第32話 ケイカの想い②


「……ケ、ケイカ?」


 ベランダにいたユキナが僕を信じられないとばかりに瞳を瞬かせながら見つめていた。

 転送先はユキナの部屋。

 聖鐸秤が部屋の容積の半分を占める部屋だ。棚や机などの家具一式、あとは正体不明の鉄の塊だけ。それ以外は何も無いっていう一風変わった、ユキナの部屋だった。

 突然あらわれた僕に、ユキナが手を口元に当てて、首を小さく振る。


「どうして、パウレルに帰ったんじゃなかったの?」


 ユキナの衣装がいつもと違っていた。それが正しい専用の戦着なのか、首の襟元を隙間無く止めたパレオの付きのレオタード調の装束。左右の肩には彼女の激しい動きを邪魔しない程度の小さな肩当てと脛を保護するロングブーツも身に付けていた。

 ベランダから出撃する直前だったみたいで。


「……えっと」


 何と答えればいいんだろう。僕はユキナと一緒にいたいんだ、そう答えたいだけなのに、戦えない僕にそう言う資格は無い気がしてしまう。

 言葉を探して喋れない僕の代わりに、クゥナが答えてくれた。


「ケイカがどうしても姫に会って、キスしたいと煩いから連れてきた」


 ――――違うッ!

