第4話 新しい扉を開ける
「あんまり綺麗じゃないけど、暗くて静かなのは保証するよ」
「事務所兼休憩室、って感じ」
來山は冷蔵庫からペットボトルを出すと、グラスに麦茶を注いで
「昼メシ食う時はここ使いなよ。入る前に俺かバイトの山根ちゃんに一声かけてくれればいいから」
ぴょこんと頭を下げてグラスに手を伸ばす。喉を通る麦茶が火照った身体を冷ましていく。
「食堂、賑やか過ぎて落ち着かないよね。俺もこっちの方が安心できるんだよ。まぁ、どうせコンビニ飯なんだけど」
さて、と來山はカゴを抱えて立ち上がった。
「店舗に直接出るなら、水場の横の通路が売り場に直結してる。ロッカー行くなら、さっき入ってきた扉から。出る時に一声かけてくれるかな」
「……ハイ」
來山は満足したように微笑むと、通路に向かっていった。
「……あっ、あっ、あのっ!」
無意識に腰を浮かせて声を上げた。來山は立ち止まり、驚いた顔で振り向いた。
「あっ、その、あっ……ありが、とう、ございます」
ぎこちなく、でも深々と下げられた頭に笑顔を返すと、來山は売り場に戻っていった。
弁当を食べ終えて、まだ少し時間がある。海は周囲を見回した。
壁だと思ったのは、どうやら水槽の裏側らしい。モーターやエアレーションの音に混じって、微かに店内放送の音楽が聞こえる。
全ての水槽は黒いバックスクリーンが貼られているので、こちらからは魚の様子が見えない。でも、この向こうに悠々と泳いでいる魚達を想像するだけで、海の心は満たされた。
放っておいてもらう親切はよく受けたが、何か手を差し伸べてもらうことを親切だと思うのは初めてだった。
変な人だけど、悪い人じゃない。
初めて気を許そうと思えていた。
やがて、夏休みのシフトが落ち着くと、海が昼食を職場で摂ることもなくなった。
安心するとともに、少し寂しくも感じていた。
また、いつものように業務前に水槽を眺め、荷捌きと開店前の商品補充をする日々が戻ってきた。以前と違うのは、仕事を終え、着替えてタイムカードを押してから、再び店内に戻ることだった。今度は正面入り口から、客として。
アルバイト代は到底一人で生活できるような額ではない。いつまでも両親に頼らなくては生きていけないことが申し訳なくて、大半は両親に渡していた。
手元に残した小遣い程度の金は、水槽のメンテナンスと専門の雑誌に使うと、あとは貯金に回している。夏の追加勤務のおかげで、思っていたよりも貯まっていた。
「そんなに外部フィルター欲しいの?」
その声に、海はもう驚かない。
「やっぱり、エーハイム、憧れるじゃないですか」
ぼそぼそと答える海の横に、來山もしゃがみ込んだ。
「小型水槽なんでしょ? パワー強過ぎない?」
「じゃ、水槽をもうちょっと大きいのにしようかな」
「そっち変えちゃうんだ」
本来、來山が扱うのは生体のみで物品はホームセンター側の商品なのだが、当然併せて売ることになるので、來山も商品には詳しかった。
「ここじゃなくて専門店に行けば、もっといろいろあるよ? ジェックスだってハイブランド商品あるし、テトラもデザイン性高いのもあるし。あとはADAとか、ここじゃ無いでしょ」
「社員割引あるから……」
「あー、確かにね。じゃ、自分で商品提案すれば?」
「こんな下っ端バイトの話、誰が聞いてくれるんですか」
相変わらず來山の顔を見て話すことはできない。だが、共通の話題があれば、自分でも人と話せるのかと、意外な自分の姿に海自身が驚いていた。
「あの、來山さ……」
もっといろいろ教えて欲しい、と言うつもりだった。
「あ、來山さん! ここに居た!」
通路に人影が現れた。
「お客さんがフトアゴ見せて欲しいって! 爬虫類、私ムリって言ってるじゃん」
「えぇー。山根ちゃん、やってみなよ。可愛いよ?」
「絶対ヤだ。サボってないで、仕事してください!」
來山に厳しい言葉を浴びせ、海には笑顔で手を振ると、山根は姿を消した。
壁面水槽の前に並べられた水槽を、海は思い出していた。それはどれにも水が張られておらず、砂が敷かれ、岩が置かれていたり、ジャングルを思わせる木が設置されていた。
海は爬虫類に明るくは無いが、動きのユニークなカメレオンは好きで、しばらくその水槽の前で過ごしたりする。その後ろに小さな恐竜みたいなトカゲが入った水槽があったのを思い出した。あれがフトアゴヒゲトカゲなのかもしれない。じっと目を閉じて、バスキングライトの光を浴びていた様子は大人しそうで、山根がそこまで嫌う理由が分からない。
「ごめん、海くん」
「いえ、お客さんを待たせちゃダメです」
「さっき、何か言おうとしたよね?」
「あ、いや、大したことじゃないんで。また明日話します」
じゃあ、と手を振る來山に会釈して、海も立ち上がった。
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