第13話 認識の違い

「お酒、飲んでみた?」

 メニューを開いて笑う大智は、いつもと変わらない様子だった。

「父とビールを飲みました。でも、苦いだけだった」

「はは。アレを美味いと思えるには、まだ海くんは若すぎるかな」

 2人とも仕事が終わってから合流したので、特別なことをするつもりはなかった。

 大智が「ここはちょっと特別な日に使うんだ」と言って案内してくれた店は、お互いの顔が見える程度に照明が落としてあり、奥の壁にはプロジェクターで古い映画が映し出されている。

「せっかく二十歳の誕生日だし、もっと張り切りたかったんだけど」

「あんまり緊張する店は好きじゃないです」

 ホールには周囲の客の声が溢れていた。それでも大智の声だけは特別に響いて、海の耳に届く。いつもなら周囲の話し声が気になるのに、心地よいBGMのようだった。

「落ち着かない?」

「いえ……逆です。こんなに人が居るのに、人目が全然気にならないって言うか、むしろ居心地がよくて」

「ここはいろんな人が居るからなぁ」

 改めて周囲を見回すと、男女のカップルだけではなく同性のカップルもいる。一人の者も居れば、4、5人のグループも居る。国籍も多様なのか、英語ではない、聞き慣れない言語も聞こえた。

 雑多に集う人の中で、自分や大智もこのうちの一例でしかない。

「個室の店でも良かったんだけど、コソコソするんじゃ、いつもと変わらないって思ってね。たまには俺達付き合ってます! って世界に言いたくなるじゃん」

 店員にオーダーをしてから、大智はメニューをテーブルの端に置いた。

「まぁ、この店じゃ、俺達付き合ってます! って言っても、みんな、ふぅんで終わっちゃうけど」

「わざわざ宣言しなくても、人目を気にしないでいいだけで充分です」

 店の片隅にあるテーブル席で、海は壁を背に座っていた。店内を見回す形になるが、他の客と目が合いそうになると壁の映画に視線を逸らせばいい。

 何もかも大智の方が上手だ。最初から分かっているはずなのに、大智がこれまで他にも恋愛をしてきていることを改めて感じて、胸が痛くなる。

「乾杯しよ」

 大智の声に顔を上げた。

「グラスの方がおしゃれなんだけど、コイツは瓶のままの方がいいからさ」

 目の前に置かれた、青いラベルの透明な瓶は、飲み口にレモンが刺さっている。

「ジーマだよ。アルコール度数低いし、飲みやすいから。レモンは絞って入れる人も居るけど、俺はこっちの方が好き」

 大智はレモンを外して一口飲むと、レモンを瓶の口から指で押し入れた。海も見よう見まねでレモンを落とすと、涼やかな音と共に炭酸の気泡が上がる。

「海くん、誕生日おめでとう」

 持ち上げた瓶をぶつけ合って、口の中に液体を流し込んだ。モヤモヤした気持ちを晴らす様に、レモンの香りが鼻腔を抜けた。


「大智さん、俺って、何人目の恋人なんですか?」

 食事を終えて、大智の部屋に転がり込んだ頃には、海はフワフワとした雲の中に居るようだった。

「気になる?」

「そりゃ、まぁ」

 ベッドに横たえられて、ミネラルウォーターのペットボトルを渡された。大智もベッドの端に腰掛けて、喉に水を流し込む。

「……数えたことないな」

「え?」

「身体だけのヤツも入れたら、そりゃもう数えてなんていられないよ」

「大智さん、割とクズですね」

「……だね」

 大智の手が海の頬を撫でる。

「もう、ずっと理性と戦ってるんだ」

 仰のくと唇を重ねられた。

「ずっと好きで、触れたい、抱きたいって思ってた。壊さないように優しく触れたら、海くんはどんな声で啼くんだろうって。俺の腕の中でどんな顔をするんだろうって。だけど、俺は絶対に君を傷つけたくない」

 先程から大智と視線が交わらない。どんなことにも正面から向き合うはずの大智が、海の目を見ようともしない。

「こんな俺が言っても信じてくれないだろうけど、本当に、本気で、海くんが好きなんだ。ノンケの相手を好きになっても叶うはずがないって思っていたのに、俺の方を向いてくれて、触れさせてくれる。だから、俺は、海くんを大切にしたい。望まないことはしたくない」

