知らなくていいこと
翌日、教室で耳にした話。旧校舎が封鎖されて新しく校舎が建てられたのは、数年前の女子生徒の飛び降り自殺が原因であるということ。
「ね、だからさ。きっとそうなんだよ」
その日の放課後も、俺と月輝は音楽室に集合していた。
「この音楽室の幽霊さんが、その自殺した生徒本人なんだよ」
「うん、まあそう考えるのが妥当だろうな」
素っ気なく返答すると、興奮気味に息巻いて意見していた月輝はむすっと顔を膨らませた。
「何よ。こっちが貴重な閃きを提供してあげたっていうのに」
「いやだって、それくらい誰でも思いつくだろ」
もし本当に幽霊がいると仮定して、この旧校舎で実際に飛び降り自殺が起こったのならその幽霊が自殺した女子生徒だろうという推測は誰にだってできる。
だが、どうやら探偵白石月輝はその閃きの価値をかなり過大評価しているらしい。
「……それで、肝心のその女子生徒が誰なのかは調べたのか?」
俺が問うと、月輝は肩をすくめて首をふる。どうやら収穫はないらしい。
「調べたんだけど、やっぱり名前は出てこなかったよ。当時の事件の様子とかを知る人に直接会って話を聞ければいいんだけど……そんな伝手もないしなぁ」
「そのことなんだけど」
腕を組んでうーんと唸る月輝に、俺はそう言った。月輝はハッとこちらを向き、さては何かあるのかと言わんばかりに大きな目で俺を見返してくる。
「多分、なんだけど。当時のことを知る人、心当たりあるかも」
「海都おかえり。白石さんもいらっしゃい」
「お、お邪魔します」
家に帰って玄関を開けると、中から出てきた先生は一瞬驚いたような顔をしてすぐに柔らかく目を細めた。
「上がって。今日もお茶しか出せないけど」
先生に言われ、俺と月輝は家の中に入る。
「先生、俺たち、今日聞きたいことあってさ」
「聞きたいこと?」
先生はお茶を用意しながら俺たちにソファに座るよう促す。相変わらずその辺の身のこなしがスマートだと思った。
「うん。うちの高校の、女子生徒飛び降り事件について」
先生の茶を淹れる手が止まった。下を向いているから、重力に逆らわず自然に流れた前髪で目元は見えない。表情も分からない。ただ動きを止めていた。
俺が先生にこのことを尋ねた理由。それは、数年前あの高校に通っていたのが先生だったからだ。つまり先生は、俺たちの先輩にあたる。
「──なんで?」
やがて先生は、小さく掠れた声を発した。いつもの先生らしくない。俺たちが急に自殺の話を出したにしては、あまりに過剰な反応な気がした。明らかに動揺している。
「君たちはなんで、そのことを知りたいんだ?」
このタイミングで「幽霊が」と切り出すのを俺は躊躇った。月輝は黙って俺の横顔を見ている。どうやら彼女は選択を俺に一任するらしい。どうするのか。あのことを言うのか。視線で尋ねてくるようだった。
「俺たち……気になるんだ。旧校舎が何で封鎖されたのか」
俺の決断は正しかったのだろうか。ここで幽霊の噂を隠しても暴露しても、それほど変わりはなかったかもしれない。それでも俺が言わなかったのはやはり、まだ俺自身が幽霊の存在を信じきれていないからでもあった。
あるいは幻覚なんじゃないかと、俺は最近思いつつあった。はじめてあの幽霊の姿を見たときは自分に霊感があるのかもしれないとか思ったが、考えてみればどうも都合が良すぎる。
あんなタイミングで現れるものなのか。疑えば疑うほど幽霊という存在はやはりただの幻なのではないかと思わずにはいられなかった。
だから俺は、あえて先生に幽霊のことを隠した。隠した上で、その女子生徒のことを知ろうと思ったのだ。
先生は顔を上げた。その顔面にはうっすらと笑顔が張り付いていた。
そして先生は普段と何ら変わらない表情、声音で言った。
「それは、君たちが知らなくていいことだよ」
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