第287話

 愛と豊穣の女神ラーナに加護されていると、神聖教団では信者たちに布教している。

 それだけではなく、気まぐれだが夢を司る女神ノクティスからも加護を受けることもある。


 パルタの都で起きている変化とは、女神ノクティスの加護による人の心の変化である。


 恋愛は、集団行動や一つにまとまった集団の維持というよりも、個人の心の機敏を動機とした行動である。

 善悪の判断基準や他人との関わりの礼儀作法といった形式が、どうやって個人が集団行動を行い、集団を維持して存続させるかという目的につながるように人が作り出したものである。


 女神ノクティスは、善悪の判断基準ではなく、個人としての情熱がどれだけあるのかに着目して、好きか嫌いで判断している。


 世界の存続と維持について、考えて行動しているのは、女神ノクティスよりも邪神ナーガのほうだろう。

 ナーガは極端に個人に対する好きか嫌いかで、物事を判断しているわけではない。


 マジャールの幸運は、優柔不断な人と思われたり、いいかげんな人と決めつけられる善悪の規範ではなく、令嬢ハンナと令嬢アナから、好きか嫌いかというシンプルで個人的な判断基準で、どちらか一人に決められないことも、マジャールの優しさからの言動であってそれでもこの人が大好きと判断されたことである。


 逆に、大嫌いと判断されかねないマジャールの二人に対する言動を聞く前に、マジャールがどうやって物事を感じながら考えて生きてきたのかを、令嬢ハンナと令嬢アナはじっくりと聞いて、自分たちとはかなりちがうことを理解していたことも、この二人がマジャールを許したことの大きな要因といえる。


 許したわけでなく、たとえば、執政官という権力者の特権や優遇を伴侶として自分にも与えられたいから我慢して、マジャールの言動を受け入れて許したかのように見せかけようと努力をする人だったら、どうなるだろうか?


 必ず我慢する目的が達成されたあと、マジャールを許したふりを続ける見返りを要求するか、マジャールを愛するふりの行動を止めてしまうだろう。


 マジャールと離婚した法務官レギーネは、上流貴族の常識を守ることを正しさと考え、自分の情熱を我慢するという選択した女性だった。


 パルタの都の小貴族の男性たちは、出向先で恋に落ちることはあった。

 

 ローマン王とモルガン男爵王都トルネリカで上流貴族が暮らして、小貴族たちはパルタの都で暮らすという分けられかたが行われるようになって、パルタの都の住人が満杯になっていてもおかしくはないはずだが、そうなっていない。

 小貴族の地位や過去を捨て、平民階級の村人として暮らすことを選んだ人もかなりいる。


 出向先で失踪する小貴族の男性が既婚者だった場合は、残された妻や子供に、小貴族の地位が保証されている。


 ターレン王国では、未亡人が別の人と再婚すると婚姻した夫と死後に再会できないという言い伝えがあり、未亡人が再婚するのはふしだらな行動と考える古い考えの人もいる。


 小貴族の夫が失踪したことを、王都トルネリカの宮廷へ申請すれば三年で死亡したと認定される。

 しかし、失踪の申請を出さずに待ち続ける家族も多い。


 神聖騎士団に関する報告だと思い、法務官レギーネはパルタの都から届いた書状を確認した。

 そこには、マジャールの繊細で美しい文字が並んでいる。

 マジャールはとても美しい字を書く。


「レギーネ、僕はね、子供の頃に一生懸命、先生に誉められたくてね、毎日練習したんだ」


 レギーネはマジャールの妻になったばかりの頃を、その美しい文字を見ると思い出す。


 マジャールからの書状の内容は二人の妻を迎えるので宮廷議会に申請するというものであり、神聖騎士団については何も記されていなかった。


 ターレン王国の法律では、貴族階級の婚姻について、花嫁は一人とは決められていない。

 それは、名門貴族の家系を絶やさないように、たとえば姉妹や親戚など、花嫁を数人同時に迎えることが認められていた。


 近年では遺産相続で分与する者が増えると、一人あたりの取り分が減るので、重婚の申請を宮廷へ申し入れてくる貴族はいない状況となっていた。

 本妻と愛妾あいしょうというように家柄や資産がある令嬢を本妻の伴侶として、他の恋のお相手を愛妾になってもらうというようにして、子供を絶やさないようにしている。


 本妻が後継者となる子供を産むとは限らない。しかし、実家に家柄や資産がある本妻が子供を産めば、本妻の子供を後継者とする事例が王都トルネリカでは多い。


 宮廷官僚のルーク伯爵は、先に愛妾の産んだニルスと、本妻があとから産んだヨハンネスという二人の息子に恵まれている。

 一番最初に誰が子供を産んだがどうかで、本妻の座が決まるわけではない。


 ヘレーネは離婚したけれど、マジャールは再婚しないものと思い込んでいた。

 ランベール王に妻を奪われたとひどく落胆して、王都トルネリカから離れたという噂をヘレーネは聞いていた。


(マジャールったら、私と離婚したら、まさか三年未満で再婚相手を、それも同時に二人も迎えるなんて!)


 なぜかマジャールに裏切られたような気分になって、レギーネは少しイライラとしながらも、手続き上ては問題はないため承認しなければならなかった。


 妻と死別した貴族男性は三年間は、妻を弔う意味もあり再婚しない習慣が貴族にはある。

 死別ではないにせよ、せめて三年間は再婚しないのが、マジャールの元妻レギーネに対する礼儀ではないかと思った。


(これは、私に対する侮辱か当てつけにちがいありませんわ、許せません!)


 小貴族と婚姻を求めてきたのだから、降格させて執政官の地位をマジャールから剥奪はくだつして……と法務官レギーネは自分の権限を使い、全力でマジャールに嫌がらせをしようと考えて、それができないことにすぐに気づいた。


 バーデルの都の現在の執政官ギレスはフエルベーク伯爵領出身のルゥラの都の貴族だけれと、伯爵家の血筋でも、元老院の四人の貴族の名門貴族の血筋でもない。

 ルゥラの都の市民、つまり小貴族と同じである。

 マジャールを小貴族の令嬢たちとの婚姻を理由に、名門貴族の家柄から小貴族の地位に降格にしてみたところで、執政官の地位を剥奪することはできない。


 マジャールから小貴族であることを理由に、執政官の地位を剥奪すると、バーデルの都の執政官ギレスからも、執政官と地位を剥奪しなければならなくなる。


(ああっ、ランベール王がこの場にいて下されば、王の権限でマジャールだけから執政官の地位を剥奪することをねだることもできたでしょうに。まったく、怒りのぶつけどころがわかりません!)


 学者モンテサンドは、最近の貴族たちは本妻を何人も迎えず、遺産相続の時はつながりの強い本妻の実家へ遺産が多く渡るようになると取引をして、自分の後ろ盾となってもらえるように要請するのを知っていた。


 マジャールが三年未満で再婚すれば、法務官レギーネの自尊心を傷つけ逆鱗にふれることも、それでもマジャールが執政官の地位を剥奪されることもなく、二人の小貴族の令嬢ハンナとアナとの婚姻は、レギーネにとって不本意ながらも許可されるのを予想して、マジャールに、本妻を何人でも持つことは、宮廷へと申請を出せば可能ですと教えた。



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