第6話 推理
「まず一人目。奥さんの浮気を疑っている人だったよね」
新家はいつもと同じ理路整然とした口ぶりで話し始める。謎を解き明かす名探偵よろしく。
「彼は――ああ、その前に、僕が三人の面談中に何を見ていたのかを話した方がいいね。前提として、僕らが知っている情報はあまりにも少ない。推理小説ではありえないくらいにね。角田さんが刺殺され、その遺体が山中から発見された。以上、終わり。だから犯人捜しをしたとして、『決定的な証拠』なんてものは出て来ようがない。だって、その証拠と照合されるべき事実自体が曖昧なんだから。ここまではいい?」
夕美は頷いてみせる。正直なところ、この件を新家が「推理小説」と形容したことに不快の念がよぎりはしたが、それ以外は彼の言うとおりだったからだ。彼にとって、これは謎解きクイズに過ぎないのだろうか。そんな雑念を振り払い、耳を傾ける。
「だから僕らは、『どうやって殺したのか』なんていうハウダニットを見出すことなんてできないわけだよ。注目すべきは、『なぜ殺したか』というホワイダニットだけ。僕はそういう考えに基づいて、依頼人に角田さん殺害の動機があるかどうか、それを裏付けるような行動がみられるかどうかにフォーカスした」
新家の語りはよどみない。まるで、最初から決まっている原稿を読み上げるみたいに。
彼の着眼点については分かった。しかし、それと面接中に見せたあの不可解な態度とに何の関係があるのだろうか。
「それで、話を戻すけど、一人目の依頼人だ。黒川だったかな。彼は十中八九シロだと思う」
「シロですか」
「うん」
やり取りをしながら、新家が夕美相手に敬語を使わなくなったのはいつからだろうと考える。おそらく「試験」に合格してから、彼はかしこまった言い方をしなくなった。それは夕美が彼の信頼を勝ち得たことの証左でもあろう。
「黒川からは、角田さん殺害の動機がこれっぽっちも感じられなかった。考えられる線としては、角田さんの風貌を見て、奥さんを取られちゃうんじゃないかという妄想に憑りつかれた可能性がある。でもそれは違うような気がしてね」
黒川の依頼が、妻が浮気をしているという強烈な妄想によるものだった場合、確かにその線はあり得る。仮定に仮定を重ねたような、わずかな可能性ではあるものの。
「だから僕は奥さんのことを褒めちぎって、『僕が狙っちゃいたい』なんてことを口走ったんだよ。彼の反応は覚えてる?」
「ええ、顔が紅潮して……。私は怒らせたとばかり思っていたんですが」
「彼はね、興奮していたんだよ。妻が狙われているという状況に」
「興奮、ですか?」
言われてみれば、そんなふうだったようにも思える。いろいろなことがありすぎて、すっかり濁った記憶だけれど。
「ここからは憶測だけどね、黒川はわざと奥さんに浮気をさせている。そういうプレイなんだよ。彼はそうと知りながら浮気調査を依頼して、予定どおり妻の不貞を知る。そして強烈な興奮を得るわけ。もしかしたら、一番最初に――彼らがこんな茶番を始める前に――奥さんの浮気が発覚したときにでも、何かに目覚めちゃったのかもね」
そうした願望を抱く人間がいるということは、夕美も知っている。新家の憶測がどこまで的を射ているのかは疑問だが、無い話ではないように思えた。
「以上が一人目ね。次は院長さん。たしか南城だったね。彼もシロ」
先ほど「推理小説」云々と口にしたくせに、新家は結論からどんどん話してしまう。これでは名探偵役は務まらないだろう。ここまでで、すでに「クロ」は三人目の吉岡に決まってしまった。
「フェイスシートと調査資料を見てすぐ分かったよ。彼が調査してほしいと依頼したターゲットの名前は『南城実希』。そうそうある名前じゃないでしょう?」
「もしかして『娘』って――」
「そう。写真も見てみたんだけど、確かに面影は感じられた。件のパートっていうのは、彼の実の娘だよ」
依頼内容をそこまで注意深くは見ていなかった。角田はおそらく気付いていただろう。そのため、この案件を他の人間に回すことをしなかった。厄介な香りを嗅ぎ取っていたのだ。
「典型的な毒親だね。娘さんが医療事務の役割を逸脱して、患者と私的に連絡を取っていたという話も、どこまで本当か怪しい。結局、娘に悪い虫がついていないか監視したかっただけなんだろうね」
新家が写真を差し出す。そこには、三十代半ばと思われる女性が写り込んでいた。言われてみれば、確かに南城氏の面影も感じられる。彼の話が事実とするならば、その歳になるまで親の監督下から逃れられないというのはどんな心持ちなのだろう。夕美は身震いした。
