第35話 聖鐸秤は嘘をつかない


「わ、わたくしは本城でユキナ様のお世話をさせて頂いている侍女です! ケ、ケイカ様はユキナ様のことをお嫌いなのですか!」


「控えなさい!」


 シェリラさんがその侍女を窘めたが、彼女は叫ぶように続けた。


「ひ、姫様のこと、ユキナ様のこと、どうお思いですか!」

「ど、どう……って」


 どう思ってるかなんて。


「す、好きだよ」


 憧れとか、異性としての興味が強いだけかもしれないけど、


「ユキナはさ。僕に屈託も無く話してくれて、優しく笑ってくれて……」

「はい、存じております! 姫様は毎日、毎日、お食事をされる時もお風呂の時もケイカ様の御話ばかりなさっておいででした!」

「ユ、ユキナが、僕のことを……」


 初めて知った。


「ケイカ様はお優しい方だと嬉しそうな御顔をされたり、綺麗だと言って貰えてお喜びになられたり……でも、自分に魅力がないのかなと落ち込まれていたり、恥ずかしさで逃げてしまって頭を抱えておられていたり……。それなのに、どうして、ケイカ様は、ケイカ様は。いえ、姫様も姫様です、どうして……」

「もうやめなさい! それ以上言ったら無事じゃ済まないわ!」


 シェリラさんだけじゃなく他の侍女たちもその子を取り押さえようとするが、彼女は振り払い、声を震わせた。


「御事は、少なくともケイカ様にとっては恋沙汰ではなかったはずです! 異性として惹かれるとこあらばお抱きになれたはずです! それほど姫様には魅力がございませんか! ケイカ様はそれほど姫様がお嫌いですか!」


「………………」


 そうか。

 どうして今、彼女に言われるまで気づかなかったんだろう。

「お許しください、ケイカ様!」シェリラさんが僕より頭を低く下げた。


「あの侍女は極度の緊張と不安で悪しき病にかかっております。何卒、御容赦をもって妄言を聞き捨ててやってくださいませ。後ほど、本城の侍女長に処罰させます!」


 僕は、そっとシェリラさんの肩に手を置いて首を振った。


(いいんだよ、彼女が教えてくれたよ。……僕は最低だな)


 ずっと僕はユキナのことをどう思ってるか考えていた。それと、自分のことで悩んでいた。だけど、ユキナが僕のことをどう思っているか、考えてるようで何にも考えていなかった。

 どうして僕なんかが相手で。きっと僕が相手で彼女は困ってるはずだって決めつけていた。中学の時の友達――若清水君に「こう思うだろ?」って押し付けられるのをあれだけ息苦しいと思って嫌がってたくせに。彼女の気持ちを聞こうともしなかった。

 本当に話をしなきゃいけないのは、そういうことじゃなかったんだ。


 絵の事は関係ない。

 あの頃の、中学の頃の僕は、皆が羨ましかっただけだ。

 女の子のスカートが捲れて喜んでいた男子達。それに毒づく若清水くん。嫌そうな顔をした他の女子達。

 正しいとか間違ってるとか、どうでもいい。

 ただ自分の意見や考えをちゃんと話したり表現できる彼らが眩しく見えた。眩しすぎて僕にはとても出来ないって思えて……偽りの仮面を付けるようになったんだ。


(ユキナが綺麗だから? 違うよ。自分の事を、ユキナに自分の事を知られるのが怖かったんだ)


 そうしたら心で願う事と行動がちぐはぐになって。気が付くと自分がわからなくて、他人のこともわからなくなって、触れ合うのが怖くなっていたんだ。

 僕はユキナが好きだ。

 僕に向けてくれるユキナの顔や声、それらが生む雰囲気に包まれるだけでぜんぶ救われる気持ちになれて。だから、


「駄目だったんだ。どうしてもユキナを前にしたら、僕を知られたら嫌われるかもって怯えて怖くて、何も言えなくなってしまうんだ。何も聞けないんだ。彼女の力を継承する子供の話はわかってるし、それはいい。けど、ユキナが僕のことをもっと知って嫌われたら、そしたら大事な物を失うって…何も出来ないんだ。」