 大智は笑顔なのに、今にも泣き出しそうだった。

「大智さんは、俺のどこが好きなの?」

 呂律が回らない口で、海がふにゃりと笑うと、大智は俯いて両手で顔を覆った。

「もういい! 正直に、かっこつけずに全部話す! 顔だよ顔!」

 顔? 前髪は目を覆う程伸ばしていたし、いつも俯いて誰とも目を合わせなかったのに。

「上の段の水槽を見る時はさすがに上を向くでしょ。いつもは見えない目がキラキラして、大きくて、楽しそうで。最初はちょっかい出すだけのつもりだったのに、海くん、あまりにも素直で真面目で可愛くて優しいから……」

 大智は両手で顔を覆ったまま、深くため息をついた。

「もう、ホント、サイッテー……顔が好きとか……俺、海くんの昔の話を聞いて、こんな自分が嫌すぎて、インコに指噛んでもらったもん」

「どのインコ……?」

「あの、常にメンチ切ってたオカメインコ……」

「ちょっとした流血事件ですね」

「売り物に指噛ませるなって、山根ちゃんにめちゃくちゃ怒られた」

「それは反省してください」

「ハイ……」

 インコのケージの前で大智と山根が騒いでいるのを、呆れて見守る野田の姿が目に浮かぶ。

 そして唐突に、あのペットコーナーがどれだけ大切な場所だったのかを、海は今更ながら痛感した。山根も、野田も、それからいつも大智が側にいたことも。

 居心地のいい場所は、もう近くにはない。

 だからこそ、居心地のいい場所でいてくれる大智の存在が、何よりも大切で、誰よりも自分の近くに居て欲しい。

「ね、大智さん。シャワー貸して。あと、何か着るものない?」

「着るもの?」

「寝る時に着るもの持ってこなくて。全然古いジャージでもいいし、Tシャツとかでいいんで」

「わ、分かっ……た」


 彼シャツ、と言うらしい。

 たちが悪いのは、海には全く他意が無かったことだ。本当に、寝間着を忘れてきただけなのだ。寝床に入って、身も心も解して、本音で話をしようと思っただけなのだ。

 だから、部屋に戻った時、大智が頭を抱える理由が分からなかった。

「海くんはさ、天然だからさぁ……もう、ホント……」

「俺、何か気に障ることしました? ごめんなさい」

 海が近づこうとすると、片手を上げて大智が制する。

「いや、海くんは全く悪くない。全て俺の問題。大丈夫」

「じゃ、なんで近寄っちゃいけないんですか」

「いや、本当に、ごめん。ちょっと、俺、風呂入ってくるわ。海くん、ベッドでくつろいでなよ」

 そそくさと立ち去る大智の背中を見送って、海は訝しく思いながらも大智のベッドにごろりと横になった。


 翌朝目覚めると、海は身動きができなかった。

 背後から回る大智の腕に阻まれて、起き上がることができない。仕方なく、腕の中で寝返りを打ち、寝息をたてるその顔を見上げた。

 いつも少し気を張って整った顔が、今はふにゃりと緩んでいる。無防備な顔を見られることが、堪らなく嬉しかった。

 手を伸ばして大智の頬に触れると、まつ毛が揺れて、目が開いた。

「おはよ、大智さん」

「……おはよ、海くん」

 もぞもぞと両腕が動いて、再び海の自由を奪う。それは心地よい束縛だった。

 昨夜の記憶が曖昧だ。大智が風呂に入っている間、少しだけ横になっていたつもりだった。慣れない酒のせいかもしれない。

 恐らく、そのまま眠ってしまったのだ。

 そして、大智はそんな自分に無理強いすることなく、ただ、寄り添って眠っていたのだろう。

 恋愛感情においての『好き』なのだ。当然、での関係も求めていただろうに。

「ね、大智さん」

 大智の胸の中でくぐもった声を響かせた。

「俺、大智さんが好き」

 大智は何も答えないが、耳に伝わる鼓動が早い。

「あんなに人嫌いだった俺を守ってくれて、赦してくれて。あんなに愛想悪かった俺を好きになってくれて。俺は、大智さんが居てくれたから、前に進もうって思えたんだ」

「何言ってるんだよ。海くんは元々ちゃんと能力のある人だったんだよ。俺が何かしたからって訳じゃない」

 大智の身体が離れて、顔を両手で包まれた。揺れることの無い大智の瞳が海を捉える。

「海くんは、もっといろんなことができる。大丈夫。俺がずっと側に居て、どんな時も味方でいるから。海くんは安心して、自分が思う方向に進めばいい」

「大智さん……ありがと。やっぱり、大好きだよ」

「心を手に入れたロボットみたいなこと言ってたのにね。海くん、すごい成長」

「それ、褒めてます?」

「めちゃくちゃ褒めてるから」

 大智からのキスにもう慌てる事もない。

 未来への不安が無くなった訳ではないが、大智と共有する未来なら悪くないと思えた。

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