第9話 水上宮殿とユキナ姫③
「こちらがクリムトゥシュの王、その御息女にあたる我が国の第2王女ユキナ姫だ」
しばらくして起き上がったユキナの前にクゥナは立ち、改めてそう紹介してくれた。
拍子抜けというか、予想していなかった少女だった。
お姫様っていうからお淑やかな感じか、あるいは無敵というからにはゴツいアマゾネスか。だがどちらの想像とも違っていた。
ユキナは頭にコブでも出来たみたいで「うう……」と涙目になってクゥナをじとっと恨めしそうに睨む。表情も豊かな感じだった。
「クゥナひどいよ。何も言わずに扉を開けるなんて」
「ケイカが横からごちゃごちゃ話しかけてくるから忘れてしまった」
そ、それは事実と違う!
「僕が話しかける前からクゥナは取っ手に手を掛けてたから」
「ううん。左手で取っ手を掴み、こう、右手でノックをする予定だった」
「なにその屁理屈!」
ユキナは「ま、いっか」とひとしきり頭をさすって、その手を僕に差し伸べてきた。
「私はユキナ・セレンティム・クリムトゥシュ」
そう名乗ってから「あっ」と、彼女は手を引っ込め、自身のスカートでごしごし手を拭く。シェリラさんが慌てて「姫様、お手拭きを」とエプロンからハンカチを出したけど「要らなーい」とばかりに構わずその手を差し出してきた。
「あ、あの……えっと」
無敵だと謳われる割りには凄く小さな手。僕とかわらない歳の頃と、さしてかわらない身長。僕の方が高いくらいだ。
ドラゴンの首を絞めるどころか一口で食べられそうな気がするけれど。
「ん?」とユキナが首を傾げた。
「名前が長過ぎたかな? ユキナでいいからね?」
屈託のない笑顔を見せるユキナに、僕はさらに戸惑ってしまう。
考えてみれば女の子と手を繋いだことはない。それ以上に、その、自然な笑顔にすごく弱い。僕はとても悪い子なんだ。想像の中だけど悪いことしてきて。だからそういう笑顔を向けられると効くんだ。
……手が震えて、前に出ない。
「んんん?」
ユキナは出した手を引っ込め、それから腰に当てて思案顔をし、隣にいるクゥナの方へ体を向けて。
「クゥナ、パウレルに握手の習慣はないの?」
「ある。けど、パウレルとひと括りに言っても国や地域、民族によって違う。花輪を相手の首に掛けてキスで歓迎する場合もあれば、合掌構えで相手を出迎える場合もある」
クゥナはいつの時代の、どこの国を見てきたのだろう。
「うーん、私はどっちもピンとこないなぁ」
ユキナは腰に手を当てたまま困惑顔をしてみせた。僕もどっちもピンとこない。
「僕の国でも握手はあるよ……」
ただ、女の子に自分から触れたことは一度もないだけだ。でも挨拶は男女関係ない。
勇気を振り絞り、今度は僕の方から手を差し出した。
「ぼ、僕は…す、スズミ・ケイカ」
告げた瞬間。彼女はニコッと華やいだかのような笑顔を見せて握り返しててきた。
「よろしくねっ! クリムトゥシュへようこそ!」
温かくて、しっとりして、柔らかい掌と指で。掴んだ手をブンブン振って歓迎の気持ちを表してくれる。ううう、心臓に大ダメージだ。バクバクする。
でも彼女の手と笑顔は、どこかしら「私はだいじょうぶだよ!」と言ってるみたいで、かろうじて僕の意識を繋ぎ止めていた。
彼女が手を離したとき、掌に温かな感触が残っていて、名残惜しい気もするほど。
「あの……」生まれて初めて、僕の方から女の子に話しかけた。
「さっきは何してたの?」
彼女なら、話しかけてもいいような気がした。
「ん? ああ、さっきの? あれは訓練ってゆーか練習かな。ここで待ってろって言われたけどケイカ達はなかなか来ないし、お昼も近いからお腹ペコペコだったし」
期待して思い描いていた通り、彼女はその豊かな表情で笑顔で答えてくれた。はきはきとし、よく耳に通る声だった。
「それに」不意に、少し頬を染めて僕から目を反らして。
「待ってろって言われても、何かしてないと落ち着かなくて……」
独り言みたいに言った。そうか、僕はこの人の側室になるかもしれなくて、そうすると彼女にしてみれば……。
「ね、ケイカ……」と、今度は彼女から訊ねてきた。
「お腹すいてない?」
「お腹? あ、空いてるかも」
正しくは、やっと胃腸が働きだし、いま空き始めたというか。
すると隣に立つクゥナも。
「私もお腹すいた。戻って来てから何も食べてない」
僕とクゥナの返事を聞いたユキナは満面の笑みを浮かべ、
「シェリラ、ご飯の用意をお願い」
ずっと僕達の後方で控えていた彼女を呼んだ。シェリラさんは「はい」と畏まったように頭を下げた。
「では、皆様のお食事をご用意させていただきます。しばしお時間を」
「いいよ、そんなの待てない。シェリラ達が使ってるメイド食堂に行く」
ユキナがそう言ってのけた途端、シェリラさんはあからさまな狼狽をみせた。
「な、なりません。あそこはユキナ様やクゥナ様、ええ、ケイカ様がお越しになられるような場所ではございません。毒味係もいないのです」
――ど、毒?
