第91話
獣人娘アルテリスは、近年のターレン王国だけでなく、まだ神聖教団の教祖となる前は北方の太守にすぎなかったヴァルハザードが生まれるより、もっと前の時代の世界を旅をして生きてきた。
ターレン王国の僻地である浄化の聖地ストラウク伯爵領や他の領地から集まってきた人たちが暮らすテスティーノ伯爵領以外では、獣人族のアルテリスは見慣れない余所者と警戒された。
元傾国の美女の預言者ヘレーネが、貴公子リーフェンシュタールと結婚して暮らしているリヒター伯爵領も、かなりおおらかな村人たちが暮らしていると、アルテリスはヘレーネから聞いている。
中原の大国が、のちに千年王朝になる前の時代に、豪族たちが小国でそれぞれ激しく小競り合いをしていた頃の世界は、治安がかなり悪かった。
そんな遠い過去から今でも同じ言葉を使って、みんなで同じように恋をして、笑ったり、怒ったり、泣いたりしてきたのは変わらないのを、アルテリスは不思議に思うとエリザに話した。
エリザは執事のトービスに、王宮からフライパンと鍋を幌馬車に乗せておいてもらうのを忘れなかった。
途中で二人でお手伝いをしてあちこちの村で分けてもらった野菜や卵を焚き火で焼いたり、スープを作って食べながら、アルテリスは便利になったと感心していた。
(アルテリスさん、かなりお料理上手です。あと、野草でいろんな味付けができるなんて、ちょっと不思議です)
世界最古のスパイスは、シナモンという説がある。
漢方ではシナモンは、
シナモンは南インドやスリランカに生えているセイロンシナモンやカシアというクスノキ科の熱帯性常緑樹の樹皮を乾燥させて作られる。日本では飛鳥時代に遣唐使が中国から持ち帰り、奈良時代には
エリザは、転生前の世界の香辛料の歴史はよく知らないけれど、味だけは覚えている。
「あたしに野草とか
パルタ事変で女騎士ソフィアのモルガン男爵暗殺に協力した美丈夫ザイベルトの逃亡中に、テスティーノ伯爵の子息の剣士カルヴィーノが恋人のシナエルと探索していた。ザイベルトの妻のフリーデを、カルヴィーノはバーデルの都で見つけ出して、夫婦は無事に再会した。
その後、ザイベルト夫妻はストラウク伯爵領に滞在していた時期がある。
アルテリスとザイベルトは、ストラウク伯爵領で、テスティーノ伯爵を師匠として武術の修行を一緒にした。
この武術修行のエピソードをエリザは知っている。
エリザはなんとなく、中国のカンフー映画みたいな修行のエピソードだと思った。
アルテリスはフライパンで野草を乾燥させて、それを小鍋でお湯と煮て、ハーブティーのようなものを作ってみせた。エリザも一緒に飲んだ。
シナモンと似た甘い香り、さらに、蜂蜜のような甘味もほのかにあって、とてもおいしいお茶だった。
「これ、伯爵様も大好きでさ……エリザもこれ、好きな味か?」
「はい、おいしいです」
「なんかおいしい味とか、いい匂いって、ずっと前に食べたり飲んだ時のことを思い出させるよな」
アルテリスは、テスティーノ伯爵のことや、ザイベルトとの拳法の修行のことを思い出しながら、焚き火を見つめて言った。
「焚き火っていいですよね。なんか気持ち落ちつきます」
エリザもおいしいお茶を飲みながら、焚き火をぼんやりと見つめた。
ちょっとキャンプをしているような気分になって。
幌馬車の幌の上に乗った白い梟は、ほうほう、ほうほう、と平原の夜空の満天の星に鳴いている。
「山賊やら狼とかいないと、退屈だけどな」
アルテリスは焚き火に村で拾って集めた枯れ枝を焚き火にくべながら、そんなことを言った。
この時、エリザたちの幌馬車には、平原の野うさぎたちが巣穴から出てきて集まってきている。
「あっ、かわいい」
焚き火のそばに素早くやって来た子うさぎが、エリザを見上げている。
子うさぎは、興味があるものに怖いもの知らずで近づいて観察する習性がある。
アルテリスは、エリザと子うさぎが見つめあっているのを見て、急いで幌馬車の荷台から野菜をひと抱え持ってくると、思いっきり荷馬車から遠くの暗闇に向かって放り投げ始めた。
エリザは子うさぎを指先で撫でていたが、アルテリスが急に訳のわからないことを始めたので、ちょっと困惑していた。
「これでよし!」
アルテリスはそう言って焚き火の前に戻ってくると、エリザのそばの子うさぎに話しかけた。
「ほら、ちびすけ、早くみんなのところに帰らないと、はぐれちゃうぞ」
そう言われた子うさぎは鼻をぴくぴくさせて、ささっと素早く焚き火から離れて夜の闇の中へ跳ねていってしまった。
もう少し遅かったら、平原の野うさぎが押し寄せてきて、幌馬車の中の食糧が全部食べられるだけでなく、幌馬車もかじられてボロボロにされかねなかったと、幌馬車から降りてきた神獣シン・リーに、エリザは説明されて驚いた。
「エリザ、アルテリスが馬鹿力で良かったの。遠くに放り投げた野菜につられて野うさぎの群れは離れていった」
「それで、子うさぎちゃんがあわてて帰っていったんですね。ちゃんと帰れたのでしょうか?」
「大丈夫だと思うよ。子うさぎはあんなに素早いんだから」
エリザが子うさぎをはぐれてしまわないか心配しているのを聞いて、アルテリスは思わず笑ってしまった。
「焚き火もいいけど、また子うさぎが見物に来ても困るからな。エリザ、あたしたちも、今夜はもう寝ることにしようよ!」
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