第5話 異世界ムゥジュの大地!


「……………………………………」


 自然に、誰に邪魔されることなく、僕は眠りから醒めた。

 意識がぼんやりうつろい、まだちょっと視界が白い。

 やけに静かな朝だった。


 首から胸元にかけて寝汗が滲んでいた。ひどく苦しい夢を見た気がする。

 とつぜん女の子が僕の部屋に現れて――というか待ち伏せていて――ひたすら要領を得ない頼み事をしてきて、最後は踵落としを放ってくる酷い夢。


「………………?」


 目に映る天井がやけに高い。僕の部屋の天井は多めに言ってもせいぜい身の丈の倍。けれど、その天井はずっと高い位置にあった。

 くすみのない、真っ白な大理石で作ったような高天井に、小さな角灯を散りばめたシャンデリアが吊されていた。立派な博物館の中で寝ているみたい。

 半身を起こそうとして、後頭部よりやや下、首筋に鈍い痛みが走って戸惑った。


「痛い……」


 寝違ったような痛みじゃなくて、どこかに強く打った痛み。


「夢じゃない?」


 実感が湧いてきた。天井、シャンデリア、それから僕が寝ているベッド。どれにも確かな感触、実感がある。

 滑るような絹地のシーツを被せた羽毛布団はとても軽い。マットも変に沈み込まずにしっかりと体を支えてくれている極上の代物だ。


 ――というか!


 僕はベッドの中でパジャマを着てなかった。一糸まとわぬ生まれたままの裸。

 薄っぺらで見せるも恥ずかしいやわな胸板が露出していた。


「…………あう!」


 首筋に手を当てて、痛みを堪え、やっと半身を起こせた。

 見たこともない広い部屋の光景。

 豪奢で重厚なカーテンに飾られた巨大な窓。朝の柔らかで新鮮な陽光が取り込まれ、部屋の白さを強調させるように煌めかせていた。


「お目覚めにございますか」


 細やかな刺繍が施された床一面にひろがる絨毯の先、部屋の壁際で女の人――有り体に言えばメイドさん風の女性がふたり立っていて、優しい微笑みで僕の方を見ていた。

 僕は慌てて掛け布を手繰り寄せ、はだけていた胸元を隠してしまう。

 驚く僕に対し、彼女達はとても冷静で、


「クゥナ様にご報告を」


 ひとりのメイドさんがもう1人いたメイドさんへと指示を出した。指示された小柄なメイドさんは「畏まりました」と小さく頭を下げ、部屋を出ていく。

 出際に、彼女はもういちど僕の方をきちんと向いて深々と頭を下げてもいた。

 残ったメイドさんは「失礼します」両の掌をお腹のあたりで重ねたまま、一礼し、僕の横たわるベッドの傍にしずしずと寄ってきた。

 思わず、シーツを掴む手に力が籠もる。

 彼女は僕からちょうど三歩の距離でピタリ止まり、頭を下げてきた。


「お初にお目にかかります。クリムトゥシュ第2王城の侍女長を務めます、シェリラ・ルウ・アラハと申します」


 ――シェリラ・ルウ・アラハ。

 赤髪の、すごく美人な人だった。

 長身な彼女が身につけている衣裳が気になる。エプロンをしているものの、部屋に現れたクゥナと名乗った少女と同じメイドっぽい服だ。

 いや、侍女長と言ってるんだから、れっきとした正真正銘のメイドさんか。


 ただ、クゥナのように宝石を散りばめてはいなくて、彼女の纏う茄子紺の洋服は清潔だけど飾りっけはなく、質素な印象も受けた。

 それにシェリラさんって人は、僕よりもだいぶ年上な感じで、驚くのはその腰まで届く長い髪が赤いこと。

 ウィッグとは違い、ナチュラルで、根本で束ねた毛先には地毛独特な透明感と艶がある。それに美人なのはこの人だけじゃない。さっき部屋を先に出て行った栗毛のメイドさんも綺麗な子だった。


「ここは……天国かな」


 僕の呟きに、シェリラさんはクスッと笑みを零した。

 小馬鹿にしたんじゃなくて「まあ、王子様ったらお戯れを」って感じに、優しくて上品な笑顔を浮かべ、深々と頭を下げてくる。


「ここはムゥジュの大地。その東南部に位置するクリムトゥシュ地方、領主シアラス・バーレン・ティム・クリムトゥシュ陛下の第2王城にございます」


 そう言ったところで、僕が首を傾げていることに気づいたのか、「失礼致しました」と再び頭を下げてきた。


「ケイカ様はパウレルからお越しになられたばかり。配慮足らずの言動、お許しください」

「い、いいよ。僕なんかに頭を下げないで」


 彼女の言うとおり何も飲み込めない僕だけど、首を傾げているのは痛いからなんだ。


「後ほど、クゥナ様より直に詳しい説明があると思います。とりあえず今はおくつろぎ頂ければと思います」


 クゥナ……。

 そっか。やっぱり夢じゃないのか。


「シェリラさん、だっけ。シェリラさんも僕の名前を知ってるんだね」

「ええ、勿論でございますとも。この城でケイカ様のことを知らぬ者などございません。貴方様のご到来を第2王城が侍女一同、首を長くしてお待ち申し上げておりました」

「そ、そうなんだ」


 夢だとか思ったけど、ぜんぶ本当の話だったんだ。じゃあ、「うちの王国を救ってくれ」っていう頼みも?