 取り留めもない言葉が溢れてきた。 おかしなことを言ってしまったのだろう、全員が唖然とした目で僕を見ている。


「ごめん。きっと聖鐸秤が間違えたんだと思う」


 わかってるよ。聖鐸秤がちゃんと選んだのなら、僕とユキナは結ばれるはずなんだ。

 彼女の言うように恋沙汰ではなく、性欲だけでも十分だったはずなんだ。

 相当、変な事を口走ってしまっていたのか、ユキナ付きのメイドさんも、彼女を止めていた本城の人達も、シェリラさんもエミリーナも、眼鏡のメイドさんまでもが唖然とし、僕をきょとんとした目で見ていた。

「あ、あの」と僕の肩を掴んでいたロッテが言った。


「私もお訊ねすることをお許しくださいまし。その、姫様と…口づけすらもまだ?」

「き、期待に応えられなくてごめん」


 僕が頷くと「まあ!」とエミリーナと眼鏡のメイドさんが口元に手を当てた。

 2人だけじゃなくて、空洞のそこかしこにいるメイドさん達もざわめき始める。


「だ、だから。僕は間違って選ばれたんだよ!」


 ――ところが。


「シェリラ様っ!!」


 突然、黒髪ロングの、眼鏡のメイドさんが立ち上がった。シェリラさんも「ええ、リオーネ」と彼女に頷き返す。な、なに。どうしたっていうの?

 リオーネと呼ばれた眼鏡のメイドさん、それからシェリラさん、ロッテ、エミリーナも続いて立ち上がった。

「ケイカ様」4人の侍女たちが僕の方を向き。



「聖鐸秤は決して間違った相手を選んだりはしません」



 そして空洞にいるメイドさん全員が僕の方を向く。

 ロッテが僕に言った。


「御二人がまだ結ばれておられず、心を通わせていないのなら聖鐸秤はまだ機熟さずと言っているということなのです」

「そ、それはえと……」

「ケイカ様にもユキナ様にも、未来があると聖鐸秤が示しているのですよ!」


 えへっと笑ってエミリーナが傍に寄ってきて僕の袖を掴んだ。


「聖鐸秤は、いつか結ばれる素敵な恋人に向けてその矢を放つ装置でもあるのです。先々代のご側室にあがられたセツナ様が仰ってたそうです!」


 セ、セツナさん……ユキナのお婆ちゃんが!?


「で、でもクゥナは理想とか表層的なものじゃないって」

「い、いいえ」


 リオーネと呼ばれた侍女は頬を染め、指で眼鏡を押し上げる仕草をしてみせ、


「クゥナ様は頑なに否定なさっておられますが……聖鐸秤は蒼き炎の継承云々と、それ以上にと、とても……とてもと云いますか、全異世界を通じて最も体の相性が良く、その……素敵な、おエッチができる相手を探してくれてもいるのです」


 す、素敵なおエッチの相手っ!?