 だけど、ユキナは彼女の言葉を信じたのか、頬を赤くして俯いちゃった。

「違うよ」と僕。


「ユキナに……ユキナの傍に……ユキナと会いたくて」

「……!!」


 すると、ユキナが突然ベランダから走ってきて、僕に抱きついてきた。

 だいぶ手加減してくれてると思うけど、ヨタついてしまう。それでも何とか彼女を受け止められた。


「ユ、ユキナ」

「嬉しい、ケイカ! 私も会いたかったよ!」


 密着する彼女の体、胸や腰周りの柔らかく熱っぽい感触が伝わってくる。


「もう逢えないかと思ってた」

「め、め、迷惑じゃなくて良かったよ……」


 でもだからわかった。微かに震えている。ユキナの体が僕の腕の中で震えていた。


「……怖いの?」

「………………」


 応えはなかった。しばらくの間、胸に顔を埋めたまま答えずにいた。やがて、


「ううん、もう大丈夫だよ」


 ユキナが顔をあげて、もう一度しっかり腕を回して抱擁を求めてきた。


『もう大丈夫だよ』


 彼女の言葉が脳裏に反芻されて――すると僕も、自然と肩を抱き返していた。

 トク、トク、トク、トク、トク……。

 彼女の心臓の音が僕の心臓の音と混じって聞こえる。

「クゥナからね」とユキナが呟くように言った。


「クゥナからケイカがパウレルに帰るって聞かされた時……ね」


 恥ずかしそうに「こっちを見ないで」とユキナが僕の胸に顔をぜんぶ埋めてきた。

 彼女の心臓の音がいっそう強く聞こえる。

「ケイカの顔ばかり思い浮かぶの。お祈りしても体を動かしても、ぜんぜん落ち着かなくて。なのに……ケイカは不思議……」


 小さな声で「こうしてると、落ち着くよ」と笑った。


「ご、ごめんねケイカ。私、わけわかんないこと言ってる……。でも」


 本当に不思議だ。理屈ではないけれど、わかる気がする。

 なぜか僕も、魔法陣でクゥナに説明されていた時からユキナの顔ばかり思い浮かんでいた。勘違いかもしれないけど、彼女の気持ちと僕の気持ちは、同じだって気がした。

 ただユキナに会いたくて、一緒にいると落ち着いてくる。

 この気持ちを、クゥナやシェリラさんにも伝えられなかったけど……それは僕の言葉足らずで、今も言葉に出来ないけど。


「ごめん、ユキナ」


 色んな意味を込めて、謝った。戸惑ってしまう。でも口が開いた。


「神殿で戦った時、ね。あの魔物に……僕は笑われたんだ。『こんなのがユキナ姫のお相手なの?』って」


 どうしてこんなことが口から出たのだろうかと自分でも疑問だった。

 会ってしたい話はこんなことじゃなかったはずなのに。

 でも。

 顔を上げようとしたユキナの頭を胸に抱いて、僕は続けた。


「シャオン達に同感なんだ。ユキナは凄く強くて、皆から信頼されていて。優しくて、そんなお姫様で……。その相手が僕で。嗤われたことはそんな辛くはなかったよ」


 それでも君に言いたかったこと。


「い、一番悔しかったのは……悔しかったのは何も言い返せなかったことだったんだ」


 笑われて脅されて、その上、ユキナの心まで傷つけようとしたシャオン達に「やめろ」と言いたかったのに何も言い返せなかった。

 睨まれて、怖くて。本当に怖くて。でも、


「でも好きなんだ。だけど、ユキナのこと、好きなんだ」


 もっと話がしたい。君に相応しくないってわかっていても、それでも傍にいたい。

 なのに、


「……ごめん。好きになって、ごめん……」


 僕の口から出てくる言葉は謝罪だった……。謝るしかできない自分が情けなくて、悔しかった。好きって気持ちに罪悪感を抱くなんて、そんなの辛すぎて、涙が溢れてくる。

 すると、ユキナがそっと僕の背中をさすってくれた。

「私ね、本当は知ってたんだよ」ユキナは顔を挙げ。


「ケイカのこと、少しだけ聖鐸秤が教えてくれてたの」

「……聖鐸秤が?」


 ユキナは「うん」と頷き、


「ケイカと初めて会った時『あ、この人だ』ってすぐにわかったよ」


 僕の顔を見つめる彼女は、「いつか、ね」と笑った。


「いつかは私も役目を終えて、お城でゆっくり過ごすときが来て。その時、優しい人が傍にいてくれたらって思ってた。ずっとずっと、楽しく過ごせたらって思ってた」


 ユキナは腰に回していた腕を背中に移動させてきた。僕達の体がより密着する。


「聖鐸秤は嘘をつかないよ」

「……ユキナ」

「さっき、ケイカが戻って来てくれた時――ケイカだって確信したよ。ケイカがムゥジュに来てくれた日、私、すっごく嬉しかったよ」


 それから、力強く拳を握りしめて見せてくれた。


「私に任せて! ケイカを笑った魔物なんか、全員ぶっ飛ばしてやるんだから」

「……ありがとう」


 僕には十分な言葉だよ。僕から言える言葉はただひとつだけ。


「ありがとう。絶対、帰ってきて。みんなと待ってるから」


 ユキナは「うん」と頷いて「じゃあ私、行くね」体を離した。


「帰ってきたら……もっとお喋りしましょ!」

「うん、しよう」


 ユキナはそう言うと、僕に背を向けて、床に手をついた。陸上選手のスタートみたいな姿勢を取り、叫んだ。


「フレイジング・リブ・バースト!」


 彼女の魔法の言葉に応じて足元から蒼い炎が噴き出す。薄桃色の髪が青色に、そして黄金色に輝き始める。

 ベランダで助走をつけたユキナは、手すりに足を掛けて高く飛んだ。

 城壁伝いに飛んでいき、正門を越え、あっという間に僕の視界から姿を消してしまう。

 遥か先、薄れゆく炎の影を見つめていると、



「――いいの? あんな別れ方で後悔しない?」



 僕の背後でクゥナの声がした。

 部屋に現れた彼女は背中に幾本ものスペシャルロッドを縄で束ねて担ぎ、腰には重たそうな布袋を下げている。戦闘準備をしてきたと云うよりは、むかしむかしある所で芝刈りをしてきたお婆ちゃんみたいな姿だった。

「姫もちょっと変わってる」とクウナ。


「死をも覚悟した世紀の大決戦を前に話すことが、老後の生活設計だとは私も予測できなかった。しかもまだ喋り足りんときた……」


 呆れ返って「話をさせるために超空間転移装置を使わされたのか」と大きく、わざとらしいため息をつき。


「ケイカだって帰ってきたらとか悠長に待たず、いまブチュッとキスして姫を送り出すくらいの気合いは無いの?」

「ごめんなさい」

「なぜ謝る?」


 今のが全力でしたから。けれどクゥナは、ふふっとなぜか笑って。

 そして手にしていた杖を僕にかざした。


「では、ケイカを第4王城の地下にいるシェリラ達の元へ転移させる。向こうに着いたら必ずシェリラの指示に従って欲しい」

「あ、あの……クゥナ」

「なあに?」


 僕なんかに言われなくてもそのつもりなんだろうけど、でも言わせて欲しい。


「……ユキナをお願い」


 するとクゥナはいつもの皮肉混じりの得意そうな顔を見せ、腰に下げた布袋からチャキッと、いつぞやの黒い小瓶――魔力回復のポーション――を数本掴んで取り出した。


「かくなる上は私も覚悟を決めた。姫のことは何とかしてみせる」

「ク、クゥナも無事に帰ってきてよ!」


 クゥナは一瞬、躊躇して見せたが、コクンと頷き、


「よし、いくぞ!」


 ぐるんぐるんと大振りの杖を振り回し、僕に向かって呪文を唱えた。



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