「だいじょうぶ! 私達に毒なんて効かないから」
そんな自信満々に言わないで。僕に毒はよく効くと思う。
クゥナもシェリラさんの方へ向き、
「ケイカは聖剣の持ち主とはいえ庶民の出だ。宮廷料理よりも食堂のメイド飯の方が口に合うはず」
「駄目ですよ、お口に合う合わないではありません。お二人はともかくケイカ様の身の安全が守れません。だいいち、姫様お一人でも侍女達が大騒ぎになりますのに、御三方が揃ってなどとなればそれはもう大惨事に」
「ええい、黙れ黙れ! 私はいますぐ飯を食べたいのだ!」
「そうだ黙れ黙れー」
駄々っ子が二人。
姫はノリがいい感じのようだ。
「それとも何か。お前ら第2王城の連中は私や姫の命を狙う不届き者ばかりなのか!」
「そうなのかーっ!」
「またそうやって2人してワガママを仰る……」
「なんだと! 貴様、いま本音を吐いたな!」
胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄るクゥナに、シェリラさんは心の底からしぶしぶといった風情で頬に手を当て頷いた。
「わかりました、ご案内させて頂きます。その代わり、もし食堂の侍女たちに不手際があったとしても」
「うむ、わかっている。第2王城侍女たちの一切の無礼を咎めないと約束しよう」
「約束するー」
「本当ですね……」
シェリラさんが折れて了承するや、ユキナは僕の方を振り向いてピースを見せてきた。
そ、そんなにメイド食堂って美味しいのだろうか。彼女の笑顔に頬が熱くなるくらいドキドキした。
――と、その時。突然、謁見室の扉が荒々しく開かれた。
「シェリラ様っ!」
扉を開いたのは、最初に僕の部屋にいた栗毛の可愛らしいメイドさんだった。走ってきたのか肩で呼吸をし、いまにも転びそうな勢いで部屋の中へ入ってくると、息も整えないまま片膝を床につき、
「王城が! あ、い、いえ、王城からやや離れた王都南東の砦に! ま、魔物の集団が現れました!」
一瞬にして和やかだった空気が吹っ飛び、クゥナ、ユキナ、シェリラさんの3人の顔に緊張が走った。
「奇襲です! 最前線の防衛砦は既に突破され、王都の外周壁に接近しています!」
そこまで言うのが限界だったのか栗毛のメイドさんは膝に手をつき息を切らし、「しまった」クゥナが顔をしかめる。
「私が本城を留守にした時間が長すぎた」
「ど、どういうこと?」
僕の質問にユキナが教えてくれた。
「クゥナは本城にある監視塔の魔法使いでもあって、クゥナがそこを離れると魔物の接近を察知しづらくなるの」
よ、よくわからないけど参謀に監視レーダーの役割まで果たすなんて。クゥナってすごい重要人物じゃないかと思ってしまった。
シェリラさんが部屋の外にまで響くほど声を張る。
「すぐに姫様を連れて本城へ戻る。早馬の用意を!」
「それでは間に合わん!」
すかさずクゥナが言葉を遮り、自分の手を組み合わせると呪文を唱え始めた。
「アーサム、レ、シアハル、サラレル」
唱え始めるやいなやクゥナの足元の床に、あの幾何学紋様の魔法陣が浮かび上がる。
が、それをシェリラさんが慌てて止めに入った。
「クゥナ様。そのお体で転移魔法は危険です! 馬をお待ち下さい!」
「馬を待っとる状況か! いま、本城は世継ぎ不在をはじめ、様々な問題を抱えている。特に魔物の動きに対して敏感なのだ。何としてでも王都に入る前、外周砦で魔物を抑えねばならん。行くぞ、ユキナ!」
不意に呼び捨てられてもユキナは構わず「うん!」と頷き、クゥナの肩に手を置き、
「さ、ケイカも早く!」
「わ、わかった!」
ユキナに続いて僕もクゥナの肩に手を置いた。
……あれ? 空気の流れに従って頷いちゃったけど僕も行くの?
「我が名はクゥナ・セラ・パラナ。ムゥジュの大地を網羅せし時盤と時空の糸。汝、汝、汝、シュタイフェルに命ずる。我は求めん。いざ、此方より彼方へ!」
呪文を唱えるにつれ、足元の魔法陣が回転し始め、
「座標、ジュジェ122・土天992、ラ・シルハルト、バーラ!」
クゥナが天井に向かってそう叫ぶと僕達は光の中に包まれた。視界が真っ白に覆われ、激しく地が揺れた。
球体が地面から離れて上昇する感覚。急速でエレベーターで上がる感覚に似てた。と思ったら、今度は下降するかのように体に重圧がかかる。遊園地にもあるようなフリーフォールみたいな感覚だ。
そして、瞬きの内に、クゥナが生み出した白く輝く粒子の球体は四散し、途端、
「お、おうふ……」
クゥナがユラユラとよたつき、力を使い果たしたかのようにぱたんと倒れ「きゅうぅぅ」と弱ったリスみたいな鳴き声を出して目を回す。
「こ、ここは」
開けた視界は、王室から一転、辺り一面に大森林に覆われた風景が広がっていた。
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