第31話 ケイカの想い①


「ざっと見積もって大小問わず後続の伏兵を合わせれば6000以上はいると見ていい。途中で数えるのもアホらしくなる数だった」


 監視塔で座っていたクゥナは魔物の大軍を察知した瞬間に、飛び出てユキナが普段いるという軍部の棟へ疾走したという。

 彼女は最後の蝋燭に灯を点け終えると祭壇の前で跪き、両手を掲げた。


「これまでどんなに多くても500かそこら。数十年前、祖父殿の代。クリムトゥシュ史上最悪の防衛戦と語り継がれる戦いでも、せいぜい2000、か」


 ユキナのお婆ちゃんに決意させた戦いの3倍以上……。


「だ、だけどユキナは無敵なんでしょ? 囲んでも無駄だって」

「ほぼ、無敵だ」


 頭上高くに掲げる両手で印を結び、目を瞑ると、自分を嗤うかのような笑みを零した。


「魔王、か。ケイカにわかりやすくしようと適当に思いついた言葉だけど、これほどしっくりくる尊号は無い。ユキナと同等かそれ以上の力を持った魔物の王だ」

「ユキナと同等で魔物の王? それが、魔物の王が一個師団を率いてやってきたの?」


 クゥナはコクンと頷き、印の形を変え、祭祀の神主さんみたいに左右に両手を振り始めた。まだ特に変化は現れない。

「およそ百年前」彼女は儀式を行いながら言葉を続けた。


「私にとっては婆様の御代になる。その頃を境に魔物が凶暴化した」


 あの夜、ユキナが言っていた『ある時を境に』のことだろうか。


「魔物の凶暴化については……まあ連中は元からトチ狂ったような性格だから驚きはしないけど、妙に組織だって動き始めた」


 彼女がそこまで言うと、魔法陣の方に反応が現れた。何処からとも無く光の粒子が胞子のように吐き出される。

 再びクゥナが印の形を変え、今度は胸元へ引き寄せ、


「知性理性の代償に特化された食欲と増殖欲が魔物達の強さだ。腹が減れば人を襲う。凶暴ではあるが、その程度だ。互いに利用し合う徒党や群れという考えもあるが、それらは強さによる生物的な本能のヒエラルキーによる支配。命令とか指揮などといった組織行動という概念は皆無だった」

「つ、つまり、歴史な感じで言うと……指導者的な存在が現れた……?」


 クゥナは「大正解」とコクンと頷いた。


「ユキナを含めたあの一族の系譜を本質まで辿れば、やたら強い戦闘の天才家系。雑に言えば突然変異みたいな超人勇者か。そこに超古代の魔術の粋である秘法――蒼炎の力を加味させ、異世界人の血も混ぜて存続させてきた、いわば人為的に後世に残してる救世主とも云える。もちろん現在という結果から見た理屈に過ぎないけど」

「結果論?」

「最初から設計の構想があるとか魔法論的な基軸があってやったことではない。異世界人の血に関しても恋愛だか苦肉の策だかの末に起きた、奇跡の事象産物だろう」


 だんだん……わかってきた。

 ユキナの蒼炎の一族は代々の勇者で、技を進化させ、親から子へと相伝し、故意か偶然か、異世界人と混血しながら今に系統として続いているものなんだ。だから、


「突然変異でも何でも偶然である以上、魔物にも同じようなことが起きたってこと?」


 おそらくは、とクゥナはまた印を変え続ける。


「奴らは探っていた。炎に護られた姫を傷つけることのできる魔剣。彼女のずば抜けた身体能力に対抗し得る指輪や神器を見つけた。いずれも姫に敗れはしたが……しかし満を持しての魔王投入ときたら、あちら側のユキナ対策は万全と見ていい」


 それが本城の裏を騒がせていた最大の争点だったと付け加え、彼女は頬を歪めた。

 同時に、魔法陣が粒子を大きく放ち、ゆっくりと回転し、床もあわせるように微かな震動を始める。


「これでよし。後は放って置いても転送は開始される。座標はケイカの部屋にしておいた。向こうは私たちが出逢ったあの夜から2時間後といったところ。もし騒ぎになってたら何とかうまく誤魔化して」

「待って!」


 背を向けたクゥナを僕は呼び止めた。


「みんなは、第2王城にいたみんなはどうなるの!?」


 クゥナは背を向けたまま顔だけ僕の方を向く。が、すぐには答えなかった。

 ややあって、顔をしかめたまま、


「総力戦になる。民や非戦闘員の避難が済めばシェリラやエミリーナ達も戦線へ赴くことになるだろう」


 エミリーナ……。僕にクッキーを焼いて持って来てくれたショートボブのメイドさんだ。


「あの子も、あんな魔物達と戦うの!?」

「エミリーナだけではない。戦力が違い過ぎてな、猫の手だって借りたい状況だ」

「そんな! 僕、まだあの子がくれたクッキー食べてないよ。お礼も言ってないよ!」


 ……みんな、みんな、


「僕に優しくしてくれたんだよ!」


 自分を卑下して、人との間に距離と壁を作って愛想笑いばかりしてる僕に、自分達から身を寄せるように優しく接してくれたんだ。


「ケイカ、そう言ってくれると嬉しい。異世界から連れて来られてきっと不安になってるだろうって、楽しんで貰えるよう皆で頑張って考えていた」

「みんなで……頑張って考えて……」

「ケイカの感想はちゃんと伝えておく。彼女達も喜ぶ」

「そうだ、みんなで異世界へ逃げるのはどう!?」


 クゥナは首を横に振る。


「大勢の時空間転送は不可能だ。それに、私もユキナも諦めているわけじゃない」


 僕の思いつきなんて、とっくに考慮済みなんだ……。でも、


「でもユキナは……ユキナはどうなるの?」

「彼女ならたとえ王城が陥落しても最悪その身ひとつで落ち延びさせることもできる」

「そんな。そ、それって全滅じゃないか」


 だけどクゥナは「それは違う」と、微かに笑みを含んだ優しい声色で訂正してきた。


「魔物が脅威となるこのムゥジュの大地では全員、笑顔の裏ではいつこうなってもおかしくはないと覚悟の上で働いていた。最悪のシナリオを想定した仕様書もあるくらいだからな。ユキナを逃がし、でもその時にケイカがいなければ、それが本当の全滅だ」

