第90話
現在、蛇神ナーガの障気を警戒したセレスティーヌが、大樹海の結界を強めてある。
大樹海の結界から出たところまで、トービス男爵が、学院に入学するエリザを、衛兵たちを引き連れてお迎えに行ったことがある。
この時、トービス男爵は帝都を出て大樹海まで行きは2日ほど、帰りは半日しか、馬車を走らせる必要がなかった。
大樹海の周辺は、世界樹の結界領域である。このエリザの帝都入りの時は、エルネスティーヌがエルフ族の女王でエリザのために世界樹に加護の祈りを捧げていた。
その結果、こうした不思議な事が起きた。
その頃と現在では、状況がちがっている。大樹海に人が近づけないようになっている。
エリザと一緒に旅をする獣人娘アルテリスに、エリネスティーヌ女王陛下から、王宮の庭園にいる白い梟があずけられた。
何か途中で困りごとがあれば、白い梟を飛ばして、帝都に知らせて欲しいということである。
肩に白い梟を乗せた赤い髪と狐耳の獣人娘アルテリスと、黒猫の神獣シン・リーを抱きかかえたエリザの乗車する幌馬車は、トービス男爵から見れば、商人たちが使う幌馬車と大差ない質素な感じに思えた。
「トービスさん、これでいい。エリザ用にあまり豪華な馬車を用意したら、目立ちすぎて逆に物騒な連中がいたら狙われるかもしれないからね」
100人の護衛の衛兵をつけるより、腕の立つ獣人娘アルテリスがついているほうが頼りになる。
もしも魔法などで攻撃してくる
(よくゲームとかだと、貴族の馬車が襲撃されたりします。なるほどです。あれは、馬車が目立ちすぎていたんですね!)
エリザは、自分が旅に使う幌馬車と2頭のゴーレム馬を見て、そう考えていた。
2頭のゴーレム馬は、エリザお嬢様が学院に通っていた時に馬車で使われていたものである。
トービス男爵は、エリザの旅について行きたいけれど、エリザがダメですときっぱりと言った。
しかたなく自分の大切なゴーレム馬を、エリザお嬢様の旅のおともにしてもらうことにした。
まだ日が昇り切っていない空がわずかに色づく早朝の時刻に、エリザ一行を乗せた幌馬車は帝都から出発した。
早朝を選んだのは、エリザたちの出発が人の出入りが多い昼間よりも目立たないようにするための配慮からである。
もしも、食糧や金銭の強奪目的で、エリザ一行の幌馬車を襲撃する
帝都周辺から離れてしまえば、地図はあてにならない。
しかし、月の雫の花の種をエルフの王国から運んできた白い梟がどっちに行けばいいか、案内してくれる。
「おばちゃん、ありがと!」
「こちらこそ、大助かりさ。収穫でちょうど手が足りないっていうのに、うちのところの若い連中ときたら……形の悪いやつなら、好きなだけ持って行っていいよ」
エリザの旅の最初の試練は、耕作地の村でのナスにそっくりな野菜を収穫する農作業のお手伝いなのだった。
アルテリスは旅に慣れている。困っている人を見つけて、お手伝いをすることが旅をおもしろいものにすると知っている。
(ここはいいところだよ。余所者でも毛嫌いしないで手伝いさせてくれるもんな!)
どうして形の悪い野菜ならくれるのか、エリザは「おばちゃん」に聞いてみると、領主様から形の悪い野菜は商人が売れ残るかもしれないからと安く買い叩かれるので、きれいな形の良いものを出荷するようにおふれが出ていることがわかった。
「味は見た目が多少はおかしくても、おいしいんだけどねぇ」
何時間もしゃがんでエリザは収穫していた。「おばちゃん」やアルテリスの収穫するペースよりも農作業に慣れていないので、とても遅かった。
しかし、エリザをイライラして急かすこともなく、二人は手を動かしながらエリザの様子を気にかけて話しかけながら収穫していた。
ナスに似た野菜をつかんで、くるっと回すようにして、もいでいくのである。
しゃがんでいる腰と野菜をひねる手首が、想像以上に疲れる作業だった。
「ねぇ、あの子はどこかの貴族様のご令嬢なのかい?」
「うん、道で拾ったんだよ」
「ああ、そうかい。ふふっ、あの子なら、うちの子にしたいね。一生懸命、がんばってくれて、なんかね、うれしいじゃないか」
アルテリスと「おばちゃん」が作業が終わって雑談しているころには、エリザはとても疲れてくたくただった。
でも、自分としては、かなりやりきった充実感に満足しながら、幌馬車で休んでいた。
執事のトービスが農作業をしているエリザを見たら、お嬢様に何をさせているのかと、驚いて立ちくらみを起こすかもしれない。
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