赤の他人だよ

「お邪魔、します」


 月輝は遠慮がちに家の中を見回しながら細々と言った。


「あ、適当にあがって。僕は夕ご飯用意するから」


 先生は月輝にそう告げると、台所へ姿を消す。俺は月輝を手招き、リビングに案内してひとまずソファに座らせた。


「飲み物何がいい? コーヒーとかココアとかならあるけど」


「あ、じゃあココア、で……」


 俺は頷き、自分と月輝の二人分のココアの用意を始める。手を動かしながらぼんやりと考えた。娘が一日中帰ってこなくても気づかない親って……?


「どうぞ」


「ありがとう」


 月輝はマグカップを両手で受け取って、たちのぼる湯気に目を微かに細めてから一口、ホットココアを啜る。


「おいし」


 目元はまだ赤く、少し腫れている。だけど彼女はようやく、ほんの少しだけ表情を緩めた。


 俺も別のソファに座り、ココアを一口飲んでから覚悟を決める。マグカップをテーブルの上に置いて、本格的に話を始める体勢を取る。だけどまずは、自分のことから話したほうがいいかと思った。


「俺と先生は、三年前から一緒に暮らしてるんだ。二人暮らし。あ、先生っていうのは、ピアノの先生」


「その、先生……とは、親戚とかなの?」


「ううん、全然。赤の他人だよ」


 俺は苦笑気味につぶやく。だけど月輝はどうやら、理解が追いついていないらしい。きっと、口には出さないけれど疑問に思っているはずだった。


 ──お前の家族は、どこにいるのかと。


 それを話す勇気は、まださすがになかった。お互い口を聞くようになってまだ二日。話すにはかなり勇気のいることで、また話してどうにかなることでもないから余計に僕は躊躇った。


「三年前、出会って、色々あって今は一緒に暮らしてるんだ。男二人だけど、全然不自由なんかない。あ、先生は料理もうまいんだ。食べたらびっくりすると思う」


 あくまで気さくに。あくまで親しみやすく。あくまで気丈に。あくまで、本当を悟られることなく。


「先生、今日の夕ご飯なに?」


 先生はこちらに背中を向けながら「今日はカレー」と言った。その後、何か思い出したように振り返って月輝を見る。


「白石さん、食べ物のアレルギーとかある? 好き嫌いとか……」


「あっ、ないです! カレー、好きです」


 月輝が答えると先生はよかった、と言ってまた背中を向けた。月輝は俺に向き直り、そしてなぜか姿勢を正す。


「あの、ごめんね。迷惑だったよね。家にまで上がり込んで。学校でも言ってたよね。事情があって、家に招き入れることは難しいって。それなのに私、あんなこと言って困らせて……ごめんなさい」


 彼女は目を伏せ、ついで頭を下げた。俺は慌てて身を乗り出す。


「いや、いやいや、いいって! 事情っていうのは、男二人暮らしの家に女性をあげるなんてことできないじゃんってことだし……! いや、まぁあげてるんだけど……月輝にだって悪いと思ったから公園に誘っただけだから! だから全然、家にあがっちゃダメってことじゃないから!」


 早口に言葉を連ねると、月輝は俺の必死さがおかしかったのか、ぷっと軽く笑った。


「わかった。わかったよ、ありがとう」


 その表情にはいくらか笑みが戻っている。それを見て俺はひとまず安心した。

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