第8話 フクロモモンガが見る夢は
「そうだ、海くん、來山さんから聞いた?」
翌日、いつものようにペットコーナーの事務所で昼食を摂っていると、休憩に入るらしい山根がふらりと現れた。今日は大智が本社に行っているので、山根と野田が交互にやってくる。
「聞いたって、何を?」
休憩時間の残りを、熱帯魚雑誌を見ながら過ごしていた海は顔を上げた。
「昨日、來山さんとデートだったんでしょ?」
「デートじゃないよ。美味い魚食いに行っただけ」
「デートじゃん」
小さな弁当箱をテーブルに置くと、それを抱えるようにして山根は身を乗り出した。
「ウチ、撤退するっぽい」
「え?」
「まぁ、ここ昔から売り上げ悪かったみたいで、テコ入れで來山さん店長になったんだけど、それでもダメでさ。少しは上がったんだけど、そんなんじゃダメなレベル。だから、私や野田さんどうするって、本社に相談しに行ってるんだよ」
「いや、俺は、何も……」
昨日、大智の様子がおかしかったのはこのためか。いや、以前から業績不振だったなら、今更どうすることもできないのだが。
「私はね、社員になれたから他の店に異動だと思うけど、野田さんはパートじゃん。普通なら契約打ち切りで済むんだろうけど、ほら、野田さんの娘さん、今度高3でしょ。塾とか受験とか、お金がかかるから、何とか近くの店で働けないか交渉してるみたい」
「そんなことまで……」
「ね。人が良すぎるよね」
この店からペットコーナーが無くなる。何より大智に会えなくなることに、海は胸が痛んだ。
「私じゃ頼りにならないからさ、海くんが聞いてあげてよ。來山さん、いっぱいいっぱいだと思う」
「俺は何の力にもなれないよ。山根さんの方が余程頼りになる」
いつも大智に救われてばかりの自分にできることなど無い。きっと忙しいであろう大智をそっとしておくことしかできない。
「海くん、気付いてないの?」
知らず知らずのうちにため息をついていた海に、山根は呆れたように言った。
「え? 何を?」
「來山さん、海くんのこと……」
弁当の蓋を開けながら、山根はしまったという顔をした。
「え? 何? 俺が何?」
「えぇ……いや、その……」
口ごもりながらフォークで刺したブロッコリーを口に入れる。
「海くんはぁ……その……何って言うか……癒し系?」
「癒し系?」
「その、ゆるキャラ、的な? ほら、ちょっとフクロモモンガに似てるし」
「フクロモモンガ?」
「ほら、小動物コーナーに居るじゃん」
「いつも袋の中に居るから見たことないよ」
「だってフクロモモンガだもん」
山根が弁当をモソモソと口に運ぶ間、しばらく沈黙が流れた。
「海くん見てると癒されるんだよ、來山さん」
お茶を流し込んだ山根がぽつりと言った。
「海くんも、これまでいろんなことあったんだと思うけど、でも、自分のできることをちょっとずつ増やしながら頑張ってるじゃん。來山さんのアドバイスとか素直に聞くし。何か、弟みたいな感覚って言うか……」
弟か。そう言えば、大智から家族の話を聞いたことがない。
「來山さん、自分の話はあんまりしないからなぁ。私も家族のことは聞いたことないし。でも、何か訳ありなんじゃないかな」
例えば自分なら、嫌だったり苦しかったりしても、話を聞いてくれる両親が居る。話をしなくても、側に居てくれる安心感は大きい。
大智は一人暮らしだと聞いた。辛い時、苦しい時に寄り添ってくれる人は居るだろうか。例えば、家族ではなくても、恋人とか。
「大智さん、彼女とか居るのかな」
無意識にこぼした言葉に、山根が顔を上げた。
「あ、いや。ずっと俺の世話してくれてるから、彼女さん居るんだったら悪いなって……」
山根は海の顔を見つめて、意味ありげに笑った。
「何?」
「べつに。海くんもそんなこと気にするんだって思って」
「するよ。俺、そこまで図々しくない」
山根の視線から逃げるように海は立ち上がった。
「もう戻るの?」
「うん、時間だし」
「……居ないと思う」
「え?」
再び山根は弁当をつつき始めた。
「彼女。來山さん、フリーだと思う。でも気になってる人はいるんじゃないかな」
素っ気ない言葉に、海は「うん」とだけ返した。
「フクロモモンガ」
バックヤードへのドアを開ける前、海は独り言のように言った。
「何?」
「今度、フクロモモンガ見せてよ」
「やだ」
「なんで? 俺に似てるんでしょ」
振り向いた自分がどんな顔をしていたのか分からない。だが、山根は驚いた顔をして、それから吹き出した。
「ちょっと、彼氏奪われそうな顔しないでよ」
「どういう意味?」
「あんな可愛い顔してるのに、起こすと地の底から響く様な声出して文句言うのよ」
「え?」
「ウゴウゴウゴウゴって。普段鳴かないくせに、文句はきっちり言うタイプ。夢壊すから起こさない方がいいよ」
「フクロモモンガのこと?」
「そ」
ドアを開けて出ようとする海の背中を、山根の声が追いかけてきた。
「でも、來山さんは好きなんだって」
立ち止まり、海は振り向いた。
「不機嫌な重低音も、寝起きの不細工な顔も、全部可愛くて愛おしいって。あの人、そういう人だよ」
「……そっか」
何故か自分が過大評価されているような妙なむず痒さを覚えながら、海はドアを閉めた。
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