grimoire(グリモワール)編 5

第290話

 踊り子アルバータが、見た目では扇情的だが華麗な祟り鎮めの舞踏を、王宮で披露しなくなったこと。

 辺境地帯の大異変の前兆で、王都トルネリカやバーデルの都では一夜にして大きな被害をもたらした震災が発生したこと。


 こうしたことが、ターレン王国の王都トルネリカの住人のいわゆる名門貴族の者たちの心に、死への恐怖と不安を強く感じさせている。


 王都トルネリカ――遠い昔、ターレン王国として建国される前の時代には、蛇神の都であったところである。

 蛇神を信仰する女神官たちに統治され、不老不死を目指すための儀式が行われていた。

 

 現在のターレン王国14代国王ランベールの時代となっても、過去の建国以前の時代と同じ死への恐怖と不安を抱いた人々は、信仰心は失ってもすがるように、延命の方法を求めて残酷で陰惨な儀式を密かに行っている。


 逆打ち刻印の赤錆び銀貨の効果によって、現実の世界を変容させる力が作用し始めると、反動で夢幻の領域から夢喰いの獣が出現して、その作用を抑制した。


 ヴァンパイアロードとなりかけていたランベール王は、ウィル・オー・ウィスプとなったアーニャの亡霊によって、ランベールの心は救済され、憑依していたローマン王の亡霊はその心にふさわしいところへ流された。

 王都トルネリカで偽治療師ヤザンの儀式を噂で聞いて、真似しようとしたフェンケル男爵は、生贄にした少女ポーレットの亡霊と、ネズミのミッシェルの復讐を受けている。

 踊り子アルバータを祟り鎮めの巫女ではない術者にするために純潔を卑劣な手段で汚し、命すら奪おうとした代償は、ランベールに憑依していたローマン王の亡霊にとって大きな痛手となった。


 フェンケル男爵にとって、少女ポーレットは儀式の生贄で、また残酷な性格のゆがんだ心の欲望を満たす趣味の玩具のようなものに過ぎなかった。

 祟り鎮めの巫女の舞踏の儀式が行われていない王都トルネリカから、少女ポーレットの亡霊が、グールの幻術師ゲールと助手で恋人のグーラーのエレンを青蛙亭まで訪ねて来た。


 聖騎士ミレイユが、旧モルガン男爵邸で滞在していて、モルガン男爵の手記やターレン王国の地図を入手したことで、王都トルネリカを離れて視察の旅へ出た。

 死への恐怖や不安、強い憎しみや恨みの思念の影響を好まないこの世界で一本だけの剣ノクティスも、聖騎士ミレイユとパルタの都へ移動した。

 神聖騎士団の王都トルネリカの滞在がなければ、少女ポーレットの亡霊は、パーラーメイドのクラリッサに憑依して、幻術師ゲールを頼ることなく、ネズミのミッシェルとフェンケル男爵に復讐をしていただろう。


 見た目で目立つ鼻と悪趣味なことに使われていた股間の器官を、ネズミのミッシェルにかじられて台無しにされたフェンケル男爵。

 フェンケル男爵は、宮廷官僚として王宮へ出仕しなくなった。

 表では評判や他人からの見た目を気にして、人には知られない裏では残酷な性格で悪趣味な行為に生きがいすら感じていた人物は、意気消沈して酒びたりの日々となった。

 やがて、健康を害して自滅していくか、メイドのクラリッサの愛情に気づいて、彼が心の再生への人生を見いだせるかは、まだわからない。


 こうして名門貴族派閥の貴族がまた一人、宮廷議会の議席から消えた。


 これは地方伯爵領派閥の貴族であるルーク男爵をふくめた宮廷議会の貴族たちと、名門貴族派閥の貴族たちの宮廷議会の権勢の天秤を、地方伯爵領派閥のほうへわずかながら傾けることになった。


 ネズミのミッシェルや幻術師ゲールによって、ターレン王国から食糧をゼルキス王国へ提供する見返りに、貴族の特権や生活の保証を求める宮廷議会の貴族が一人減った。


 宮廷議会の有力な貴族議員の投票数で、採決するか否決するかが決められ、最終決定権を持つ国王へと進言されているのがターレン王国の制度となっている。


 伯爵たちの連判状が宮廷議会で採決され、ランベール王廃位の建白書がルーク男爵により作成されて法務官レギーネの手元に届くまでの過程で、一匹のネズミのミッシェルが、ターレン王国の歴史の流れを変えたともいえる。


 偽治療師ヤザンがいなければ、ターレン王国の宮廷議会の名門貴族派閥の権勢が失われることにならなかった。


 恋愛や愛情、慈悲の感情と、人が死や滅びを怖がる感情。

 それらが入り交じって、ひとつの世界となっている。


 少女ポーレットが、一匹のネズミにミッシェルと名前をつけて、ひどく乾燥している割って食べなければならないような古いパンを分け合わなければ、いくら伯爵たちが連盟しても、ターレン王国の歴史は動かなかった。


 女神ラーナの転生者である僧侶リーナが、冒険者のレナードとダンジョン探索の修行中に、手のひらに乗るほど小さなスライムに、持参した残りの食糧がわずかという状況でも、スライムが空腹で衰弱していると感じて、自分のサンドイッチをあげたことがある。

 少女ポーレットは虐待されてひどく衰弱していたけれど、一匹のネズミのミッシェルに古いパンを分けてあげた。

 僧侶リーナはスライムに見返りを求めたりはしない。

 また少女ポーレットはネズミのミッシェルから見返りを求めたわけではない。


 そのサンドイッチで命をつないだスライムは、のちにスライム娘に進化して、優しい人間になりたいと、ダンジョンに訪れたエリザに語っている。


 ネズミのミッシェルは、少女ポーレットが依頼するための一枚の金貨を仲間のネズミとメイドのクラリッサから盗んだり、フェンケル男爵をかじったりしている。

 人間の善悪の基準で考えれば、かなり悪いネズミかもしれない。


 この世界の人なつっこいネズミたちは、ハムスターのような姿をしている。



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