「いやーん」「リオーネにそんなこと言わせるなんて」「ケイカ様のえっちー」


 そこかしこから、可愛らしく僕を批難するメイドさん達の黄色い声が挙がる。

「ただしですね」と頬に手を当て苦笑するシェリラさんが補足する。


「心を通わせた後ならば、キスなどもカウントされてしまうそうです」


 つまり! とぴょこんとロッテが元気よく僕の前に跪き、手を握ってきた。


「ケイカ様と姫様はこの戦いを生き延びて必ずエッチする運命にあるのです!」


 あの神殿でご大層に飾られ、武骨で無愛想な聖鐸秤がそんなアイテムだったなんて。


「クゥナ様や本城の方々は恋や愛がお嫌いというか、疎んじられるというか、お堅い考えでして」


 けれどユキナのお爺ちゃんと共に儀式を行い、直接、啓示を受けたセツナさんの遺した言葉だと、メイド達の間では人知れず語り継がれる有名な逸話だそうだ。


「とにかく、こうしてはいられないわ!」


 すると眼鏡のメイドさん、リオーネが衣服を繋ぎ止めているリボンタイをシュッと引き抜き、ベルトを外し、バサアっとメイド服を脱ぎ捨てた。


「わわわわ、な、なにを!?」


 なんて僕が心配することはなかった。下に服を着込んでいた。清楚な佇まいに反して息を呑む見事なプロポーションを包むのは、ユキナと同じレオタード型の戦着。

 リオーネはシュっと小気味良い音を立てて腰に佩いていた細剣を抜くや、床に突き刺し。


「私の霊剣の力で転移魔法を使うわ! ロッテ、エミリーナ、補助をお願い!」

「任せて!」


 ロッテとエミリーナが彼女の突き立てた剣の柄に手を重ねた。


「シェリラ様、我々は出ます! ケイカ様の護衛は」

「ええ、こちらのことは任せて。ユキナ様やクゥナ様のお手伝いをしっかり!」

「「はい!」」


 三人は力強く頷くが。

「待って!」僕は彼女達を引き留めた。


「あ、あの。わかったよ。いや、わからないけど、僕とユキナのことはわかったよ。でも、聖鐸秤はクゥナや皆の命、クリムトゥシュの勝利まで保証してないんでしょ?」


 剣を囲む三人も、シェリラさんも微笑を浮かべる。


「良いのですよ」

「御二人さえご無事なら」

「このような時代に王城に務める者として皆、覚悟しております」

「駄目だって!!」


 僕は震える膝頭を抑えて立ち上がり、三人の掴む柄に手を添えた。


「そ、そういうの駄目だ。ユキナが望んでない!」


 僕は、臆病だし弱いし裏で隠れてコソコソやってるゴミだし、だけど、それでも大事にしたいって思える物、ちゃんと皆から貰ったよ。

 僕はまだ他人を怖がってるかもしれないけど、嫌いになんてなっていない。ならずに済んだ! 皆のおかげだ。ユキナのおかげだ!


「お願い、僕も連れて行って!」

「な、なりません!」


 リオーネが血相を変えた。


「いくら天の与うる啓示で守護されている運命とはいえ、自ら拒否をし、投げ捨てる事はできると伝え聞いております」

「投げ捨てるつもりはないよ!」


 震える喉から出た声が……僕の心を覆う仮面に亀裂が走らせた。

 胸の奥から言葉が出てくる。


「大事なんだ。クゥナもお城の皆も、大事なんだ。お願い、僕だけ置いていかないで。僕はみんなが好き。大事にしたい。もちろん自分も大事にしたいから。だから残ったんだ。きっとユキナも同じ想いで戦ってる。なら僕はそのユキナに会いに行く!」


 ここで逃げたら、自分をもっと嫌になってユキナの前に立てなくなる。


「……ケイカ様」


 シェリラさんが小さく息をつき、いっしょに手を添えてくれた。


「ケイカ様がムゥジュへ残られたこと。戦地へ赴きユキナ様の元へと仰ったこと。すべて聖鐸秤の導きかもしれませんね。ならば天命に我々の命運も預けさせて頂きましょう…」


 彼女は振り返ると、空洞にいるメイドさん達に放つように告げた。



「クゥナ様より預かりし指揮権のもとに命ずる! 我々4人はケイカ様と共に出る。残る第2王城の者は第1王城の、他の者は各侍女長の命に従え!」


「「「――はっ、シェリラ様っ!!」」」



 凄い、彼女の指示ひとつでこの場にいた――ロッテ、エミリーナ、リオーネ以外の――メイドさん達が一斉に片膝をつき頭を下げた。

 彼女達のドレススカートが広がり、黒薔薇が一面に咲き誇ったように。


「さあリオーネ、転送を。一刻を争うわ」

「は、はい!」


 参ります、とリオーネは眼鏡をかけなおし、再び剣を地面に突き直した。


「我が名はリオーネ・パロ・シルファニー。ムゥジュの大地を網羅せし時盤と時空の糸。汝、汝、汝、シュタイフェルに命ずる。我は求めん。いざ、此方より彼方へ!」


 その呪文に、剣が輝き始め、僕達五人はその光に包まれる。

 ――座標はクリムトゥシュ第1王城――本城だっ!



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