第9話 大切な人のために前進すべき時もある
全従業員対象のコンペに自分が参加する日が来るなどと、過去の自分は思いもしなかっただろう。
この春に向けて、新生活を提案する企画を店で働く全ての従業員から募集する。そんな張り紙を見かけたのは手袋無しには自転車に乗れなくなった頃だった。
忙しそうな大智とはメッセージのやり取りしかできなかったが、自分が企画を出すことは大いに喜んでくれた。企画書など作ったことはなかったが、父が張り切って手伝ってくれたので、それらしいものは出来上がった。
プレゼンは緊張のあまり何を話したか覚えていないが、熱意だけは伝わったのかもしれない。海の企画はフェアの一つとして採用されたのだ。
「さすが店内の商品をほぼ把握してる海くんらしい企画だよね。改装もいらないし、サンプル商品出すだけでできるから、店としてもどうぞ、ってなるよね」
ペットコーナーの事務所で大智と話すのは久しぶりだった。しばらく会わないうちに少しやつれたようにも見える。
「ペットコーナーからも生体出してくださいよ」
昼食の弁当を広げながら、大智の様子をうかがう。海の企画書をめくりながら、大智は嬉しそうだった。
未だ大智からテナント撤退の話は聞いていない。会うのも久しぶりだから仕方ないのだろうが、大智の口から教えて欲しかった。
「小型水槽、サンプルで出すんだっけ。何がいいかな」
気のせいか、ずっと大智と視線が交わらない。
「初心者向けで、見栄えのいい魚がいいよね。水草も、今何があったかな……」
どうして自分には話してくれないのだろう。友達だと言ってくれたのに。自分にとって大智はかけがえのない存在なのに、大智にとっては数多いる友達の一人にすぎないということか。
「企画会議にも顔出さないとね。俺、今ちょっと忙しいから、山根ちゃんに……」
ようやく海の方を向いた大智が、はっと息を呑んだ。
「海くん……」
伸ばそうと上げた手を下ろす。その様子が余計に海を孤独にさせた。
「俺、大智さんと友達になれて、嬉しくて」
情けない程声が震えるが、構わず続ける。
「でも、考えたら、俺、いつも大智さんに助けてもらうばかりで、俺、大智さんに何もしてあげられなくて、だから、今回……」
隣に座った大智に抱き寄せられた。いつもの甘いコロンの香りはしなかった。
「気づいていたよ」
大智の手が優しく背中を撫でる。
「海くんの企画を聞いた時、あぁ、これはウチの店を助けようとしてくれてるんだなって。どこから撤退の話が漏れたんだろうとは思ったけど、まぁ、山根ちゃんあたりだろうし」
「俺、ちゃんと大智さんから聞きたくて、でも、大智さん忙しいし……」
大智の両腕が背中に回る。いつもと違う、強く抱きしめる力。
「いや、俺が悪かった」
肩口に深いため息が落ちた。
「海くん、悲しむだろうなって思って、言わずにおこうと思っていたんだ。でも、ちゃんと心の準備をしておいた方がいいよね」
「いや、俺こそ、部外者なのに……」
「何言ってんの。海くんはウチの大切な仲間だよ。それに……」
言いかけた言葉を、大智は飲み込んだ。
「それに、何?」
「いや、今はまだ言うべき時じゃない。いずれ、その時がきたら、ちゃんと話すから」
「……よく分かんないけど、分かりました」
結局、企画会議はほとんど山根が出席していたが、忙しい合間を縫って大智も時折顔を出した。海が精一杯声を出して、たどたどしくも熱心に話す姿を、いつもの穏やかな眼差して見守っていた。
「犬や猫は出せませんかね」
「逃げたら大変だからなぁ。でも、座ってるお客さんに抱っこしてもらうことはできるかな。常設はできないけど、ハムスターやインコのケージを入れ替えながらなら出せると思う」
「アレルギーの人への配慮もいりますよね」
「そうだね……今、この子がいます、ってボードを出しておけば、嫌味なく伝えられるんじゃないかな」
店内の一角にワンルームの部屋を再現する、というのが海の企画だった。ベッドやテレビボード、チェストなどを配置し、そこに実際のケージや水槽を置き、お客さんに疑似体験をしてもらうことで、ペットとの暮らしに興味を持ってもらおうというのだ。
