男爵に恋に落ち熱烈に愛しているからだとわかっていない。

 法務官レギーネは、ちょっと頼りないが憎めない元配偶者のマジャールに失望したあと、物憂げな美青年ランベール王と荒々しい欲望を剥き出しにしたランベール王のギャップに恋に落ちて、ヴァンピールに覚醒した。

 ヴァンパイアの力は、吸血して誰でも服従させる力ではないというのにローマン王の亡霊は気づいていた。

 ゴーディエ男爵は王宮の舞踏会で貴婦人や令嬢たちから、熱い視線を浴びている若い宮廷官僚である。もし、ランベールにゴーディエ男爵が反旗をひるがえしたら、宮廷の貴婦人や令嬢たちのヴァンピールが暗躍して官僚たちを恋のとりこにして宮廷議会を支配すると予想した。

 ローマン王の亡霊が、ゴーディエ男爵を、フェルベーク伯爵領へ密命で王都トルネリカから離れさせようと決断した。

 ゴーディエ男爵は、ローマン王の亡霊にとっては敵になる存在だと、ゴーディエ男爵が踊り子アルバータを覚醒させたことで認識された。


 法務官レギーネがゴーディエ男爵と恋に落ちなければ、吸血されたあとは静かに息絶える。レギーネの死因は、病死と記録されて隠蔽されるだろう。


 恋する女性たちがどれだけのエネルギーを秘めていて、本気の恋に落ちた時には、たまに奇跡ぐらい起こすことをストラウク伯爵、賢者マキシミリアン、若いセストでさえ、よく理解している。


 過去に細工師ロエルは、セストへの愛情や愛し合った記憶で、呪物の蛇神の錫杖に記憶された女神官たちの欲望や感情に支配されないように自意識を保ち、命がけで賢者の石の錬成を成し遂げて生還した。


 ゴーディエ男爵は、ストラウク伯爵と二人きりで山奥へ山菜採りに行って、サキュバスになぜソラナがなったのか、ヴァンピールにならなかったのが不思議だと話す機会があった。


「細工師ロエルはセストがいれば良いと考えておるから、ヴァンピールになるであろうな。

私の妻のマリカは、私との子を授かり育てたいとよく言うから、サキュバスになる気がする。

どちらになるかは、相手の性格や考え方のちがいであろう。

どちらにせよ、それは愛する相手であれ、他人の生き方なのだから理想を押しつけてこうあって欲しいと決めることができぬ。

どちらであれ、愛しいことにはかわりがないであろう?」


 筍や山芋を丁寧に掘り出しながら、ストラウク伯爵は、若いゴーディエ男爵にそう話すのだった。



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