第40話 マジカルステッキに願いを込めて ~笑顔の仮面~


 僕の正面に立ったシェリラさんが眼差しを向けてくる。

 慎み深い彼女が、一度も僕に向けたことがない真剣な瞳だった。


「正直を申しあげまして、クゥナ様の真意などわたくしにも測りかねます。ですが…」


 ゆっくり僕の隣へと歩み寄り、彼女もユキナのいる空を見上げる。


「ケイカ様。ユキナ様をご覧になられて、ケイカ様の目には姫様はどのようにお映りになりますでしょうか」


 ど、どのようにって、


「僕じゃなくても誰の目にでも苦しんでいるようにしか見えないよ」

「はい、苦しんでおられます」と、シェリラさんは小さく頷いた。

「ですが姫様を苦しめているのは魔物だけではございません。姫様はご幼少の頃より、ずっと孤独に苦しんでおいでなのです」

「こ、孤独に苦しんで?」


 ユキナが孤独……? そうは見えないよ。


「だってユキナは皆から信頼されて、慕われて」

「ケイカ様」


 シェリラさんは僕が持つステッキに手を添え、悲しい笑顔を浮かべた。

 それから。薬を飲んでるクゥナを窺うように視線を向けるが『何も聴いとらんから好きに話せ』とばかりに彼女は背を振り向かせた。


「この国にユキナ様ほどの強さを持つ者はおりません。魔物の軍団に立ち向かえる者もおりません。ユキナ様は国王殿下より力をお継ぎになられて以来、ずっとお一人で戦っておいでなのです。誰が姫様のお気持ちをお察しできますでしょうか」


 シェリラさんは再び、空を見上げる。


「蒼き炎の後継者として皆が期待し、それを拒まず背負われたユキナ様のご心中を誰が察することができましょうか。できません。しようとも上辺に過ぎず、出来る事と云えば笑顔で接し、気遣い、ただそれだけなのです。お食事をなさる時もお風呂に入られる時も。本城のあの侍女とてユキナ様のお話を聴いて差し上げることが精一杯でしょう」

「……………………」


 食べてる時も、お風呂に入ってる時もいつも。

 彼女はあんなに美味しそうに食べていて、それを見つめる周りの人は……皆が笑顔の仮面を被って彼女に接する……。

 そんな光景を想像してしまった。


「ケイカ様はご自分に何が出来るかと私にお訊ねになられました」


 シェリラさんは僕の持つステッキの柄を優しく、一緒に掴んで持ち上げてくれる。


「出来る事と仰るならば、まさに、ユキナ様の隣に立ち、お支えすることです。他の誰にも出来ません。聖鐸秤によって選ばれた、ユキナ様と同じ運命を共にできるケイカ様にしか成し得ないことなのです」

「……………」


 僕はもう一度だけ、空を見上げた。見るに堪えがたい光景だった。

 彼女は何とか蜥蜴魔物を振りほどき、また魔王ギアスジークと殴り合いを始めも、魔法の効果も既に切れかかっているのか、どんどん追い詰められていく。彼女の周囲をかこう魔物も淡々と隙を狙っていた。


 地上部隊に目を下ろせば、とうとう3番目の城門を破られ、4番目を過ぎ、5番目。すぐ直下にまで後退したところだった。

 そこを破られたら、8階にあるユキナの部屋。僕達がいる所はもう目と鼻だ。城内に侵入せずとも魔物なら壁伝いに攻め上がれるだろう。

 僕は、シェリラさんの腕をゆっくり解き、振り始めた。


「ユ、ユキナ……」


 声が出ない。だけど、シェリラさん達は黙って見守ってくれていた。


「………………」


 声なんて出ないよ。恥ずかしいのもあるけど、それが何になるのかもわかんない。

 僕の声なんか、必死に戦ってるユキナにとって何の支えになるんだよ……。

 むしろ、気が散って邪魔になったら目も当てられない。


(…………ユキナ……ご……)


 心の中で謝ろうとした時、ふと、本当にふと、クゥナの言葉を思い出した。


『――ユキナ王女自身が望んだ相手でもある』


 ユキナが望んだ相手? あれってどういう意味だったのだろう。

 ユキナが望んだこと。ユキナの願い。


『できるなら、私の代でこの戦いを終わらせたい』


 あの時、僕はユキナはムゥジュにいる魔物を1匹残らず駆逐するつもりなんだと思った。けどそれは違うよね。右腕にしがみつこうとする蜥蜴魔物を殴って粉砕するユキナを見てたら違うってわかる。

 迫りくる魔物の頭を肘で潰す彼女の表情は必死だけど、どこか翳って見えた。


『逃げるなら逃げてくれた方が良いって思ってた』


 たったひとりでユキナは戦っている。

(たったひとりで、敵を全滅させ、戦いを終わらせる?)

 ……違う。ユキナは魔物をたった1匹、命を奪うことさえ心を痛めている。


『いつか私も役目を終えて、お城でのんびり暮らす時がきて……』


 考えてみればすぐわかることだ。のんびり暮らすって、魔物を殲滅し、人間が争わずに済む方法を模索しているんじゃないだろう。


(ただ、ユキナはそんな、のんびり笑って穏やかに過ごせる世界を願ってるんだ)


 方法でも手段でもなく、願いを込めて、そういう世界になると願って戦ってるんだ。

 でも。彼女がそう願っても、誰も助けてあげられないこともわかってしまう。

 クゥナだって星の数ほどいる魔物相手にその気は無さそうだった。でも、


『その時、優しい人が側にいてくれたらって思ってた。ずっと楽しく過ごせたらって思ってた』


 ユキナが、またハーピィ達に背中を押さえつけられる。体中が痛むのか頬が苦悶に震えていた。ユキナが……動かなくなった!

