第40話 初仕事前日
それから数日、俺はずっと魔術師長にもらった本で独学をして過ごした。
きちんと一日三度食堂に食事もしに行ったが、魔族達は俺を見ても全く嫌な顔をするわけもなく適度な距離感で接してくれた。おかげで混んでいても、きちんと席に座って食事をとる事が出来た。
『人間などに隣になど座って欲しくない』くらい言われるかと思っていたから拍子抜けだ。でも、ありがたいのはありがたい。
食堂で働いている職員も量を減らすなどの嫌がらせもして来なかった。おまけに人間が好む食事もいろいろ考えてくれているそうだ。魔族は基本的に肉食だと言っていたから、まさかここでいろんな種類のサラダが食べられるとは思わなかった。今日の夕食の前菜に出てきたレトゥアニアンサラダなんて本当に絶品だった。
ただ、魔族たちが内心で何を考えているのかまでは分からないけど。今の所、食堂でしか接しないし。
それより明日の仕事始めの方が不安だ。
クローゼットを開けてみる。そこには俺のサイズにあった紫色のローブ、そしてその下に着るシャツとズボンが数枚ずつ揃っている。引き出しには手袋も入っている。
前の職場ではローブは自前だった。こうして制服として支給されるのは初めてだ。本当に俺が袖を通していいのだろうか。いや、サイズ合わせとか試着で何度か来たけど。
ついソワソワしてしまう。いや、ソワソワしても何も始まらないんだけど。
とりあえず、落ち着くためにもう少し勉強しようか。
魔法薬の調合とか苦手なんだよな、俺。
今までは作れと命じられた魔法薬をただ調合すればよかったけど、これからはそれだけじゃダメなんだろうな。
薬草学のところを改めて復習しておいた方がいいのかもしれない。
本当は実践で覚えた方がいいのだろうけど、まだ正式に王宮魔術師になっていない俺が勝手に魔王城の薬草畑から薬草を引っこ抜いていいわけがない。
でも、座学でもやらないよりはマシだ。こうして制服を見てそわそわしているよりはずっといい。
そう思ってソファーに戻ろうとした時、ノックの音がした。
誰だろう。客が来るなんて事は今までなかった。つい身を硬くしてしまう。
まさか元刺客の俺が気に食わなくてこっそり殺しに来た魔族とかじゃないよな。俺、大丈夫だよな。
うん。今は魔力を封じられていないから大丈夫。戦えるはず。
それに仕掛けてきたのが向こうなら魔王も分かってくれる、はず。
そう自分に言い聞かせる。
「はい」
自分に防御の結界をまとわせながら返事をする。
「……ウティレ様、僕です」
ハンニの声がする。でも本当かと怪しんでしまう。
警戒しながら扉を開ける。そこには声の通りの人物が立っていた。でもそれで安心してはいられない。
とりあえず本当にハンニなのか魔術で確認する。高レベルの変化解除を使っても姿が変わらないのでホッとして招き入れた。
「読書中でしたか?」
ソファーの上に置きっぱなしだった本に気づいてハンニがすまなそうな顔をする。
「いや、読もうかな、と思ってただけだから大丈夫だよ」
そこまで話してからハッとする。
そういえば、これからハンニは俺の先輩になるのだ。王宮魔術師という役職が出来たのは半年ほど前というからそんなに差はないが、先輩が新人に様付けをしているのはおかしいし、新人が先輩にタメ口をきくのもおかしいだろう。
前は身分の差があったからこういう事も許されていたが、これからはそういうわけにはいかない。
何せ、俺は魔王の命令で実家と完全に縁を切らされたのだから。
そう考えると、思わず口元がにやけそうになるが、今はそれを考えてにやけている場合じゃない。
「あの、これからは『ハンニさん』とお呼びした方がいいですか?」
俺がそう聞くと、ハンニはびっくりした顔をした。そして『どうしてですか?』と聞いてくる。
なので理由を素直に答える。ハンニは何故か悲しそうな顔をした。
「そのままでいいですよ」
そしてそう答えた。
「でも……」
「そのままでいいです」
俺が戸惑っているともう一度同じ事を言われた。
「ウティレ様が気になるのなら僕が呼び捨てにしますから」
だから他人行儀にされるのは嫌だと言う。
他人行儀にしたつもりはなく、礼儀を考えた結果だったんだけど、ハンニからしたら似たようなものだったのかもしれない。
「わかった」
それだけを答える。
ハンニの敬語は誰にでもやっていると知っているので気にしない。
と、いうわけで呼び方の問題が解決したので、二人でハンニが持ってきてくれた紅茶を飲む。俺の部屋にはカップが一つしかないので、ハンニはマイカップを持ってきていた。
そういえば俺は何も持ってない。まあ、この間まで罪人で投獄されてたからな。そう思ってつい苦笑が漏れてしまう。
「次の休みに買い物にでも行きますか? 多分、ウティレにもこの間の特別手当が出ると思うので」
何も言ってないのにハンニが提案してくれた。『この間の特別手当』というのはエミールのあれだろう。きちんと働いた分のお金は頂けるらしい。
それはとても助かる。助かるけど。
「大丈夫なの? 人間が街に降りて」
「はい。僕たちは魔王陛下の直属の臣下なので、身分証を持っていれば大丈夫ですよ」
「そういうものなのか?」
「はい。そういうものです」
そういうものらしい。俺にはまだよく分からないけど、差別されないのならいい。
この国の王都はどういう所だろう。少しだけワクワクした。
そんな単純な自分がおかしくて、俺はつい笑ってしまった。
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