 と、シェリラさんに訊ねようとした時、彼女は無言で腰を曲げ、すぅっと僕の視界を開くように後ずさって脇に寄った。

 同時に聞き覚えのある少女の声が部屋に響く。


「――ケイカは起きた?」


 声の主はやっぱりクゥナだった。紺と薄紺がコントラストを生むメイド服。忘れもしない、腰に肩に胸にといろんな箇所に宝石をあしらった、豪勢な衣装をまとった小柄な少女だ。


 その小柄っぷりはシェリルさんと並べばよくわかる。ヘッドドレスに飾られたショートカットの頭が、シェリラさんの胸の辺りまでしかない。

 クゥナはベッドのそばに寄るや、僕の顔から掛け布に覆われた全身に目を這わせてきた。


「あ、あの、クゥナ?」


 僕はウサギかリスか、檻で怯える小動物みたいに体を縮こませた。

 だがクゥナは僕の問いに答えず、視線を反らし、傍らに控えたシェリラさんをその半月状の瞳で威嚇するように睨みつけ。


「おいシェリラ。服もまだ着せとらんのか」

「は、はい。先程お目覚めになられたばかりで」

「早く用意しろ、ユキナ王女の処へお連れする」

「はい、直ちに」


 彼女はクゥナに言われるや、頭を下げた姿勢のまま足早に扉まで後ずさり「失礼いたします」と部屋を出て行ってしまった。

 その後ろ姿を見届けたクゥナは腰に手を当て、尖らせた唇から息を漏らす。


「さっそく聖剣を研ぎ澄ませておいてくれたかと期待したのに、気の利かんヤツだ」

「せ、聖剣?」


 訊ね返してもクゥナは返事をしてくれなかった。

 それにシェリラさんはとても気が利く人に思える。少なくとも目の前にいる酷い子とはワケが違う。

 ややあってクゥナはもういちど小さく溜め息をつき、表情を和らげて僕の方を向いた。


「挨拶が遅れた。ケイカ、我らが城、クリムトゥシュ王城へようこそ」

「ど、どうも」

「来てくれて嬉しい。気分は悪くない?」

「気分はともかく首が痛いよ」

「そう、無事ならいい」


 無事じゃないって。マジで痛いんだよ。

 でも彼女は「うむ」と頷くだけで僕を拉致したことや踵落としに対する謝罪はしてくれなかった。「もういいけど」と僕。


「で、僕はどうしてここへ連れてこられたの? シェリラさんって人は僕のことをケイカ様って呼んでたし、あとクゥナのこともクゥナ様って」


 クゥナは「当然」、コクンと頷いた。


「この城でケイカのことを呼び捨てにしていいのは私と、一部の王族くらい。あと私を呼び捨てにしていいのもケイカとその辺くらい。私達は偉大な存在」

「……偉大な存在」

「うん、加えて貴重な存在」


 ぽかんっと口を開けてしまう僕に、顔色も変えずクゥナはとんでも話を続ける。


「シェリラがケイカの服を用意する間に説明をしたい。ムゥジュの大地の存在やここが異世界ということは理解できた?」

「い、一応はね。これが夢や幻覚じゃないなら信じるしかないよ」

「仕方がない。多次元世界を認識する者でなければ何度口で説明しても信じてもらえない。来て貰わない限り話が進められない」

「えっと、それで具体的に僕は何をすればいいの? 偉大だとか貴重って言われても僕は本当に何もできないよ?」


 異世界ムゥジュの大地という存在は受け入れるとして、大事なのは僕がここへ連れて来られた理由だ。

 聞いていたのは《国家存亡の危機》、とても僕が救えるようなレベルの話じゃない。

 すると彼女は困ったように表情をしかめてみせた。


「説明が難しい。説明のためにはムゥジュの大地と異世界パウレルの差異から話をしないといけない。長くなったらいけないから、教科書代わりにコレを使う」


 そう言ったクゥナは背中から――あのノートを出した!

 いろんな急展開に大問題を忘れていた!


「《ケイカの書》第4巻に類似した描写がある」

「見たら駄目! 返せっ!」


 パラパラめくろうとするクゥナに僕はベッドから跳ね起き、飛びかかる。

 が、掴み掛かろうとした僕は「わわっ」くるんっと簡単に彼女にかわされ、腕は空を掻き、バタンと素っ裸のまま床に倒れてしまった。

 あう、やっぱりこの子の身のこなしは本物だ。タダモノじゃない。

 武器なんか隠し持たなくても僕くらいどうとでも料理できたんだ。

 そして突然、何やら不可解な呪文を唱え始める!


「我は1級甲魔士、クゥナ・セラ・パラナ。軟泥深きに眠る魄、汝、汝、汝、ペドロゲルに命ずる!」


 倒れた無防備極まりない格好の僕に掌を向けてきた。

 空気が震えはじめ、冗談ではなさそうな雰囲気が漂う。本能的に身の危険を感じた。


「わ、わわわわ!」


 光ってる! 光ってるよ彼女の掌! それどころか体全体が黒紫色に輝き出し、



「出でよ、ペドロゲル。来たりて縛りて、我に邪を抱き者に戒めを!」


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