第278話
パルタの都で、執政官マジャールが邸宅を離れ、自分てはない旅人ローレンという人物になりきって生活してみようとした。
マジャールは王都トルネリカ育ちの貴族で、親から期待していると言われ続けて育てられた。
宮廷議会でも、決議決定に重要な法務官という立場に就任した時は、すごく達成感があった。
親の決めた婚約者と婚姻して、このままずっと安泰……と思っていた。
そのあとの
絶望のどん底に落ちたような気持ちでも、自暴自棄になれずに、パルタの都の執政官として暮らしてきた。
完全に人生を放棄してしまうことを、マジャールは許されなかった。
遠征軍の将軍として出征して消息不明のはずの騎士ガルドが、逃亡兵を連れてパルタの都に潜伏していた。
前任者の執政官ベルマー男爵とモルガン男爵が遠征軍に与えるはずの兵糧を、事前の会議で決定した半分しか部隊に送らず、パルタの都に着服して隠していた。
また長年に渡ってモルガン男爵は、パルタの執政官に長年に渡り食糧の在庫の量をごまかして貯蔵させていた事実を知らないまま、マジャールは後任の執政官としてパルタの都に来てしまった。
この事実は騎士ガルドと同行してきた商人マルセロが、パルタの都の倉庫をすべて調査、在庫確認をした結果、帳簿と実際の貯蔵量が大きく違っていることで判明したものである。
遠征軍の兵糧を横領したあと、隠匿するのに目立たない場所はどこか?
騎士ガルドに、後発隊の兵糧も不足していて戦にならないのであれば、出征せずパルタへ逃げましょうと商人マルセロは言った。
この商人マルセロの判断に、ガルドは従った。
無理に辺境地帯の村から食糧を徴収しながら進軍する選択をしていたら、ガルドは怪異に巻き込まれていただろう。
このモルガン男爵の
宮廷議会の重鎮のモルガン男爵が、悪事を行っていた不祥事が噂で広まれば、宮廷議会の権威に傷がつく。それは、避けようとするだろう。
「マジャール殿、我々が生き残るには、貴殿も協力するほか方法はありません」
学者モンテサンドは、ベルマー男爵が統治していた時にパルタの都にいた重要参考人、そして、モルガン男爵の悪事を隠蔽して、備蓄された食糧を合法的に奪うために共犯者として処刑される可能性は充分にあった。
「食糧を奪われて、我々は無実の罪で処刑される。それよりも、パルタの都の住人たちに食糧を配布したほうが、ずっと良いと思いませんか?」
学者モンテサンドの提案にマジャールは同意した。
そのため、マジャールは、執政官の地位を放棄することはできなかった。
こうした事情を、パルタの都の住人は知らされていない。
マジャールは、今までの人生や執政官の地位や責任を放棄して、旅人ローレンとしてパルタの都から去ることもできる。
しかし、そうすると新たな執政官が王都トルネリカから赴任してくる。
学者モンテサンドのような住人へ食糧を分配する考えに、新たな執政官が同意するとは限らない。
マジャールは旅人ローレンになりきって、子供の頃から今までの自分から、心だけ別人のふりをして少し離れてみることにした。
どんな家庭で育って、生きていくためにどうすればいいか身につけてきた方法がうまくいかない時には、他人の考え方や生き方を真似してみることもできる。
それでもうまくいかない時は、どうすればいいかをじっくり考えたいとマジャールは思っていた。
女神ノクティスは、旅人ローレンという人物を、恋に悩むマジャールに夢のなかで教えた。
マジャールは、起床してすっかり女神ノクティスと出会ったことを忘れてしまっていた。
そして、旅人ローレンという人物になりきってみることを、自分で思いついたと勘違いしていた。
旅人ローレンというのは、邪神ナーガが、自分の世界で吟遊詩人の旅人として暮らしている時の名前である。
平凡で目立たない顔立ちは、ナーガが旅暮らしをする時に、好んで使っているものである。
マジャールそっくりの声や容姿の旅人ローレンという人物が、別の世界に存在している。
邪神ナーガが、旅人ローレンと名乗る自分そっくりのマジャールと出会ったら、とても驚くだろうと女神ノクティスは、ちょっぴり
邪神ナーガが、ナーガの夢幻の領域の世界から訪れるたびに、女神ラーナの世界の人の心に影響を与える。
その影響は、女神ノクティスの夢幻の領域も変えてしまう可能性がある。
女神ノクティスは邪神ナーガに警告するついでに、悩めるマジャールにも恋の出会いをもたらそうと、そっと夢の中から協力してみるのだった。
セレナとリアンの恋人たちに、パルタの都以外でも生活できるとマジャールから教えさせ、またマジャールに憧れているハンナとアナにも、執政官マジャールと親しくなるチャンスを与える。
女神ノクティスは、恋の女神である。
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