「そして最後に、三人目。あの怖いおばちゃんの吉岡。彼女がクロだ」
あっさりと言い切ってみせる。新家には、微塵の迷いも見えない。
三人の中で、彼女だけの当たりが強かった。そんな心象もあり、新家の言葉をさっさと信じてしまいたくなる。
「理由を聞いてもいいですか?」
「もちろん。まずは、やっぱりフェイスシートからだ。これまでに彼女が依頼してきた五件分の資料。それから、依頼するはずだったターゲットの顔写真。何かに気付かない?」
どこから探し当てたのか、吉岡が依頼してきたターゲットの写真がずらりと机上に並べられる。全員男性だが年齢はバラバラで、特に共通項は無さそうだ。
「あ、眼鏡。全員眼鏡をしています」
「当たり前でしょう。全員、システムエンジニアなんだから、パソコンの画面を見続けるのが仕事だよ」
新家が哀れな者を見るような目つきで夕美をたしなめる。
「でも、それ以外に共通点なんて――」
言いかけたところで、夕美は固まった。何というのだろう、確かにこの六人は、どこか似ている。
そして、角田も。
「――体格が」
「そう。そのとおり」
新家が首をすくめてみせる。
全員、体つきががっしりとしていて、肩幅が広いのだ。
「ライバル会社からの引っこ抜き、なんて理由も後付けかもしれない。ただ単に、好みの男性を調べたかっただけなのかも」
「だとしても、それがどうして犯行と結びつくんですか?」
うーん、と新家は頭を掻いた。
「説明が難しいんだよね」
「難しい?」
「うん。さっき、ハウダニットとかホワイダニットとか言っておいて何だけどさ、言ってしまえば感覚的なものなんだよ」
夕美は面食らってしまう。
感覚的なもの。確かに、新家は先ほどから筋道立てて話しているようで、その実はかなり主観的で仮説的な主張ばかりだ。とは言え、事件解決において彼が卓越した能力を発揮することは、夕美自身がすでに目の当たりにしている(「自分を監視してくれ」という依頼の件だ)。新家も、それが当然であるかのように自信たっぷりに振舞ってきた。
だから、推理した内容について新家が自ら「感覚的なもの」と言って捨ててしまうのには、紙を食むような違和感があったのだ。
「僕はさ、ちょっと普通じゃないところがあるでしょう?」
「まあ、それは……そうですね」
「だから、感じるんだよ。普通じゃ考えられない常軌を逸した理由で殺人を犯した人間がいたとして、ああそんなこともあるよなって」
「どういうことですか?」
「つまり、動機の可能性は無限にあるってことだよ。たとえば、厚い胸板に突き立てたせいで歪んでしまった刃物を蒐集するのが大好きだとか」
彼の言っていることが分からない。吉岡が筋肉質の男性に執心しているとして、その胸板を刃物でめった刺しにし、なおかつそれで歪んでしまった獲物を部屋に飾っているとでもいうのだろうか。
「彼女がそうであるという証拠は?」
「言っただろう? 『決定的な証拠』なんてものは出て来ようがない。あくまで僕の感覚的なものだ」
夕美が納得していないことを悟ったのだろう。新家は苦笑いをする。今日の彼は、人間味を見せることに抵抗がないようだ。
「僕が事件を解決するのに、正直なところ推理力なんてものは必要ない。そんな高尚なものは持ち合わせていないしね。僕の武器は、恐怖心の欠落だよ」
「恐怖心の欠落」
夕美はこの日何度目か分からないオウム返しをする。
「そう。自分が怪我をすることをいとわない。相手に傷を負わせることをいとわない。人に嫌われることをいとわない。僕はまず、ありとあらゆる偏見をもち、自分の解釈が正しいと信じ込み、そして後先を考えず行動に移す。結果として、解決できる事件が増える」
彼の言わんとするところは理解できた。電話だけの情報で、新家はわざとバイク事故を起こし、麻薬の密売人に大怪我を負わせたのだと思い出す。
新家が言う「解決できる事件が増える」の裏には、もしかすると「解決できずに、むしろ事態を悪化させた事件がある」のかもしれなかった。
そんなことを知る由もないのだけれど。
「そうしたら、新家さんはまた、何か行動を起こすわけですね? バイクの事故みたいに」
夕美がそう言うと、そんなこともあったねと新家は微笑する。
「当たらずとも遠からず、かな。行動を起こすのは僕じゃない」
彼は指を一本立て、真っ直ぐ突き出す。
言うまでもなく、その銃口にも似た指先は、夕美のことを指している。
「君だよ。君が、吉岡を監視するんだ」
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