第3話 笑顔の仮面 ~その代償~
「――――はあ」
僕は家の階段をあがる最中、ためこんでいた溜息を大きくつく。
豪華な夕食を用意してくれて祝ってくれる両親の前で疲れてしまった。
どんどん自分のことが嫌いになる。
「こんな時、本当に慈悲深い天使でもいてくれたらな…」
そう、笑顔でさ、
『――いいですよ。桂嘉さんが元気になるなら。私の下着を見せるくらい』
『良いな! 今日はそのパターンで描こうかな!?』
衝動と想像だけで描き始めた絵だけど最近はちょっと余裕が出てきて、簡単なポーズでいいなら描けるようになってきたんだ。
――って、そうじゃなくて!
「あう!」
僕は自分の頭を壁に打ち付けた。
だから、こんなのは嫌なのに!
けど、でも、本当に、いちばん素直で純粋な気持ちでいられる時間と空間だから穢したくないんだ。うう、何言ってるんだろう、支離滅裂だ。
重い足取りで階段を昇り、自室の手前でまた溜息をついてしまう。
「……ん?」
僕が自室のドアノブに手を掛けた時だった。
違和感――ありていに人の気配――を感じ、僕は呼吸を止める。
部屋の窓は閉めていたはずなのに室内に風が入っている。カーテンの擦れる音が微かに聞こえてきていた。それに僅かにだけど床の軋む音も感じる。
(――泥棒!?)
声を殺して、心の中でそう叫んだ。
ドアノブを握る手が凍りつく。
うちは3人家族だ。2階建ての家屋で、その2階は僕の部屋と両親の寝室。だけど二人ともまだ1階のリビングで大河ドラマを観ているはずだ。
そう。こんな僕だけど大河ドラマとか歴史物は好きで、けれど今日は家族と過ごす気になれなくて土曜日の再放送を観ることにしたんだ。
って今はそんなことはどうでもいい。
――――ガサ。
今度は、はっきりと音がした。
部屋の中をあさる音。同時に心臓が鳴る。咄嗟にポケットに手を入れ、携帯電話を握りしめた。
正直に明かせば、うちは文系家族で体力とか荒事にはとことん縁も自信もない。
おそらく若いという理由で僕が一家で最強という、弱小家族だ。
よって助けを呼ぶならぜったい警察。
でもどうしよう。このまま僕が黙って見過ごしても、うちに現金は殆どないから被害は少ないはずだ。
あるとしたって両親の寝室の貴金属の類くらい。今わざわざ事を荒立てて家族を危険に晒す必要はないと思った。
けれど、妙だとも感じる。
僕の部屋には僕の財布くらいしか用が無いはずなのに、やたらと犯行時間が長い気がした。ぱっと見ても誰でもわかるような子供部屋なのに。手際の悪い、お金に困っただけの素人か少年犯行なのだろうか。
ドアノブをそっと回す。
そっと、中の様子を見るだけ。もし見つかっても大声を出せば、犯人とて下手なマネはできないだろう。
だが、中にいたのは、想像とはぜんぜん違った者だった。
「――――――っ」
まず僕の声は言葉にならなかった。
女の子だった。それもショートボブの可愛らしい黒髪の女の子。
何の趣味かチューリップを逆さにしたようなメイド服を着ていた。
でもただのメイド服じゃない。
衣裳のいたるところにアクセサリーやら宝石やらが沢山ついていて、さらに目立つ大きなグリーンの宝珠を銀鎖で胸に提げた少女だった。
とてもお金に困っている犯罪者に見えない。
僕の部屋で何か探し物をしているかのように、四つん這いになって無防備にお尻を向けていた。――そして。ドアを開けた僕の気配に気づいたのか振り向き、僕の視線と彼女の視線が重なった。
金色の瞳。暗がりの中で鈍い光を放っているようにも見えた。
「――やっと来た」
彼女が口を開く。
あまりのことに大声を出すどころか、喉をつまらせ悲鳴すら出せなかった。
女の子は手をついて立ち上がる。
小さな身体だった。小学生と言ってもいいくらいの背丈と幼そうな顔立ち。
窓から侵入してきたのか、彼女の背後のカーテンが静かに揺れていた。
彼女はもういちど口を開く。
「スズミ――ケイカ?」
僕の名前を訊ねているようだ。
「……君は?」
ドアの影に隠れたまま、訊ね返すのがやっとの僕に。
「私はクゥナ・セラ・パラナ」
彼女は抑揚のない澄んだ声で、呟くようにそう名乗った。
「クゥナ?」
「――うん」
確かめてはみたけれどピンとこない彼女の名前に眉を潜めてしまう。
ただ、そう、日本語を喋ってはいるけど生粋の日本人って感じもしなかった。衣裳もそうだけど、顔つきや身に纏う雰囲気も僕とは明らかに異質な気がする。
「警戒しないで。私は武器を持っていない。こっちへ来て話を聞いて欲しい」
クゥナと名乗る少女は手を拡げて、背中を見せ、丸腰だと示した。
「そこだと下の階にいる者に声が聞こえてしまう」
僕は警戒しながら、ドアを開き、おそるおそる部屋へと入る。
たしかに武器は持っていそうにない。彼女の上着は背中のファスナーで止めるタイプみたいだし、腰もくびりだすような締め付けになっている。
懐や腰にピストルを隠し持っている心配はなさそうだ。
けど、ゆったりとしたドレス調のスカートの下にはいくらでも隠せる。
めくった中からナイフとか警棒とか凶器が出てきても不思議ではない。そんなスパイ映画をたくさん観た。
そんなスパイには見えないけど、
「だいじょうぶ、この下にも武器はない」
僕の視線を感じたからか、少女は自らスカートをめくり、たくしあげていった。
「わ、わ、わわわわわ!」
こんな状況なのに慌ててしまう。一年前の、教室での出来事が不意に脳裏に浮かんだ。
「ほら、だいじょうぶ。ちゃんと見て」
目を覆ってしまう僕に彼女は静かな声でそう言った。
覆った指を開き、隙間から彼女の様子を伺うと。露わになった、黒いストッキングに包まれた太ももが視界に飛び込んで来た。
だけどそれだけだ。凶器らしい物は無い。左の腿もめくって見せてくれる。
「…………うっ」
とつぜん、女の子は呻き声を出した。
「ど、どうしたの?」
「こんな恥ずかしいことしたのは生まれて初めて。私は足に自信がない」
彼女はうつむき、スカートをたくし上げたまま顔を背けた。
言葉と裏腹に、彼女の足は見事なまでに均整がとれていて、無害ならもっと見ていたいくらいドキドキするのに。
でも、今にも泣きそうな声色で、
「信じてくれる?」
「ご、ごごごめん、わかった、信じる、信じるよ。君は武器を持っていない、戻して」
「ありがとう」
少女はそう言うと、さっとスカートの裾から手を離し、何事もなかったかのように僕を振り向いた。
……あれ? 一瞬、彼女の態度に違和感を覚えてしまう。
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