第289話

 行方不明になっている人が、すでに亡くなっている場合は蛇神祭祀書は、遠慮なしに【死亡】とゲールの頭の中に簡素な表現で情報を伝えてくる。

 どこで、どのような原因で亡くなったのかということは、何一つ教えてくれない。


 術者と蛇神祭祀書が認めた者以外には、猥雑な内容の書物のふりをする。

 この癖の強い魔導書は、術者の力量に合わせて様々な秘術を教えてくれる。


 呪術の知識にまったく興味や関心がないとしても、どうしても会いたいという熱意、恋愛感情、殺意であれ、強い信念や意志を持つ者が、この書物に指先でふれるだけで、術者のゲールに現在の居場所を特定して教える。


 蛇神祭祀書には善悪の判断はまったくない。同情心もない。

 その情報を依頼人へ伝えるかどうかは、ゲールが決められる。


 人探しの名人という評判で青蛙亭のゲールの名は知られている。

 けれど、噂を聞きつけ興味本位でゲールに会おうとする者がいたとしても、国境近くの街道沿いにあるという青蛙亭という宿屋は見つけられない。


 辺境地帯の大異変の前兆である一夜の震災のあと、行方不明になった家族の安否や居場所を探す人たちが、噂を聞きつけ、肩を落として立ち去っていく姿を、ゲールは何人も見てきた。

 【死亡】とゲールが感知した時だけは、依頼人にゲールが情報を伝える前に、すでに探している人は亡くなってしまっていると依頼人は気づいて、それは絶対に正しいと理解させられてしまう。

 ゲールはそんな依頼人が目の前で泣き崩れようと、何も声をかけることはないが、その場で自ら命を絶とうとする時だけは、幻術で依頼人を眠らせる。

 眠らされた依頼人は、会いたかった死者と生活する夢をみる。


「そろそろ、行かなくちゃいけないようだ」


 夢の中で、死者から寂しげな声で告げられる。

 それを聞いた依頼人は、仕方がないけれど、引き留めてはいけないということがわかる。

 死者が目の前からゆっくりと姿が、透けるように消え去る。

 依頼人は泣きながら目を覚ますと、周囲を見渡し、自分が青蛙亭にいることに気がつく。


 ゲールは悲しむ依頼人に慰めの言葉をかけることも、命を粗末にするなと警告することもない。


 飼っていた大切なネズミの「ミッシェル」を探して欲しいという依頼を、青蛙亭に訪れた少女ポーレットから、ゲールが頼まれたことがあった。


「えっ、ゲールさん、ネズミ探しをする気なんですか?」

「するよ」


 住み込みの助手で、店番のお留守番係のエレンは開いた口がふさがらない。


「この依頼、悪くない報酬だ」


 つい先刻まで、ゲールが依頼人の少女ポーレットと話していたはずのテーブルの上に金貨が一枚。


 ただし、その金貨には血がべっとりとついている。

 エレンがその金貨を見て呆然としていると、ゲールが気にすることなくつまみ上げる。

 エレンに手渡した時には、金貨は血塗れではなくなっていた。

 「これは恨みがこもっている依頼だ」とゲールは言った。


 雨に濡れて訪れた少女ポーレットのために、髪や体を拭く布や、とりあえず大人の服で大きすぎるにしても、着替えてもらおうとエレンが急いで準備して戻ると、訪ねてきた少女ポーレットはいなくなっていた。


