第2話 16歳の誕生日 ケイカ、心の闇は深く…?


 僕は16歳の誕生日を迎えた。


「そうかぁ。ついに桂嘉も16になったか」


 僕の目の前で上機嫌でビールジョッキを煽る父親が感慨深そうにそう言った。

「プッハー」と、母親も合わせるようにビールを煽り、酔った感じで僕ににじり寄ってくる。


「嬉しい? ねえ、嬉しい?」

「嬉しいよ、ありがとう」


 母に合わせて僕は頷き、笑顔を作ってジュースを飲んだ。

 いつからだろうか。

 こんな風に作り笑顔で相手に合わせるようになったのは。


 中学の頃は家族との対話を避けて過ごしてきた。

 その頃に友達と呼べる人はたったの1人。

 進学と同時に離ればなれになったけど――その後、作り笑顔をして話すようになってからは、【友達】は増えたかもしれない。


「16か。そろそろ酒を飲みたくなってきたか?」


「ううん」


 僕は笑顔のまま、首を横に振った。


「ねえ、そろそろ女の子にも興味を持ち始めたんじゃない?」


「ううん。ないよ」


 悪戯っぽく酔った目をとろんとさせてにじり寄ってくる母親に僕は慌てず笑顔で首を横に振る。

 心臓の方はドクドクと気持ち悪く蠢いていた。

 父親がジョッキを置いて言う。


「母さん、追求したら駄目だよ。男はね。女に興味を持って当たり前なんだ。だけど、そういうのは隠したいもんだ」


「そうかなぁ。スケベ心っていうのかしら? 私なら男の子には堂々と見せてくれた方が安心できるんだけどなあ。隠されたら誰にも言えないようなヤバい性癖があるんじゃないかって心配するわ」


 笑顔の仮面の奥で冷や汗がとめどなく流れ始めた。心臓もバクバク暴れ出す。

「違う、違うんだよな」と父親が首を横に振った。


「男の女に対する興味ってのは、どうあっても女から見れば屈折したように見えるもんなんだ。だけど責められるようなことでもなければ、問い質されるようなことでもない。こんな真面目な桂嘉だけど、少しは屈折してるところがあるかもしれない」


「えええ! 母さん、ショックだわ。桂嘉、そうなの?」


「こらこら。だから言っただろ。蓋を開けてみれば大したことじゃないって。一過性のもんだ」


 ……………。

 何も言えなかった。

 僕が――表向きには――積極的に話し合いに加わるフリをするようになったのは去年の今頃。


 中学生活最後の夏だ。

 夏は関係ないけど、その日は風が強くて、空気転換に開いた窓から突風が吹き込んできた。


「きゃあ!」


 近くにいた女の子のスカートがめくれて悲鳴をあげる。

 一部の男子が囃し立てるみたいに「パンチラ、ゲットー!」とか、わざとらしく騒いでいた。

 その時、僕の目の前にいた、当時、唯一の友達が露骨に嫌そうな顔をして毒づく。



「ああいうの、あんな風に喜ぶってあいつら頭どうかしてるぜ」



 僕は悲鳴をあげた女子から目の前にいた若清水くんに視線を戻した。


「ぜってーあいつらバカだろ。なあ、桂嘉もそう思うだろ?」

「そ、そうだね」


 そのとき。僕は生まれて初めて笑顔を作った。


(ごめん、本当は見ちゃったんだ)


 その子の真っ白なパンツ。けっこう目敏く。

 心臓というか胸のあたりが、きゅんきゅんしていた。網膜に焼き付いてる。今夜、描いちゃうかもと思ってしまった。

 若清水くんは騒ぐ男子グループと、嫌そうに見ていてる女子グループを交互に見てしんみりと言う。


「エロい事が駄目だなんて言わないぜ? むしろ肯定的だ。でもそれとイヤらしい事とは別だと思うんだわ。女子の反応見てみろって気がしねえか? どう思うよ? あんな顔されてるんだぜ?」


「そうだね、嫌だよね」


 女子達はパンチラに騒ぐ男子たちに眉を歪め、軽く殺気も帯びた顔していた。

 作り笑顔で僕は頷く。

 生まれて初めての作り笑顔と、生まれて初めての自己嫌悪と自己否定も感じていた。

 若清水くんは僕を見て笑う。


「まあ桂嘉はもうちょっとエロくなってもいいと思うけどな。桂嘉ってさ、真面目な本ばっか読んでそうだし、顔はいいけど女子は近づきがたい堅いイメージがあるからな」


 彼はちょっと潔癖なところがあって、あと外見で偏視するところがあるけど良い友達だと思っていた。

 でも中学卒業以来、彼とは連絡を取っていない。

 僕は、彼と接するだけですごく心が痛かった。


(……君の目の前で真面目そうな本を読んでる僕は本当は違うから)


 君が思ってるような人間とぜんぜん違うから。

 誕生日っていう大事な日の朝なのに、夢で見たとっても可愛い下着姿の天使を秘密ノートに描いちゃうような人間なんだよ!


「―――桂嘉?」


 ふと、母親が心配そうな顔して覗き込んでいた。

 僕ははっと我に返って「あ、ごめん、考え事してた」と面をあげる。


「ははは、悪いな桂嘉。誕生日だっていうのに、変な空気にしてしまったよ」


「そうね、ごめんね桂嘉。桂嘉はほんと良い子だから、ちょっと心配しただけよ。老婆心起こすなんて歳だわ」


「まあ父さんもいろいろな男を見てきたけど、桂嘉は大丈夫だ」


「そうね、母さんも見てきたけど、桂嘉は女の子に優しい男の子だわ」


「…………」



 何も言えなかった。

 父さん、母さん、友達のみんな。僕は死んだ方がいいですか……。





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