第14話 違う二人が同じ道を進むには
卒業までの3年間で大きな喧嘩は2回。
大智が少し離れた店舗の店長に、という辞令を断ると言った時と、海が本意でないのに大智と繋がろうとした時。
慌てる理由は無いから、焦らずじっくり付き合っていこうと約束したのに、会える時間が減ると、お互い気持ちが先走ってしまう。
「俺、大智さんしか居ないから、大智さんが居なくちゃ一人ぼっちだから……」
裸のまま泣きじゃくる海を、大智は布団に包んだ。
「人とぶつかるのは、海くんだけに特別にあることじゃない。誰にだってある。もちろん、俺にもある。人とかかわりと持つようになると、好きな人もできれば嫌いな人もできる。それでいいんだよ。その中でも、俺は何があっても海くんが好き。それは揺るがない。海くんは、そのことをよく覚えていて」
でも、だって、とぐずぐず泣き続ける海の頬を撫でながら、大智は新しい店の話をする。
気の強いウサギが入ってきて、餌が気に入らないと皿をひっくり返すこと、閉店後の静かな店内でウズラが急に叫び声を上げて飛び上がったから大智も飛び上がったことや、バイトの男の子に求愛する文鳥が自分には見向きもしないことなど、とりとめもない話を海に聞かせる。
海はベッドの中で大智の手を掴んだまま、そのうちウトウトと眠ってしまう。
バイトの頃と違って、社員の立場になると、楽しい事だけする訳にはいかないし、かかわらないといけない人も増える。これまで人を避けて生きてきた海にとって、毎日がとてつもないストレスとの戦いとなっているはずだ。
パートで働く野田から海の様子を大智は聞いていた。厳しい事を言われても、歯を食いしばって耐えている、そんな話を聞くたびに、大智も側に居てやれないことを悔しがっていた。
その上、高校の課題もある。身体も頭もくたくたのはずなのに、時間を作っては大智に会いに来る。
「可愛いし、嬉しいんだけど……海くんの身体と心が心配だよ」
高校2年生の過程に進んですぐの頃、海はついに倒れてしまった。
検査をしてもこれといった原因が分からないまま、3日間高熱が続いた。
大智からのメッセージに返信することもできないまま寝込んでいると、ふと、大智に頬を撫でられた気がした。
3日目の夜、ようやく熱が下がった海は、前日、大智が見舞いに来たことを母から告げられた。
「お付き合い、してるの?」
母に言われ、朦朧としたまま海は頷いた。直後にしまった、と思ったが、母は「そう」と返しただけだった。
高校卒業を控えたある日、海は本社から来たエリアマネージャーに呼ばれて会議室に居た。
「皆戸くん、無事卒業だね。おめでとう」
「ありがとうございます」
高校を卒業したら正社員に、という話ではあったが、海は不安でいっぱいだった。
以前に比べれば人と話せるようになったし、企画も2度ほど採用された。周囲とぶつかることもあったが、自分が折れることもできるようになったし、どうしても譲れない時には主張できるようにもなった。
それでもまだ、自分は周囲と同じようには振舞えていない、と思う。長い間染みついた自己肯定感の低さは、そう簡単には変えられない。
「今日は、意思の確認で来ました」
テーブルの上で手を組むエリアマネージャーを前に、海は姿勢を正した。
「高校を卒業したら正社員に、という話です。皆戸くんは、この話を受ける気持ちは今でもありますか」
海は普通に「はい」と答えたつもりだったが、声が掠れてしまっていた。
「これまではこの店で働いてもらっていましたが、正社員となれば転勤を伴うこともあります。他店に移ると、また新しい人間関係を構築しないといけません。皆戸くんの仕事ぶりは高く評価していますが、社長もその点を心配しています。……大丈夫ですか?」
大丈夫か、と言われると、大丈夫ではない。見知らぬ人に囲まれるだけでも絶望的なのに、既に出来上がったコミュニティに加わるなど、考えただけでも足が竦む。
でも。
「大、丈夫、です。いつまでも誰かに頼って甘えてばかりではいけませんし。少しずつ、出来ることを増やして、見える世界を広げていきたいんです。そうしないと、自分自身が自分の生活を楽しむことができません」
ずっと側に居て、味方でいてくれる。そんな人が自分には居る。改めて、大智の存在の大きさを感じた。
「では、正社員の件は受けていただけるということで、話を進めましょう」
「ありがとうございます」
「それから、社長からの伝言です」
エリアマネージャーは席を立ちながら続けた。
「自分をそのままでいいと言ってくれる人のために、もっと自信を持ちなさい。人より遠回りになったけれど、自らの意志で高校をちゃんと卒業することは簡単なことではない。君は立派だ」
立ち上がって見送る海は、その背中に深く頭を下げた。
卒業式を間もなく控えた3月。海は再び大智と3回目の喧嘩をしていた。
きっかけは海に下りた辞令。
4月1日より正社員として雇用すること。
それから、異動。
転勤については事前に言われていたので覚悟はしていた。恋人と離れることも、大人なのだから我慢しなくては、と思っていた。
それならなぜ喧嘩になるのか。
大智があっさりと「頑張っておいで」と言ったからだ。
もちろん、行くなと言われても困るのだが、全く引きとめられないのも寂しい。
もしかして、いつまでも身体を繋げないでいるから、大智の気持ちも冷めてしまっているのだろうか。そう思って大智を誘ってみても「まだその時じゃない」と断られてしまう。
もうどうでもいいのか、いやそんなことはない、少しは寂しがって欲しい、もちろん寂しいよ、押し問答はそのうち言い合いになり、その日から海は大智と一切の連絡を絶っていた。
「海、家探しは進んでる?」
4月からは一人暮らしになる。新しい職場は家からの通勤が難しい距離だ。
「今日、新店舗スタッフのミーティングがあるから、そこで他の人にも相談してみるよ」
海の新しい職場は、隣市にできる新店舗だった。自分で作る自分らしい毎日、をコンセプトにした、DIYに注力した店舗だった。
技術的なことは専門スタッフの担当だが、幅広い商品知識を期待されての抜擢だと海は考えていた。
「もうしばらく、海にお弁当作りたかったな」
寂しそうな母の声に、急に心細さが襲ってきた。
「料理とか、洗濯とか、教えてもらわないとね」
「そうね。母さんにもまだ大事な仕事があったわね」
玄関先で海に弁当を渡しながら、言いにくそうに母は口を開いた。
「その……來山さんとは……どうなってる?」
弁当を受け取りながら、海は苦笑した。
「どうって……まぁ、今、喧嘩中だから」
海の言葉に、母は目を大きく見開いた。
「海でも、誰かと喧嘩すること、あるのね」
「えっ……そう、かな?」
「余程、來山さんには言いたいことを言えるのね」
笑顔で手を振る母に、行ってくる、と告げて、海はドアを開けた。
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