第50話 ここに来た理由
「そういえばお姉ちゃん、今日はどうしたの?」
ワラビモチという名前の透明な菓子に茶色い粉——ダイズという豆から作られたキナ粉という名前の粉なのだそうだ——をかけながら、王妃殿下がサキ様に尋ねる。
「ああ、魔王さまが麗佳の普段の様子も見たいだろうって招待してくれたの。でも、さすがにまた大人数で押しかけるわけにはいかないでしょ。だから私が代表して来たんだよ。お父さん達は留守番」
「……サプライズだったのは何で?」
「それは魔王さまに聞いてよ」
「ああ……」
その返答だけで王妃殿下は納得したような表情になる。それだけ魔王陛下は人を驚かせる事がお好きなのだろう。
そういえば、アーサー様をここに呼んだ時も、パオラに対して『サプライズ』をしていた。いい性格をしている。
「そういえば前に会ったのは結婚式だったし、久しぶりの再会で興奮してたし、あんまり喋れなかったもんね。今日はいっぱい喋ろうね」
「うん」
王妃殿下とその姉君はにこにこと笑い合う。本当に仲がいい。ただ、サキ様は、明日は仕事があって泊まれないという事だったので、休憩時間を延ばすことになった。
「それにしてもあの結婚式はすごかったよね。レイカもすっごく綺麗だったし」
サキ様がその時の事を思い出してうっとりする。王妃殿下が恥ずかしそうに目をそらした。
「国王の婚儀だもの。立派だったのは当然でしょう? わたくしだって陛下に見劣りしないようにしなければならなかったし」
そして言い訳をしている。おまけに恥ずかしさを誤魔化すためかあえて魔族語で喋っている。
なのに『全然見劣りしてなかったよ。大丈夫大丈夫。他の人だって「綺麗な方ね」って褒めてたし』なんてサキ様に返されて無言になっている。顔が真っ赤だ。
それを見ると笑いそうになってしまう。
そういえば、ここにいる人たちは、俺以外、皆、その婚儀に参列していたのだ。
「それほど素晴らしい婚儀だったのですね」
だからこう問い掛ける事はおかしくないだろう。
「そう。すごいんだよ、王宮内神殿って。すごくキラキラしていて!」
サキ様が興奮しながらそんな事を言っているが、それはその通りだと思う。俺はこの国の王宮内神殿には、実はまだ入った事はないのだが、国内で一番の宗教施設なのだから荘厳なのは当然だ。逆に質素だったら大問題である。
それにしても、こういう話を聞くと、本当にこの国の国教がフレイ・イア教なのだと実感する。最初はすごく疑っていたのだけど、食堂でもみんな食前のお祈りをしてるし、それを普通だと思っている自分がいる。
きっと慣れたのだろう。
それに同じ宗教を信仰する者同士なのだから悪い事は何もない。
「……まあ、披露宴の騒ぎも違う意味ですごかったけどね」
「……ああ、あの俺様王の」
続いて出てきたサキ様の言葉に、王妃殿下も何かを思い出したのか遠い目をしている。
披露宴という言葉は聞いた事はないが、話の流れ的に『結婚記念舞踏会』の事だろう。
それにしても『俺様王』とは。
……なんだか誰の事なのか少し分かる気がしたが、気のせいだと思っておく。もうあの方に対して忠誠心などないけれど。
これは防音がされているから話せる事だ。でなければ他国の国王の悪口など許されるはずがない。
王妃殿下にリラックスしてもらうためにかけられた防音の魔術がこんな事に役立つとは思わなかった。
それにしても、二人ともそんなに嫌悪感をあらわにするなんて、舞踏会で何があったのだろう。
一人だけ状況が分からないというのは困る。なので『何があったのですか?』と問いかける。
「簡単に言えば、アーッレ陛下が魔王陛下とわたくしに喧嘩を売ったのよ」
「喧嘩を売った? 魔王陛下に? 舞踏会の会場でですか?」
ついぽかんと口を開けてしまう。それが本当なら、あまりに非常識すぎる。
招待客である一国の国王が、招待した国の国王に喧嘩を売るなど、普通ならありえない。それも他国からの賓客が大勢いる前で。
