第15話 疑う余地も無い

 本社の会議室で海は自分が呼ばれていることに気付かなかった。隣席の社員に肩を叩かれ、ようやく我に返って立ち上がった。

「皆戸、海です。よろしくお願いします」

 深々と頭を下げてから席に着き、再びそちらに目を向ける。

 この日、会議室では新店舗スタッフの顔合わせが行われていた。今回はテナントスタッフも参加するため、かなりの人数が集まっている。

 ペットショップが入るのは聞いていた。それが大智の会社だということも。だが、大智は既に他の店の店長であり、それらしい素振りもなかった……はずだ。

「來山大智です。ペットコーナーの責任者として入ります」

 涼しい顔で挨拶をし、あろうことか海に視線を送ってくる。サプライズが成功した子供のようだった。

 通常であれば驚いて喜ぶところなのだが、今は大智と冷戦中なのだ。向けられた視線から目を逸らし、手元の資料をめくる。

 どうしてあらかじめ言っておいてくれないのか。喜びより先に怒りが湧いてきた。


 午前中は店舗全体のコンセプトなどが説明され、午後は各部門に分かれての打ち合わせ、今後のスケジュール調整となっている。以前ほどではなくなったが、一度に多くの初対面に囲まれると、海はやはり疲れてしまった。

 社員食堂に向かう波を抜けて、海は本社の外に出た。

 本社の横には小さな公園がある。海と同じように一人でゆっくりしたい人達が昼休みを過ごすのにちょうどいい場所だった。風は冷たいが、陽光が辺りを暖めている。外で昼食を摂るには悪くない天気だった。

 幸い木陰のベンチが空いたのでそこに座ると、海は膝の上で弁当を広げた。

「すみません、相席、よろしいですか?」

 海は声の主を振り返る事もなく弁当の蓋を開ける。卵焼き、ミートボール、ポテトサラダ。海の好きなものばかりが詰められていた。本社で顔合わせと聞いた母が心配してくれたのだろう。

 このミートボールの作り方も聞いておかないと、と箸を伸ばした時、横から伸びてきたフォークがそのミートボールをさらっていった。

「ちょ!」

「あぁ、うんまい!」

 嬉しそうに空を仰いでから、海の方を向く。

「お母さんが作ったの?」

「……そう、ですけど」

「作り方、教えてもらおうかな」

 飄々と答える姿に、余計に腹が立ってきた。

「俺だけが知らなかったんですよね」

「何が?」

「大智さんが同じ店に来るって」

「あぁ、それ。大半は知らなかったはずだよ。それに、海くんには知らせたよ。まぁ、通話にも出ないしメッセージも未読のままだったけど」

 ハッとして海はスマートフォンを取り出した。メッセージアプリを開くと、バッジが2桁の数字を示すアイコンを選ぶ。

 理由も言わずに連絡を絶ったので、前半は謝罪の言葉が並んでいる。途中からは弱気な言葉になっていて、大智らしくない。

「俺、追い込まれ過ぎて山根ちゃんにまで相談したもん」

 そう言えば山根から、仕事は忙しいのか、とメッセージが入っていた気がする。しかし、それにしても、だ。

「自分に告白してきたのを断った相手に恋愛相談するとか、ホントにクズですね」

「だから追い込まれ過ぎたんだって」

 メッセージは徐々に近況報告に変わり、新店舗に大智の会社が入ることになったと書いてある。

「今の店が嫌になった訳じゃないんだ。今の店で副店長してる子がすごく優秀でね、俺が居たんじゃ能力が活かせないなって思ってさ。ちょうどいいタイミングだったんだよ」

 メッセージを読み進めると、最後の一文は「近いうちにご両親に挨拶してもいい?」だった。

「これ、どういう意味……」

「海くんのお見舞いに行った時、思ったんだ。海くんのご両親だけあって、お二人とも優しくてステキだなぁって。でも、ご両親にコソコソ隠したままで付き合うことが、心苦しいと言うか、海くんの心に負担をかけてるんじゃないかって」

 顔を上げると、大智もこちらを見ていた。よく見ると、少しやつれた印象がある。

「すぐに許してもらえるとは思ってないんだ。だって、海くんのご両親はそんなこと思ってもいないだろうし。大切な一人息子でしょ。海くんはもう前と違ってちゃんと人とかかわることができるんだから、俺みたいなの、早く居なくならなくちゃいけないんだけど」

「嫌だ」

 キッと大智の目を見据える。

「大智さんが俺をここまで引き上げてくれたんだから、これからもずっと大智さんは側に居なくちゃ嫌だ」

 頬を雫が伝う。

「俺が異動になるって聞いても、全然寂しがらないし、なんか大智さんばっか余裕で嫌だった。だから、大智さんも寂しいと思えばいいって思って。ホントに、俺、ガキで……」

 背中がふわりと温かくなる。大智の手はいつも海の背中を押してくれる。

「ね、海くん。まだ住む所、決めてないよね」

「……はい」

「一緒に住む家、探さない?」

「えっ」

「俺がご両親にちゃんと話すから」

 微笑む大智の目は、海を見据えていた。

「海くんはいつも、俺しか居ないって言ってくれるけど、逆だよ。俺が、海くんじゃなきゃダメなんだ。海くんが全て。だから、君の重荷にならないようにしなくちゃ、ってガラにもなくクールに見せてさ。海くんが今は新しいことにトライするのを応援しなくちゃって」

 でも、と呟いて、大智は大きく息を吐いた。

「俺には無理だ。もうさ、俺の日常、海くんでいっぱいなの。だから、海くん怒らせちゃってから、キツかった」

 それで同じ店で働けるよう奔走したということか。自分はこんなにも想われている。そんなことはずっと前から分かっていたはずなのに。

「大智さん、俺とずっと一緒に居てください」

 見上げる海の頭を、大智は優しく撫でた。

「ズルいよ、海くん。プロポーズは俺からしようって思っていたのに」

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