 ギアスジーク接近してきた。拳を固めて構えて見せる。


「ユキナ姫よ。女の身でありながら歴代の者達に劣ることなく、よく戦った。最後に機会を与えてやる。いますぐその手で聖鐸秤を破壊しろ」


 はっとユキナは顔を挙げた。が、次の瞬間。ギアスジークが固めた拳をユキナの腹に突き立てた。


「ん、ぐぁっ!!」


 ユキナが……血を吐いたっ! 内臓にダメージが達してる。

 悲鳴が、息を飲む声が城のあちこちから聞こえた。


「そして、あのケイカとかいう小僧をその手で殺せ。さすればとりわけ頑丈な貴様だけは俺の遊具として生かしてやろう」


 ……あいつっ!


「……っ」


 頭を振ったユキナにギアスジークが――まるで僕達に見せつけるように――大振りな回し蹴りを放った。彼女の鮮血が空に舞い散った。


「どうだ、ユキナ姫?」

「こ、ここは絶対に通さない。ケイカも、みんなも、殺させない」


 ……ユキナッ。


「ユキナ……ユキナ!」


 ユキナが言ったこと。言ってくれたこと!


『ケイカがムゥジュに来てくれた日、私、すっごく嬉しかったよ』


 屈託のない笑顔でそう言ってくれた時、僕も嬉しかったんだ。ううん、キミに出逢えて良かったよ!

 ごめん、キミの気持ちをわかってあげられなかった。

 僕もあの時――いっしょに笑ってあげられたら良かったんだ!


「ユキナ、ユキナ、ユキナ……ッ」


 声が、喉でもお腹からでもなく、胸の奥から沸いてきた。

 ユキナ、君に伝えたいことがあるんだ。言葉じゃうまくできないかもしれないけど、伝えたい。

 仮面はもう要らない。もう逃げない。僕の本心だ。君の傍にいたい。

 好きだから――僕はここに、君の傍にいる!


「ユキナ、ユキナ、頑張って!」


 ずっと傍にいるよ!

 だから……頑張ってユキナ! だから………っ!



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」 



 いくぞ、スズミ・ケイカ! マジカルステッキ、ユキナに光を届けろっ!



「ユキナアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」



 ボタンを押すと、カシャンとスプリングが弾け光り輝く。

「ケ、ケイカ……!?」

 ユキナが僕の方を向いた。ギアスジークも、敵もこっちを向いた。

 今だ! とユキナが蜥蜴の魔物を振りほどいた!

 そして、彼女と目が合う。やっと目があった。僕は伝えたいんだ。お願い、こんな処じゃなくて、ちゃんと君に伝えたいんだ! だから、


「ユキナ、頑張れ、ユキナ、頑張ってええええ!」


 マジカルステッキを振り回す。すると、


「姫様ああああ!」

「頑張ってくださいましっ!」

「そんな奴ら、皆殺しにしてくださいましぃっ!」


 メイドさん達が僕の両脇に立って、いっしょに応援してくれた!

 でも、当たり前な話だけど、ユキナに変化はない。引き剝がしても、また捕まえられそうになる。ユキナが倒しても倒しても敵は幾らでもいる。取り囲まれる。ムゥジュにはたくさん魔物がいる! んなことはわかってるんだよ!


「ユキナ! ユキナ! ユキナ!」


 叫ばずにはいられない。これしか出来ない! 違う、僕にできること。君と共に最後まで戦うこと! そして君を好きでいること。これがボクに出来る事だ。


「あれに見えるはケイカ殿だ!」

「なに! パウレルへ退避なされたのではないのか!」


 階下から、兵士たちのどよめく声がする。

 そしてベランダで騒ぐ僕達を見上げて驚く。


「あれは一体!? クゥナ様の策でしょうか!」

「な、なんだかよくわからんが!」

「我々も姫様の名を呼ぼう!」

「わかった!」


 城門を突破してくる魔物に備えていた彼等も持ち場を放棄し、槍を振り上げ、ユキナに全てを託した。心が折れる寸前だったのだろう。彼らも僕と同じ気持ち……同じじゃないか……ずっと前から彼らこそ共に戦ってきたんだから。

 だから彼らも君に伝えたいことはきっと同じだっ! ユキナ、聞いてっ! 皆、ここにいるよ!


「ユキナ!」

「ユキナ!」

「ユキナ!」


 兵士達の声が僕達の声を掻き消すが如く怒濤の地響きとなって沸き上がっていく。

 波のように伝播し、バリスタにつがえるはずの矢を持ち、彼女の名前を連呼する。


「ユ・キ・ナ!」

「ユ・キ・ナ!」

「ユ・キ・ナ!」


 城内がユキナコールに包まれた。


「……うちの兵士達がアホになった」


 ぽつりと、クゥナの嗚咽混じりの声が聞こえた。だから駄目だって! 一生懸命やってる人にアホなんて言ったら駄目。ってゆーか自分がやれって言ったんじゃないか!

 僕も彼等に負けてはいられない! 僕には剣も槍もないがマジカルステッキがある!



「「ユ・キ・ナ! ユ・キ・ナ! ユ・キ・ナ!」」



 しかし、怒濤のアウェイ歓声もなんのその。空中で背中をハーピィ達がまたユキナを押さえつけようと彼女を捕えた。


「ああああっ!!」


 僕、いや、全員が悲鳴を挙げた。ユキナの炎が――消えた。


「死ね、ユキナ姫!」


 ギアスジークが懐へ飛び込み、ユキナの心臓を狙って拳を突き上げてきた。炎どころか意識を失いかけてる。

 ユキナが、ユキナが殺される!



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