春から生活環境を新しくしたい人や、新生活に不安を感じている人へのアピールになる。ペットコーナーが参加することに難色を示す社員もいたが、撤退後は本店でフォローすることが約束されて話もまとまり、詰めの作業が進んでいた。
「海くんは凄いよね」
各担当者からの推薦商品をチェックしながら、後ろで水槽の準備をする大智に振り向いた。
「本当に一所懸命だから、みんな力を貸してくれる」
「そんなこと……ないです」
おいで、と手招きされて、水槽を覗き込む。ランダムに配置された石の間で水草が揺れる。
「相変わらず大智さん上手いなぁ」
「数こなしてるからね」
設置されたばかりの水槽はまだ濁っている。これも明日には落ち着くだろう。
「ここにグリーンネオン入れようと思って」
「ネオンテトラじゃないんだ」
「あえて、ね。綺麗だし、単価高いから」
このコーナーのお披露目は明後日だ。今はまだパーテーションに囲まれた空間で、海と大智は肩を寄せ合う。
「コリドラスも入れようと思うんだけど、どれがいい?」
「ステルバイ一択」
「言うと思った」
フィルターの水流で水草が揺れる。心地よい沈黙。
「俺、明日と明後日、本社なんだよ」
「魚はどうします?」
「海くんに任せていいかな。山根ちゃんに言っておくから」
「俺、大智さんとこの社員じゃないし、ただのバイトですよ」
「海くんの腕を見込んで、だよ」
閉店後の店内は静かだ。先ほどまで他の店員も作業していたが、皆帰宅したようだ。
「じゃあ、俺達もそろそろ帰りましょうか」
立ち上がった海の手首を、大智が捕まえた。
「えっ……」
「……あ、えっと、その、あの……あれだ、ちょっと、海くんに見せたいものがあって、さ」
そのまま海の手を引いて、大智はペットコーナーの小動物ルームに入っていく。
「ちょっと見てて」
ガラスケースの鍵を開け、しゃがみ込んで最下段のケージの扉を開ける。
「モモちゃん、モモちゃん」
ケージの入り口をトントンと叩きながら、大智が声をかけると、ぶら下げられた袋がもぞもぞと動き始めた。
「モモちゃん、おいで」
袋の中からリスともネズミともつかない顔が飛び出してきた。零れ落ちそうな大きな目がこちらをじっと見ている。
「モモちゃん、大智だよ」
もう一度ケージの入り口をトントンと叩くと、ケージの中からその姿が消えた。
「わっ……!」
仰け反ってよろけた海の身体を大智が引き寄せた。
「大丈夫?」
「大丈夫です、すいません」
大智から離れようにも、腕の力が強くて動けない。ふと、大智の肩の上で何かが動くのに気が付いた。
「可愛いでしょ。モモちゃん。俺が育てたの」
先程の大きな瞳がこちらに向けられている。
「ミルクあげるとこから世話したら、警戒心が強い子でもベタ慣れになるんだよ」
――ちょっとフクロモモンガに似てるし
先日の山根の言葉が蘇ってきた。結局、自分もこのモモンガのように飼いならされているだけなのかもしれない。
「噛まないから、耳の下を撫でてやってよ」
恐る恐る手を出すと、モモンガが鼻を近づけてきた。指先で耳の下を撫でると、嬉しそうに目を閉じる。
「夜行性だし、弱い生き物だから、無理に起こすと怒るんだよ。ちゃんと接してやれば、いい友人になれる」
「確かに、全然変な声出さない……」
「聞きたかった?」
「いえ、嫌な思いはさせたくないんで」
大智はモモンガを優しく両手で包んで、じっと見つめた。
「この子も他店送りかな」
「え?」
「売れ残った子は、一度本社に戻してから他の店に割り振られるんだ。どうせなら新しい家族の元に送り出してあげたかったんだけどね」
自分とは違う生き難さを、大智も感じているのかもしれない。だからこその優しさなのかもしれない。海は少し寂し気なその横顔を、黙ったまま見つめていた。
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