第30話 ケイカ、パウレルに帰ろう


「ケイカ、パウレルに帰ろう」


 いきなりな言葉に僕が返事しなかったからか、クゥナがもう一度そう言った。


「パ、パウレルに? い、今から?」

「緊急事態だ」


 クゥナは頷き、眉間に皺を寄せ。「緊急事態だったけど」


「皆が面白そうなことやってたからつい参加してしまった。しかし都合は良い」


 シェリラ、とクゥナが彼女の名を呼んだ。シェリラさんはいつの間にか看護帽を脱いで床に片膝をついている。


「ここに第2王城の侍女は集まっているな?」

「はっ、わたくしも含めて53名。全員、食堂と回廊にて待機しております」


 本当に出血死するような危うい数字だった。なんて、茶化してる空気じゃなさそうだ。


「直ちに全員を本城より北にある第4王城へ避難させろ」

「全員を避難ですか…。クゥナ様。ご命令は承りますが一体何が起きたのでしょうか」


 すると今度は僕の方をクゥナは見た。


「魔物が一個師団規模でクリムトゥシュ王都目指し、攻めてきた」

「一個師団?」


 僕とシェリラさんは同時に唾を飲み込んだ。

 一個師団って。えっとえっと、ムゥジュではどれくらいの規模を指すかはわかんないけど、たしか、だいたい1万前後の大軍。


「……1万前後の魔物の大軍!?」

「しかも魔王様のおまけつき」

「魔王!?」


 彼女の言葉に僕も、シェリラさんも、その場にいたメイドさん達も表情を変えた。

 けれどクゥナは構わず、


「詳しく説明している時間は残されていない。既に全王城の非戦闘員には第4王城への退避の通告が出されているはずだ。無論、王都の民にもだが、シェリラ、避難所に着いたら事情を聴き、お前が侍女達を使って誘導の指揮を取れ。私はおそらく戻れない」


 それから、いや、と首を横に振って言葉を言い直す。


「王都陥落も覚悟した上で動け」

「そ、そんな」

「良いな!」


 シェリラさんに異論も許さない口調でクゥナは言い放つと、いまだ倒れていた僕の手を掴んで引き起こそうとする。


「ケイカ、来いと言っておいて帰れというのは本当に済まないと思う。しかし、どうにも守れそうにない。ここでケイカを失うことだけは避けたい」

「……あ、あの。ユキナは?」

「戦う。戦うが逢う時間は無い。定められし月日以外の時空転送には儀式を要する。道すがら説明するからとにかく私について来て欲しい。後を頼むぞ、シェリラ」

「――はっ、御武運を!」


 クゥナはうむ、と頷くと僕の手を掴んだままスペシャルロッドで床を突いた。


「座標、ジュジェ112、土天812!」


 早口で呪文を唱える。でもその座標、どこかで聞いた覚えがあるような。


「ゆくぞ!」


 彼女がそう言うと、僕の足元がガタンっと揺れる。




    ◆    ◆    ◆




 気がつけば視界の光景は一変し、僕とクゥナが立っていた場所は本城だった。

 中庭、と言えばいいのだろうか。しかし庭と言うのも妙で、城壁と城壁に挟まれた、やけに殺風景な土肌の広場。

 上を見上げるとこれもまた見覚えのある飾りっ気の無い広いテラス。下から窺うと小型シャトルの発射口にも見える特異的なユキナの部屋のベランダだ。

 するとここは7段目の城壁部にあたるのだろうか。


「ユキナ!」


 ベランダにユキナが現れた。僕には気がついていないのか、彼女は両手を胸元の前で組み、膝をついて目を瞑る。


「あれは戦前の祈り」隣に立つクゥナが言った。

「でも逢わせてあげられる時間がない。来て、ケイカ」


 クゥナは動こうとしない僕の手首を掴む。


「で、でも。ぼ、僕帰るんでしょ!? ユキナがいるんだから挨拶くらいは」

「本当に時間がない。急ぎたい」


 けれど背中を向けたクゥナから返事は無く、そのまま走り出した。引っ張られる形で僕は仕方なく彼女の後ろを走っていく。丘沿いに張り巡らされた城壁の間道は湾曲し、ベランダで黙祷を捧げるユキナの姿が城壁の影へ隠れていく。