アーッレ陛下は、魔王の事を『魔族の首領』と呼び、王妃殿下に『魔王に誘惑された上に、さっさと捨てられる運命ななんて可哀想な女性ですね』と言い放ったらしい。
明らかに喧嘩を売っている。本当にありえない。
おまけにその言葉で魔王を怒らせ、決闘まで申し込まれてしまったそうだ。言った言葉もそうだが、相当嫌な言い方をしたのだろう。
故国の国王はそんな男だったのか。元臣下として情けないし、なんだか悲しくなってしまう。こんな男に仕えていたのかと。
とはいえ、昔の俺を含むヴィシュの大体の民がこの国の事を『魔王領』と呼んでいる。それも、魔王には気に食わない事なのだろう。
間違いなく、ヴィシュ王国は国ぐるみでヴェーアル王国に喧嘩を売っているのだ。
ヴィシュ王国はよく滅ぼされないよな。
最近はいろんな話を聞くたびにそう思う。
「私も腹が立ってさ、思いっきり言ってやったんだよね。『今後、わたくしがヴィシュの為に動くことなど未来永劫ありません』って」
「完全に怒らせに行っているではありませんか」
「先に私達を怒らせたのはあっち」
はっきり言う。でもその通りだ。
そしていつになく声が冷たいので言葉通り怒っているのが分かる。
「あれでも抑えた方なのよ」
王妃殿下は、落ち着くためなのか、キナ粉をたっぷりかけたワラビモチをピックで刺して口に運ぶ。
それにしてもそれだけお互いが怒っているならば、アーッレ陛下がこの国に対して何をしてもおかしくはないはずだ。
そこまで考えて、一つの考えが浮かぶ。昔の辛い記憶が頭をぐるぐると巡る。
「あの……婚儀っていつでした?」
「晩冬の月の三十日だよ」
俺の質問にユリウス様が答えてくれる。
ああ、やはり間違いない。
晩冬の月の三十日は年末の五日間の直前だ。
そして、俺は年末の一日目の夜中にここに送り込まれたのだ。
「ウティレ、どうかしましたか?」
急に無言になった俺が心配なのか、ハンニが俺に問いかける。
「それだけ揉めたのなら、アーッレ陛下が何もして来ないはずはないと思って。ただ、それで送られたのが私なのだな、と」
なるべく淡々と気まずくならないよう気をつけて話す。元刺客という事を強調するために一人称は『私』を使う。
あの日、プロテルス公爵の手下達はみんな不満そうな顔をしていた。出発前だというのに追加で暴力も振るわれたくらいだ。
きっと、突然アーッレ陛下に『預けていた隠密を魔王城に送れ』などと言われて不満だったのだろう。見下していた人間から命令されるなんてかなり屈辱的だったはずだ。
あの時はこちらも突然『行け』と言われて戸惑っていたのだが、彼らには知った事ではないだろう。
あの不機嫌さの理由が今まで分からなかったが、今、やっと理解する事が出来た。
そういう事を簡単に話す。それで、みんなが納得した表情になった。
「え? どういうこと?」
一人、サキ様だけがよく分からないという表情をしている。なので、王妃殿下が追加で軽く俺の背景を説明してくださった。
元刺客が家族の近くにいるなんてきっといい気分はしないはずだ。それを王妃殿下も分かっているのか、どこか、俺が被害者のような説明をされている。間違いなく俺は加害者なのだけど。
『でも、もう味方だから大丈夫だよ』と最後に言い添えている。つまり、『裏切るな』と、『ずっとこの国の味方でいろ』と言われている気がする。いや、間違いない。そう言われている。
ね、というように俺に向かって頷いたのがその証拠だ。
「酷い事するね。まだ高校生くらいでしょ、この子」
「年齢的にはね」
王妃殿下とサキ様が謎の話をしている。俺の年齢がどうかしたのだろうか。
ちらりと見るとにこっと微笑まれる。その笑みに悪意はなさそうだ。
なので、とりあえず流す事にした。
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