第304話
人が運命を変えようとする時には、決断が必要になる。
ゴーディエ男爵にとっての運命のターニングポイントの決断はすでに二回あった。
一回目の決断は、踊り子アルバータが陥れられ、全身が麻痺する毒で衰弱している時に、吸血してヴァンピールにすることで命を救ったこと。
二回目の決断は、密偵ソラナを命の危険から守るため、フェルベーク伯爵の影武者の立場を捨て、逃亡の旅へ身を投じたこと。
踊り子アルバータがヴァンピールに覚醒したことで、フェルベーク伯爵領へ小貴族の商人として潜入後、ヴァンピールの配下をスカウトする任務をランベール王から与えられた。
この踊り子アルバータの救助によって、ゴーディエ男爵はヴァンピールの吸血の渇望を知ることになった。
ランベール王から宮廷議会の官僚として、王の右腕と呼ばれる側近の地位に抜擢される直前、ランベールのお忍びの墓参りの護衛役として二人きりの時にランベール王から吸血されて、ゴーディエ男爵はヴァンピールとなった。
ヴァンピールになっても、踊り子アルバータを吸血する時まで、ゴーディエ男爵は魔族の
吸血せずにはいられない気分が
フェルベーク伯爵領へ密かに一人で潜入して、血の渇望を満たす踊り子アルバータのいない状況でゴーディエ男爵は、王の密命に従い
翌朝には息耐えている女性たちを見るたびに、ゴーディエ男爵は血の渇望の罪深さを感じた。
噂を聞いたと奴卑の村で声をかけてきた旅人だというソラナを、ゴーディエ男爵は吸血の儀式の噂を広められる前に殺害するつもりで吸血した。
吸血以外に渇望を抑制する方法と、ソラナという乙女への愛着をゴーディエ男爵は感じ、恋に落ちた。密偵ソラナは、吸血後にヴァンピールではなく魔族サキュバスとして覚醒した。
ゴーディエ男爵は暗殺されたフェルベーク伯爵の影武者なので、サキュバスが覚醒した事故をランベール王への報告はせずに、とりあえずルゥラの都の伯爵邸に男装させたソラナを住まわせた。
皇子の頃から性格が豹変したランベールから、ソラナを奪われることや、フェルベーク伯爵暗殺の容疑者に密偵ソラナが元老院の四人の貴族に仕立て上げられるのを避けるために、ゴーディエ男爵はフェルベーク伯爵の影武者の立場を捨て、ソラナを連れて逃亡者となる道を選択した。
これが二回目の運命のターニングポイントの決断となった。
宿痾ともいえるヴァンピールの血の渇望を、ゴーディエ男爵は自らの体験で知っている。
フェルベーク伯爵領から、罪人として裁かれた少年たちを、王都トルネリカに生贄として輸送することで、少年たちの中からヴァンピールに覚醒するわずかな可能性に賭けた。
それは奴卑の村でゴーディエ男爵の血の渇望の犠牲になった女性たちへの良心の
罪人とされた少年たちは奴卑の村での過酷な罪滅ぼしの肉体労働と、闘技場の奴隷の生活で心が疲れ果て命を落としていく。
生き残れてルゥラの都の市民へ恩赦されても、再び新たに少年たちを虐待して罪人を仕立て上げていく、フェルベーク伯爵領の体制の道具のような立場の大人になってしまう。
その状況から抜け出すチャンスを少年たちに与えることで、ゴーディエ男爵は良心の呵責をごまかしていたのだと、瞑想して自分の行動の理由を、王の密命という他人に求めずに、自分の心に理由を求める内省によって考えるようになった。
なぜ、踊り子アルバータや密偵ソラナに血の渇望が昂るのか?
ランベールに対して親友としての情以上の何かを感じ続けているのが、忠誠心なのか?
ゴーディエ男爵はエリザと出会っていたら、カード占いをしてもらって生きていく悩みの息苦しさから逃れようとしていたかもしれない。
吸血して殺害してしまい、犠牲者を増やしていく忌まわしい魔族ヴァンピールの血の渇望。
その宿痾から踊り子アルバータや密偵ソラナに頼らずに自らの心で脱却するために、ゴーディエ男爵は心の修行をする転機をストラウク伯爵領で得た。
血の渇望は、肉欲、食欲、睡眠欲などが満たされていないと感じたり、強い怒りなどでも強まることを瞑想の内省によって、ゴーディエ男爵は理解した。
ストラウク伯爵領ではよく食べて、よく体を動かし、よく眠る生活をゴーディエ男爵は、ストラウク伯爵と伴侶のマリカからのおもてなしを受けて過ごしている。
心が平穏である状態だけを維持することは、誰もできない。
必ず海の波のように心の揺らぎがある。
血の渇望を引き起こすものから離れて生活することに慣れる。
吸血しなければ落ち着かない気分を認め、渇望が満たされること以外に心から喜びを感じられることを見つけ出す。
吸血の渇望を満たす喜びが強いので、他の喜びを感じる力が欠落している状態から、心の感応力を上げて、生きていることの小さな喜びを
血の渇望からゴーディエ男爵が逃れようと意識するほど、渇望している自分の心を意識しすぎて強く念じたのと似たように心に刻まれてしまい苦しんでいる夜、ソラナはゴーディエ男爵に囁く。
私の血も命も捧げます、と。
ソラナはゴーディエ男爵のように、自分の中に潜む魔族サキュバスの渇望から逃れようとはしなかった。
自分の愛情をどうやってゴーディエ男爵に伝えるか?
それだけを考えて、ソラナは行動しているからである。
この二人にとって幸運だったのは、この時、ストラウク伯爵夫妻や伯爵領に滞在している人物たちは、自分の心に素直に生きることが身についていることだった。
細工師は錬成する時に、念じすぎて逆に意識しすぎれば、鉱石を柔らかくして素材を取り出すことができないことを、ロエルがソラナに話した。
すると、世界で一番柔らかく手触りが良いものを思い浮かべるのがコツなのだと、セストはゴーディエ男爵に酒に酔って教えてしまった。
セストが初めて鉱石から素材の金属を取り出すことが成功した時に、何を思い浮かべたのかと恥ずかしがりながら話したのを聞いて一緒に囲炉裏を囲んでいたストラウク伯爵は、笑いがこらえ切れなかった。
ロエルの乳房の手触りを思い浮かべて、素材を鉱石から取り出したいと意識しすぎている考えから脱却した時、基本の素材分けができたという。
「あっ、いひゃいれふよ」
少しむくれたロエルに左右のほっぺたをつままれて、ぎゅむっと引っ張られたセストの様子を見ていたゴーディエ男爵も、つい笑ってしまった。
(人前でも、ちゃんとゴーディエが笑えている。作り笑いではない笑顔……かわいい)
ゴーディエ男爵が思いがけずこぼした笑顔を見て、ソラナの胸はときめいていた。
ゴーディエ男爵は、物心ついた頃から服装や姿勢と同じように、自分の表情や声の調子や仕草がどんな印象を与えるかを考えて他人に見せるために気を配るのが癖になっていた。
ゴーディエ男爵の顔立ちが整っていて美形なので、その効果は抜群だが、人前で素直に気を許して笑えなくなっていた。
ソラナは二人きりで夜に戯れながら、ゴーディエ男爵が心の感情のままに、少し泣き出しそうな表情を浮かべるのを見ると胸が苦しくなる時がある。
そんな時は、ぎゅっと抱きしめてあげたくなる。
こうしてゴーディエ男爵は、ストラウク伯爵領での生活の中で、自分の心と命のつながりを少しずつ奪還しつつある。
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