「ま、待ってよ! ユキナが!」


 ユキナが見えなくなる。無性に不安とか寂しさとか複雑な感情が胸からわき出してくる。が、「待てない」と走る背中越しに言われた。


「儀式を行う場所は神殿以上に強力な封印結界で守られている地下。けっこう遠い」


 その近くには直接転送できない、と。でも彼女の説明は殆ど耳に入らなかった。

 僕の目は柱の影に隠れるユキナの姿を追っていた。

 クゥナは本当に焦っているようだった。

 引きづられる僕が息を切らそうとペースを弛めることなくグイグイ引っ張って、螺旋を描く非常階段らしき石段を降りていく。4階、3階、とぐるぐるぐるぐる回って降りていき、やがて丘の一部を掘り抜いて作った洞窟の前で立ち止まった。


 洞窟は頑丈そうな、炎のレリーフが刻み込まれた扉で閉ざされていて、それが封印結界の印か何かなのだろうか。でも扉には取っ手はおろか鍵穴とか、横にも縦にも開き目が見当たらなかった。「ちょっと強引に開ける。離れて」

 クゥナはスペシャルロッドをぶんぶん振り回し、パシっと握りしめると呪文を唱え始める。


「リーサーラー、アザッシーム、我、甲魔が子、クゥナ・セラ・パラナが願う」


 扉がグスングスンと砂崩れの音を立て揺れ始める。何だかヤバそうだ。僕が後ずさると同時にピシィっと扉に亀裂が走った。同時に隙間から空気が突風となって吹き出る。

 亀裂というより、精巧に組み合わされて目に見えなかった開き目がズレる感じだ。

 クゥナがロッドを扉に当てると、左右に割れ開いていく。重い岩板が地面を擦る音を響かせ、洞窟の入り口を見せた。


「出でよ、ウィル・プリスプ」


 さらにクゥナが簡略化された呪文を唱えるとロッドの先からポヨンっと光珠が現れる。スペシャルロッドは新品なのか元気良さそうだ。


「ついてきて」


 クゥナが洞窟の奥へと走っていく。僕も言われるままそれに続いた。

 洞窟の中はひんやりとして、床も壁も石畳で舗装されていて、暗い道でも走りやすい。

 辿り着いた洞窟の奥、広がった空洞には祭壇らしき小型の寺院を模した造形物と、床一面に描かれた魔法陣。

 魔法陣はいつもクゥナが召喚魔法を使うときに現れる紋様と似ていた。生きてるかのように魔法陣を描く線が紫色に明滅している。


「時空転送を行う。ケイカ、魔法陣の中央に立って」

「パウレルに戻ったら、僕はどうしたらいいの?」

「何もしなくていい。約束はできないけど、また私が迎えに行く。けど二日経っても来なかったら全滅したと思って」

「ぜ、全滅って」


 事も無さげに言ったクゥナは指先へと呼び戻したウィル・プリスプで、魔法陣の端々に置かれた蝋燭に火を灯していく。空洞が明るくなっていくにつれ、それまで息を潜めるように静かに明滅していた魔法陣が目覚めたように輝きだした。


「ま、待ってよ!」

「待てない」


 クゥナは魔法陣の真ん中に立つ僕を振り返り、小さく眉根を寄せて笑った。


「と言いたいけど、装置の起動までには時間がかかる。……なあに?」


 蝋燭へ順番に火を灯してゆくクゥナに、僕は言葉を探した。


「敵は強いの?」

「強いのもあるけど、数が多い。私も王女と共に戦うから急いでる」


 ……一個師団って言ってたよね。




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