第51話 催眠魔術

 地下牢に向かって歩く。この道を通るのは四ヶ月ぶりだ。エミールに会いに行くのも。


 でも、状況は少し違う。あの時の俺はまだほぼ囚人に近い状態だったが、今はきちんと王宮魔術師としての仕事をしているのだ。

 そして、あの時は、ゴスタさんだけが側にいたが、今は、彼以外に別の騎士と魔法使いが一緒にいる。


 俺たちが彼の牢に近づくと、エミールがぎょっとした表情になった。当たり前だ。目の前には冷たい表情をした魔族がいる。さぞかし怖いことだろう。俺が同じ状況だったらものすごく怯える自信がある。


 エミールの目は忙しなくきょろきょろと動く。そして俺の所で止まった。


「ウティレ・キアント!」


 そして怒鳴られる。


 俺はもう『キアント』じゃない。でも、今ここでそんな事を言う必要はない。なので静かに微笑んだ。もちろん、これが挑発であることは言うまでもない。

 エミールは俺を睨んでいる。間違いなく『魔族に味方する裏切り者が!』と思っているのだろう。もちろんその通りなので俺も何も言わない。


「エミール、出ろ。魔王陛下がお呼びだ」


 ゴスタさんが代表してそう言った。


 そして牢の扉が開けられた。エミールが外に出される。


 牢の中には魔力封じの魔法がかけられている。でも、外に出たらそれは無効になる。エミールも外に出て自分の魔力が動くようになったのを感じたのだろう。すぐに詠唱を始めた。俺に向かって。


 すごく分かりやすい。まず弱い者を支配下に置くのは俺でもやる事だ。俺の場合はそれで魔王妃殿下を攻撃して酷い目にあったのだけど。

 こんなに簡単に罠にはまるのは情けないとしか言いようがない。


 やっぱり俺の方がうまくやっていた。あの時のあれは魔王陛下にとっても予想外の出来事だったのだから。ただ、だからこそ拷問がきつくなったのだろうが。


 でも、今はそんな事を考えている場合ではない。仕事に集中しなければならない。


「え、エミールさん、何を……」


 俺は戸惑ったふりをする。エミールが俺を馬鹿にするように笑った。彼の放つ雷魔術が俺に迫る。


 だが、次の瞬間、エミールの体がゆっくりと崩れ落ちる。俺のかけた眠りの魔術が発動したのだ。同時にエミールの魔術も消える。


 何が起きたのか分からず眠っているであろうエミールを見て、唇に冷たい笑みが浮かぶのを抑えられなかった。


 いい気味だ。


 ご苦労、というようにゴスタさんが頷いてみせる。俺は同じようにうなずきで返事を返した。


***


 眠らせたエミールを連れて、俺達は陛下のいる隠し部屋にこっそりと転移した。

 そこにはもう王妃殿下も待機している。


「攻撃をされたので、止むを得ず眠らせました」


 それだけ報告をする。陛下は唇をあげて『お前も大変だったな』とだけ答えた。

 眠らせたのは別の理由があるのだが、それは誰も口にしない。ただの『抵抗』でした事に追加で言うことはない。


「王妃、頼んだぞ」

「はい、陛下」


 魔王陛下が臣下としての王妃殿下に命令を下した。


 王妃殿下は、眠っているエミールに静かに歩み寄る。そしてゆっくりと詠唱をした。

 長い長い詠唱だ。それだけ難しい魔術を王妃殿下は使っているのだ。


 呪文を唱え終わると、エミールの目がゆっくりと開いた。でも、その目は何も映していない。ぼんやりとした虚ろな目だ。

 魔王陛下が満足げにそれを見る。そして王妃殿下の隣に立った。手にはいつの間にか立派な封筒が握られている。


「エミールよ、国王アーッレにこの手紙を手渡せ。そして見てもらいたいものがあると伝えよ」


 その命令にエミールは虚ろな目のままこくりと頷いて、魔王陛下の差し出す封筒を受け取る。


「わたくしが今から言う伝言も一字一句違わず伝えなさい」


 王妃殿下も命令をしている。


「『もし、人を操るのなら同じような「お返し」をされる覚悟はしておくべきだと思います。それとエミールはあなたの臣下なのですから、解いた後のケアはそちらでして下さいね。では映像をゆっくりと楽しんで下さい』」


 そう言い終わると、王妃殿下はいつものように指を鳴らした。エミールがその場に崩れ落ちる。

 王妃殿下は、エミールが目を覚まさないのを確認して安心したように、ふぅ、と息を吐いた。そして魔王陛下に向き直る。


「完了いたしました、陛下」


 その言葉で俺達の間にもホッとした空気が流れた。

 妙に俺達も緊張してしまったようだ。


 ただ、人に伝言を残すというのがこんなに大掛かりな事は普通はないだろう。でも、相手はエミールだ。普通に伝言を頼みたいと言っても聞くはずがない。


 なので催眠を使う事にしたのだが、それをするには一旦眠らせる必要がある。それ以外でも催眠魔術の方法はあるのだが、王妃殿下が一番使いやすいものがこれだったのだ。


 なので小細工をして先に眠らせる事にした。攻撃されたので抵抗したという事ならこちらに咎はない。

 おまけに、『だから伝言が頼めなくなってしまった。そのため止むを得ず催眠魔術を使った』という言い訳も出来る。

 ヴィシュ側に『魔族たちに攻撃された』と責められないための小さな策だ。

 それに、責めようにも『伝言』で『先にやったのはそちらだ』と言われてしまっているし、どうしようもない。


 それにしても、自称、『最強魔術師』がこんな風に自分達の魔術で翻弄されているのを見るのはとても気持ちがいい。


 こういう考えをするなんて、俺は完全に魔王側になってしまったな、と実感してつい苦笑が漏れてしまった。


 ゴスタさんが気絶したエミールを持ち上げる。


「行くぞ」


 陛下が命じてくる。俺たちは同時に『はい、陛下』と答えて、部屋を出て行く彼について行った。

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