 ゲールが王都トルネリカにある貴族の邸宅を訪問した。

 フェンケル男爵が顔を見せるまで、ゲールは応接間で蛇神祭祀書をめくりながら、出されたティーカップの紅茶にも手をつけずに待っている。


 飲み物に毒ぐらい仕込まれていてもおかしくはない。


「お待たせして申し訳ない。画家のゲールさんでしたな。このフェンケルの肖像画を描いていただけるとは光栄ですな」


 ゲールのことを有名な画家と思い込まされているフェンケル男爵が愛想笑いをするが、ゲールは微笑すらしない。


「ポーレットという御令嬢が、こちらの邸宅に暮らしていると聞いている。彼女はどこに?」


 ゲールはそう言って、一瞬、顔を強ばらせたフェンケル男爵の目をじっと見つめた。


「人ちがいではありませんか。この邸宅にポーレットという者はおりません」


 平然と嘘をついているフェンケル男爵の相手をする気がないゲールは、応接間の扉の前に控えているメイドの若い女性に言った。


「地下室の鍵を持って来てくれ」


 来客が来た時におもてなしするのは、パーラーメイド。来客に対する接客を行う役目で、容姿が良い女性が採用されやすい。

 メイドにも調理場で働くキッチンメイド、寝室や客室など部屋の整備を担当するチェインバーメイドなど裕福な貴族の邸宅には、役目に応じたメイドたちが雇われている。


「フェンケル男爵だったな、お前は戻るまで動けない」


 ソファーから立ち上がることができなくなったフェンケル男爵が騒いでいるが、ゲールは無視して鍵を持ってきたメイドに囁く。


 ゲールになぜか頬を染めたメイドのクラリッサが、邸宅の地下室へ案内した。


 酒樽が並べて置かれ、ひんやりとした地下室の壁を、メイドのクラリッサが語り出したことを聞きながら、ゲールは蝋燭の灯火で丁寧に照らしながら調べていた。


 地下室の扉は開きっぱなしにしてある。扉は閉められていれば、すぐに外から鍵をかけられてしまうから。


 旦那様は私に言いました。

 一緒に壁の中に隠すのを手伝えと……。


 フェンケル男爵の残虐の犠牲者ポーレットは、塗りたての漆喰の壁のなかへ押しつけて埋められている。


 メイドのクラリッサの足元を一匹のネズミが走り抜けて、地下室の扉から出る前に、ちょっと立ち上がる感じで止まり、ゲールに振り返った。


(そうか、お前がポーレットの友達のミッシェルか?)


 ちちっと短い声でネズミが鳴くと、サッとゲールが開きっぱなしにしておいた扉から出て行った。


 汗だくになりながら立ち上がることができないフェンケル男爵。

 その膝の上に飛び乗った小さな一匹の復讐者がつぶらな瞳で、嘘つきのフェンケル男爵の鼻を見つめていた。


 メイドのクラリッサは、少女ポーレットの遺体を隠した日から近づくのを避けていた地下室に、なぜ自分が来ているのかわからず、鳥肌を立てながら、短くなった床に置かれた蝋燭の乗った皿を拾い上げて、石段を上がっていった。


 青蛙亭に少女ポーレットの亡霊が訪れて、金貨一枚でゲールを使い、ネズミのミッシェルに復讐してもらった。

 フェンケル男爵が鼻と股間のものをネズミにかじられて、悲鳴を上げているのを、メイドのクラリッサは見た。


 激痛にゲールの金縛りから解かれたフェンケル男爵がメイドのクラリッサに助けてくれと泣き叫びながら抱きついて、その隙にネズミのミッシェルは、邸宅の家具の物陰に身を潜めた。


 フェンケル男爵は、偽治療師ヤザンに儀式を受けるために、ポーレットという少女を地下室に監禁していた。しかし、食べ物をしっかり与えなかった。

 生前のポーレットは少ないパンをネズミのミッシェルと分け合っていた。


 ゲールは、自分の幻術の力がまだまだ不完全だと思った。

 人ちがいだと嘘をつかれた。

 心がゆがんだ嘘つきは幻術にかかっていても、平気で嘘をつくことがある。


 王都トルネリカの貴族フェンケル男爵やメイドのクラリッサは、ゲールが訪問したことをすっかり忘れている。

 忘れろとゲールが幻術をかけたわけではない。


 依頼はお友達のネズミのミッシェルを探してというもの。

 ゲールはフェンケル男爵やメイドのクラリッサが、術者は怖いと他の貴族たちに言いふらしてもらったほうがいいと考えたからだった。ヤザンのような術者を頼る者がいる限り、また犠牲者が出るだろうから。


 ゲールのことを貴族フェンケル男爵やメイドのクラリッサに忘れさせたのは、少女ポーレットの亡霊のゲールに対する感謝の気づかいだったのかもしれない。



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