「待って、待ってってば!」


 クゥナは僕に背を向けて「もし」


「もし、第2王城の侍女達を哀れだと思ってくれるなら、ユキナにほんの少しでも心を許せるなら、野良犬でも噛むつもりで彼女を抱いてあげて欲しい。二人の子が皆の無念を晴らしてくれる。彼女達も、私もそう信じてる」


 幾何学線の模様はどんどん加速し、錯覚で円盤状に見えてくる。

「ケイカ」ふっとクゥナが振り返り笑った。

 いつものどこか皮肉めいた笑いじゃなく…目を細め、柔和に弛めた顔で笑った。


「ケイカといた10日間、楽しかった。また会おう」

「そんなこと言わないで!」


 クゥナとまた会う時、それって全滅してる時じゃないか。


「野良犬なんて噛まないから! 僕なんか返り討ちに遭うから!」


 僕はその瞬間、何も考えず、意識もせず、足を動かしていた。


「動いたら駄目! 再起動には時間がかかる!」


 クゥナが慌てて印を結ぼうとするのが見える。僕に術をかける気だ!


「いやだ、クゥナ!」


 僕は魔法陣の床を全力で蹴って、宙へと身を躍らせた。瞬間、全身に金縛りが掛かるのがわかった。足先から手の指先まで動かなくなる。


「うぐっ!」


 空中で、クゥナに飛びかかる格好で固まり、そのまま彼女に覆い被さった。僕の下敷きになり背中を打ったクゥナは、それでも僕を押し返そうとする。


「戻ってケイカ。ユキナとは必ずまた逢える。何があっても彼女は私が守る」

「いやだ! こんなお別れはヤだよ!」


 ちゃんとお礼を言って、ちゃんとお別れして。ううん、お別れなんてしたくなくて。


「僕、僕はここが好き! お願い、ここにいさせて! みんなと一緒にいたい!」

「無理を言わないで。ケイカまで守りきれる自信は無い」

「邪魔なのはわかってるよ! でも、僕ひとりだけ逃げるなんてイヤだ! こんな逃げ方したら、もし、もう一度ユキナに逢えても、ユキナの顔がもう見られない」


 だけど、クゥナは覆い被さる僕の肩を押して体を離した。


「邪魔とか誰も言わない。気持ちは素直に嬉しく思う」

「だったらここにいさせてよ!」

「魔法陣に戻って。本当に間に合わなくなる。侍女達も私と姫で何とか守るから」


 イヤだ、イヤだ! それウソだ! もう皆に会えなくなるなんて絶対イヤだ!

 気がつくと僕の下になっているクゥナのメイド服や宝石に――涙が零れ落ちていた。


「クゥナが傷つくのもイヤだ……」

「ケイカ、ありがとう。お願いだから魔法陣へ」

「イヤだ!」


 僕は押しのけようとする腕を避けて彼女を抱きしめた。



「………………………………」



 どれくらいそうしていただろう。僕も、クゥナも一言も喋らず、抱きしめあった格好のままでいた。

「ね、ケイカ」とクゥナが耳元で囁くように。



「うちの姫のこと、少しは好きになってくれた?」


「…………」



 僕はすぐに答えられなかった。わからない。好きって気持ちがまだわからない。正直、ムゥジュへ来てからもっとわからなくなった。止まってくれない涙が何を意味してるのか、どういう感情なのかもわからなくて、でも。


「……ユキナの傍にいたいんだ」


 どうしてだろう。戦いで負けて、彼女がどんな顔をして僕の前に現れるかを想像したら胸が苦しい。ううん痛い。違う、痛いとかまた会いたいとかじゃなくて、



「ユキナの傍を離れたくないんだ」


「……………………」



 抗えないくらいユキナの笑顔に惹かれるんだ。


「お願い、クゥナ。危険なのはわかってる。僕だけの話に収まらないのも理解したよ。でも……ユキナと一緒の世界にいたい」


 もっとあの子を知りたい、あの子と話がしたい。ユキナに会いたい。

 いま、ここであっちへ戻ったら二度と会えなくなる、そんな予感がするんだ。

 背後で音がする。魔法陣から空気が抜き出される音と、光珠が発せられる独特の音。少しずつ、激しくなり。



「――わかった。ケイカの意志、この私が受け取った」



 不意にクゥナがとんでもない力で僕をはね除けた。

 腹筋を使って跳び起きた彼女は杖を祭壇の方へ向け。


「リーサーラー、アザッシーム、我、甲魔が子、クゥナ・セラ・パラナが願う! 座標変更、ジュジェ112、土天813!」


 こ、この座標って確か! と、記憶を呼び起こそうとするより早くクゥナがいきなり、僕を思いっきり蹴り飛ばしてきた。

 容赦ない回し蹴りをアゴに喰らった僕は「あひいいい」と無様に魔法陣の真ん中で仰向けにぶっ倒れ、間髪入れず、クゥナも魔法陣の中へ飛び込んでくる!

 瞬く間に紫色の粒子が僕とクゥナを包み、ガタアアアンと床が激しく揺れ動いた!



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