第92話
「ふわぁ~、んっ、エリザ、猫、おはよう!」
アルテリスが身を起こして、隣で同じように身を起こし、黒猫の姿の神獣シン・リーを抱えて、そっと撫でているエリザに元気よく声をかける。
幌馬車の荷台は、旅の荷物置場とエリザ一行の部屋として使われている。
(アルテリスさんとシン・リーさんが添い寝してくれて、夜は暖かいのはいいんですけどね)
白い梟がエリザ一行が眠っている間は、幌馬車の幌の上で徹夜をして、周囲の見張りをしている。
真夜中にシン・リーとしては、眠っているアルテリスがエリザに抱きついているのが気になって、一度、ふくらはぎのあたりを引っ掻いてみた。
けれど、熟睡しているアルテリスは目を覚まさなかった。
さらに、かじってやろうかとも思ったが、すぅすぅと寝息を立てているエリザの寝顔を見たシン・リーは、アルテリスの引っ掻き傷を回復魔法で治療すると、二人の間に潜り込んで眠った。
「さてと、朝食を作るかな~、エリザもしっかり食べないとダメだぞっ!」
アルテリスがそう言って、朝食の支度を始める。
(アルテリスが朝から腹を空かしておるだけじゃろう。しかし、よく食べるものじゃの)
シン・リーは少し呆れながら、器用に火起こしをしているアルテリスを、エリザの隣で見ている。
平原にぺたりと座って、二人と一匹と一羽で食べる食事にも、エリザは慣れてきた。
エリザの王宮暮らしの朝食は、大食堂に行って椅子に腰を下ろすと、野菜のスープの具を食べて、スープを飲むだけで終わりにしていた。
寝起きはあまり食欲がない。
しかし、農作業や焚き火の枯れ枝集めなど、日中に体を動かして夜はぐっすり政務を気にせず眠っている生活が続くと、アルテリスの朝食の支度ができる頃には、くぅっとお腹が鳴るようになった。
(なんとなく、体に筋肉がついた気がします)
「まだまだ、エリザの腕はひょろひょろだね。ほら、あたしの腕をさわってみなよ!」
(アルテリスは、エリザを鍛えて馬鹿力にでもする気なのかの?)
シン・リーは幌馬車の荷台に飛び乗り、白い梟が夕方まで眠る前に進む方角を確認しておく。
「猫、どっちに進めばいい?」
「このまま北に進めばよい」
アルテリスはすっかり日が昇った快晴の空を馭者台で見上げて、進む方角を確認した。
太陽は東から西に沈む。これはエリザがいた転生前の世界と同じだった。
「よし、出発っ!」
アルテリスが手綱を握って、幌馬車が少しずつ速度を上げながら走り出す。ゴーレム馬はアルテリスが手綱を強く引くまで、勢い良く走り続ける。
帝都を出てエリザは西に向かえば、大樹海に到着すると思っていた。しかし、シン・リーによればそれでは帝都周辺から抜け出せないという。
(徒歩だったら、どれだけかかっていたのでしょうか。もう10日ほど旅を続けています)
それだけ帝都は、外部から守られている。これが村人たちが自分たちの生まれ故郷から、あまり離れることがなく、地元の近い村の年齢の近い者と交際している理由でもある。
(ターレン王国の旅より、これはおもしろい!)
アルテリスが、辺境地帯からターレン王国に入って、僻地のストラウク伯爵領まで旅をした時は、ターレン王国の地図を入手して幌馬車の旅をした。
地図の距離は間違っていたけれど、ざっくりと方角は合っている感じだった。
ところが今回の旅は、地図が当てにならない。
この3日ほど、北へ幌馬車を走らせている。
帝都の東門から3日ほど東へ進んだあと、西に1日戻ってから、南へ1日、東に2日、そして今度は3日間、北へ進んでいる。
帝都から北へ進めばよかったのではとアルテリスも思ったが、シン・リーによると、どうやらこの戻って、また進むというルートでなければならない……ということなのだった。
「南の海の砂浜から、北に2日進んだあとは、また南へ3日戻ると大砂漠に入る。大砂漠は大トカゲのゴーレムが進むのに任せておけばよい。オアシスに、6日から10日ほどで、ズレはあってもちゃんと到着する。どっちへ進むか考える者は、オアシスのクフサールの都どころか、大砂漠にすら入れないのだよ」
エルフェン帝国の結界領域は、そうなっているものらしい。
(だから、ゼルキス王国の村人たちが王都ハーメルンの市場に来て商売をするようなことは帝都ではなく、商工ギルドの商人たちだけが市場で商売しているのですね)
商品の仕入れ先の耕作地の村と帝都を往復している商工ギルドの行商人たちは、それぞれ自分の担当する耕作地以外は往復しない。
平原地帯で迷ってしまうのを避けるためである。
(英雄王ゼルキスが、大陸の西方へ難民を引き連れて渡った頃や、東方のシーアンの都を建造した人たちが大陸を旅をした頃も、今のように、ややこしくなっていたのでしょうか?)
エリザはそう思いながら、平原の光景をながめて、大樹海を目指す旅を続けている。
大きな幌馬車の車輪の音が、軽快で心地よい。
途中で帝都へ向かう他の行商人たちの幌馬車を見かけないのは、大樹海へのルートを迷わずに進んでいる証拠である。
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