第16話 光の当たる場所へ

 海はその日、両親に大智の事を話した。

 既に知っていた母ですら言葉を失ったのに、父はショックのあまり何も答えず寝室に引き揚げてしまった。

 大智が事情を説明して頭を下げると言ってくれたが、自分の家族のことは自分で決着をつけたい。

 その後も折に触れて声をかけるが、父は頑なに海の顔を見ようともしない。だが、事態が進展しなくても時間は流れていく。新店舗のミーティングを重ねながら新居も探さなくてはならない。引っ越しのための荷造りや、買い物もある。

 これまで、変わらない環境で知っている人にだけ囲まれる生活をしていた海にとって、初めての大きなストレスになっていたのかもしれない。休日に大智と物件を回る約束をしていたのに、朝目覚めると身体が動かない。目を開けると天井が回る。

 辛うじて大智に「今日は動けない」とメッセージを送ると、再び布団に潜った。

 どのくらい眠っていたのだろうか。誰かがドアをノックする音が聞こえる。

「海、海。入ってもいい?」

 母の声が聞こえる。上手く声が出せない。

「うん」

 いつもは部屋に入られるのを嫌がるのだが、もうやり取りするのも面倒だった。

「海くん、今、どんな感じ?」

 どうしてだろう、大智の声が聞こえる。

「身体が、動かない。あと、天井がぐるぐるして気持ち悪い」

「海、海、大丈夫?」

 狼狽える母の声が聞こえた。

「俺、車で来てますから、病院へ行きましょう。かかりつけはありますか?」

「いつも行ってる内科が」

「じゃあ、電話で連絡しておいてください。俺、海くんの着替えを手伝います」

 されるがままで服を着替えると、ふわりと身体が浮いた。


 かかりつけの内科で点滴を受けると、少し身体がしっかりしてきた。念のためと紹介された脳神経外科で撮ったCTにも異常はなかった。

「疲れでしょう」

 苦笑する医師の言葉もぼんやりとしか聞こえなかった。

 気が付くと、自室のベッドに横たわっていた。窓の外は暗い。多少ふらつくが、ゆっくりと起き上がれば歩けそうだ。心配させたことを詫びようと、リビングに向かう。

「皆戸さんのご心配も、もっともです」

 リビングから大智の声が聞こえてきて、海は足を止めた。

「同性パートナーがどんな人生をこの国で歩むのか、あまりにも前例が少なすぎます。また、受けられるべき社会保障も今は受けられない」

 静かなリビングに、穏やかな大智の声が響く。

「でも、人生のパートナーは損得で選ぶものではないと思うんです、俺は」

 リビングから人影が見えないように、壁にもたれかかり中の様子をうかがう。

「俺達が選ぶ道は、ご両親が望まないものなのだと分かっています。でも、偉そうなことを言いますが、俺はこれからもずっと、誰よりも海くんの一番近くで、海くんを支えていきたいんです」

 大智の声ははっきりと力強かった。海はドアを開け、リビングに飛び込んだ。

「父さん、母さん、お願い。俺、幸せになりたいんだ」



「大智さん、荷物、これだけ?」

「いい機会だから、結構処分したんだよ」

「……元カレからもらった物とか?」

「何ソレ。海くん……もしかしてヤキモチ?」

「ニヤニヤしないでください! 鬱陶しい!」

 晴天に恵まれた暖かい日。海は大智との新居へ引っ越した。新店舗のオープンを間近に控え、もぎ取った2日間の休日で片づける予定だった。

「水槽置くラックは組んだ? 早くこの子達移してやろうよ」

「大智さんの方がはしゃいでる」

 山積みの段ボールを後回しにして、スチールラックを組む。海の部屋から運んできた小型水槽を置くと、大智は嬉々としてレイアウトを始めた。

 家電は大智が使っていた物を引っ越し業者が設置してくれた。新調した家具も搬入してある。海は大智の背中を見ながら、買い揃えた食器を取り出した。

「ね、海くん、これでいいかな?」

 顔を上げてこちらを振り返る大智の側に駆け寄る。自分がやるよりずっといい配置で石が置かれていた。

 人には向き不向きがあると思う。

「やっぱ大智さん、センスいいよ」

「やった。すぐにセットアップしてコリドラス入れるね」

 新しいダイニングテーブルの上に、水槽の水と魚達を入れたビニール袋がいくつも置かれている。揺れる車内では他の魚を傷つけることがあるから、とコリドラスだけは単体で袋詰めされていた。

「ホント、お前愛されてるなぁ。丸々と太って、美味そ……」

「食べないでください!」

 冗談だよ、と笑う大智に笑顔を返し、海はキッチンに戻った。

 お揃いの茶碗、お揃いの箸、お揃いの弁当箱。

 頑張り過ぎて倒れて、大智に迷惑をかけないように、と母からは何度も釘を刺されていた。父からは心配だからこまめに帰ってこい、と言われている。

 いろんな人の気遣いの上に自分達の生活は成り立っている。だから、いつもありがとうが言える人になりたい。

「海くん、できたよ」

 大智の声に駆け寄ると、光を反射する水の中で水草が揺れていた。コリドラスは人目を避けて岩陰へ、プラティは落ち着かないように泳ぎ回っていた。

「この子達も、新生活ですね」

「海くんの大切な友達だからね。この子達も大切にするよ」


 大智に促されて、海は真新しいソファーに座った。二人で選んだソファーの色は、いつかの、大智と一緒に見た海の様なまばゆい青。

「ね、海くん」

 身体をひねって、向かい合う。

「俺はこんな奴だし、間違ったり失敗したりすることもある」

 側に置いていた自らのバッグから、大智は小さな箱を取り出した。

「それでも、俺は海くんと一緒なら幸せになれるんだ。こんな自分勝手なヤツでごめん。でもお願い。これから先、ずっと一緒に居てください」

 大智が箱を開けると、指輪が二つ収まっていた。窓から入る日の光を浴びて輝いている。

 海は指輪を見つめ、大智の顔を見上げる。それから、ゆっくりと頷いた。

 大智の指がぎこちなく指輪を取り、海の左手にはめた。

「大智さん、手震えてるし冷たい」

「こんなの初めてだもん」

 海も真似をして、指輪を取り出し、大智の左手にはめた。

 急に視界が暗くなる。大好きな甘いコロンの香り。

「海くん、大好きだよ。俺を好きになってくれてありがとう」

「大智さん、俺も。ありがとう、俺を見つけてくれて」

 窓から差し込む柔らかな光が、抱き合う二人を包んでいた。

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アクアリウムの中にある海 赤尾 ねこ @redtail

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