第4話 私たちの王国を救って
僕の疑問など素知らぬ顔でクゥナは言った。
「本題に入っていい?」
「あ、う、うん。本題だね」
なんだろう。何か釈然としない。けど僕は彼女の言葉に耳を傾けることにした。
「まず、無断で部屋に入ったことは謝る。許して欲しい」
「い、いいよ」
疑う部分は沢山あるけど、彼女が礼儀正しく頭を下げるので「大丈夫だよ」と手を拡げるジェスチャーで続きを促す。
彼女は表情を変えず、その金色の瞳で僕をまっすぐ見つめて話を続けた。
やや逆半月に垂れ下がった可愛らしい瞳。
「私はケイカを捜していた」
「僕を?」
おもわず首を傾げてしまった。
そういえば彼女の発音にはしっくりこないものがある。
僕の名前を家族やクラスメイトが呼ぶとき、「けいか」とはっきり発音するけど、彼女はどちらかといえば「ケーカ」に近くて、イの音が弱い。
つまり、彼女が何者かはわからないけど、僕を直接、それも昔から知っているわけではなさそうだ。
「詳しく話してもわからないかもしれないから単刀直入に言う。実は少し急いでる」
「う、うん」
「私はここの時空とは違う世界、ムゥジュの大地と呼ばれる世界からやってきた」
僕は首を傾げたまま、固まった。
「ごめん、わからない。最初から順を追って話して。理解はいい方だと思うから」
自己嫌悪を隠すために笑顔を作るようになってから、人の話を聞くのは得意になったんだ。
だけど、彼女はそっと僕の手を握り「このまま続けさせて欲しい」と言った。
「ムゥジュの大地、そこに私の住む王国がある。その王国をケイカに救って欲しい」
「良かったらお茶くらい出すよ?」
「お願い、聞いて。本当に急いでる」
彼女は僕が疑問を挟むのを拒むように指を絡ませて、ぎゅっと握りしめてきた。
「お菓子は欲しいけど時間がない」
「お、お茶だってば」
「とにかく聞いて」
クゥナの握りしめてくる掌は温かくて、ちょっと熱い感じもして、汗ばんでもいた。『時間がない』というのは本当の事だろうか。
「王国の名はクリムトゥシュ。いま、国家存亡の危機に迫られている。ケイカの力が欲しい」
「こ、国家存亡の危機に僕の力? 規模がおかしくない?」
「おかしくはない。全異世界を通じてうちの世界を救えるのはケイカだけ。ちなみに私は使者」
「待って。何をすればいいの? もしかしたら人違いかもしれないよ? 僕、とっても弱いよ?」
「間違いない。強弱も関係ない。何をするかはあっちで説明する。異世界パウレルの22の月とムゥジュ44の月。同調する月が剥離される時に生み出される魔力を失うと暫く、このパウレル時空へは飛べなくなる」
異世界パウレル……あ、こっちの世界のことかな。混沌とした内容だ。けど、冗談言っているようにも、騙してる風にも見えない。
僕は一度彼女から手を離して、笑顔を作ってみせた。慣れたはずの作り笑顔もさすがに変な形になったかもしれない。
「あ、あのさ。ちゃんと話してくれたら前向きに考えるよ。いま夏休みだからさ、できる範囲だったら手伝ってもいいし。ほら、急にいなくなったら親は心配するから」
だけれどクゥナは真顔のまま「――そうもいかない」クゥナは頭を振ってまた手を握ってきた。う、こんな時なのにドキドキする。
「時盤と空間の違うパウレルの1日はムゥジュでの半年になる。1刻はだいたい200刻に相当する。こっちへ来てから既に四半刻が過ぎた。様々な理由でもう危険」
「え、え、えええっと」
1日24時間で、それがクゥナの世界では24×30×6ってことは……えっと。
と、計算しようとする僕をクゥナは遮るように、
「つまり、ケイカが心配することはない。あっちの世界でゆっくりちゃんと説明する」
両手で僕の手を掴んだまま迫ってきた。あう、あう。とりあえず手を離して欲しい。
さっきから言葉が出なくなってて。どうしたらいいか、誰か教えて。
「か、帰って来られる?」
「無論。私がここに来ているのが証拠」
「あう、でも、だけど。何をするかだけ教えて欲しい。騙されて奴隷扱いされたりとかは困るよ」
「奴隷をひとり捕まえるのに、私を国庫の予算をはたいてまで時空移動なんかさせたりしない」
「そ、そうなの? で、でも……ってわわわっ!」
拒否しようとする僕の手を、彼女は胸の谷間に寄せてくる。腕から肘、全身までが硬直した。
「だ、駄目だよ、そういうことはしちゃ駄目なんだよ!」
「お願い、話を聞いて断りたかったら断ってもいい。来てくれるだけでも特典としてこの書物に描かれている物くらいで良ければ見せる」
「しょ、書物?」
「うん、私ので良ければ」
彼女は背中の、上着の隙間から……僕のあの、秘密ノートを取り出して見せた。
「あ、あ、あ……ああああああああああ!」
おもわず、絶叫してしまう。いつのまに!
「そ、それはダメ! ぜったいダメ! 返して!」
僕が飛びかかろうとしたが、クゥナはひらりと身をかわし――かわされた僕は無様に床へと転がった。
ポケットから携帯電話がこぼれ落ち、床に放り出される。
起き上がろうとした僕だったけど、
「うぐっ!」
彼女につっぷした背中を踏まれた。すごい力だ。肺まで潰れそうな力で声を殺された。
「お願い。私達の王国を救って」
「あ…………あぐう…………」
「報酬はたんまり出す。決して手荒な真似はしないと約束もする」
「ひぐううううう」
背中を踏みつけられ、まるで床ごと体を杭で縫いつけられたみたく身動きが取れない。
――殺される。父さん、母さん、助けて。この子、酷いよ。
うすうす感じていた違和感の正体が見えた!
人のこと言えないけど、言ってることと見た目とやってることがメチャクチャな、きっと危ないタイプの子だよ。僕にはわかるんだ。
すると、僕の頭上で彼女は手首に巻いた小さなアミュレットを見つめると「ゲッ」可愛らしい顔に似つかわしくない呻き声を出した。
「同調月剥離の力が欠けてしまう」
「……え?」
理解不能な言葉に顔を上げようとした僕の、背中を圧迫する重圧がふいに軽くなった。
かと思いきや、
「理解あざっす!」
手短な謝辞と共に、僕の後頭部に彼女の踵落としが炸裂した。
「あう…………っ」
首筋から目頭まで突き抜ける強烈な衝撃が走り、意識が遠のいていく。
残存する意識の最後に、クゥナが僕の後ろ襟を掴むのを感じた。
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