第2章 「王宮魔術師見習い編」
第39話 寮
魔王に臣下の誓いを立てた次の日に、俺はまた引っ越す事になった。
引っ越すとはいえ、隣国からの元刺客の罪人で元囚人だった俺に荷物はない。ヴィシュと縁を切った俺が送り届けてもらえるものもない。
ただ、俺だけが部屋を移動すればいいだけだ。
なので普通に歩いて寮と呼ばれる場所に向かう。囚人時代の見張りの騎士に連れられて歩く。
本音を言うならハンニが良かったけど、そんなわがままは言えないし、ハンニが住んでいるのは同じ寮でも家族部屋なので階が違うそうだ。
もう俺はこちらに寝返ったので見張る必要などないのでは? と言ってみたが、隣の部屋だし、魔王に案内するように命じられたからと返されてしまった。
魔王の命令なら従う必要があるだろう。なので俺も諦めた。
歩きながら自己紹介をしてくれる。彼はゴスタという名前だそうだ。
それにしても、そのゴスタさんが隣の部屋という事は、俺はやっぱりまだ信用されていないのだ。そりゃそうだな。寝返ったばっかりだもんな。
案内された部屋に入った。
ベッド、ソファー、書き物机、クローゼット、そして本棚が置かれた部屋だ。今までいた——最初にいたのは牢屋だったが——部屋と同じようにバスルームにつながる扉がある。あともうひとつの扉は給湯室かミニキッチンだろうか。
変な仕掛けがないかこっそり魔術で探ってみたが、なさそうなのでホッとする。
それにしても、本棚にもう既に一冊本が入っているのはどういう事だろう。
俺が不思議そうな顔をしていたからだろう。ゴスタさんが『どうした?』と聞いてきた。隠してもどうしようもないので素直に質問する。
「ああ、あれは魔術師長からの新入りへの贈り物だそうだ」
「ラヒカイネン……男爵からの、ですか」
この国で『魔術師長』といえば王宮魔術師長である彼しかいないが、一応確認しておく。
それにしても、相変わらず『侯爵』と言いそうになってしまう。ずっとラヒカイネン家は侯爵家だったから落ち着かない。
ここで生きていくのならば本当に気をつけないと。
「基本的に食堂はずっと空いているけど、昼食時間は十一時からだからな」
ゴスタさんはそれだけを言って仕事に戻っていった。ここまで案内してくれたお礼は言っておく。『命じられた仕事だからな』という返事が返ってきた。
とりあえずソファーに座ってみる。割と居心地のいい椅子だ。
それにしても、なんだか流されてしまったな、という感じだ。本当にこれで大丈夫なのだろうかと心配になる。
でも、昨日のあの言葉はとても魅力的だったし、別に悪いことはされなさそうだ。
今日はこれからどうしようと考える。今はやる事がない。そこで、ラヒカイネン男爵から贈られた本を読んでみようと思い立つ。
と、いうわけで本棚に行き、一冊しかない本を取り出した。かなり分厚い本だ。
タイトルを見る。ミュコス語で『魔術の基本』と書かれていた。
つまり一ヶ月以上魔力を使わずにいたために、腕が鈍ったのであろうから、初仕事前に復習しろと言われているのだ。贈り物というより、新しい弟子への最初の課題だ。
多分、初日にきちんと読んだか
それにしてもラヒカイネン男爵は俺が魔術大国のミュコスの言葉を読み書き出来ることをよく知っていたな。修行仲間の中でも読み書き出来る人はそこまでいなかった気がするのに。
ああ、それでも翻訳魔術は使えるか。どちらにせよ、読めるはずだ。
ヴィシュ語でも初級魔術書はあるけど、そりゃあこの国には置けないよな。敵国の言葉の本など魔王が気分を害する。
だったら別にアイハ語でもイシアル語でもいいとは思うのだけど。
ただ、見習いとはいえ王宮魔術師として働くのなら、これくらいのものは読んでおかなければならないのだ。あえてミュコス語のものが置いてあるのだ。それだけ良い教本なのだろう。
「王宮魔術師か……」
その言葉を口に乗せると小声でも恥ずかしい。
ヴィシュでの俺はそこまでの地位にはいなかった。だからかなり一足跳びに出世してしまった気がする。
俺にちゃんと務まるのだろうか。
でも、引き返せはしない。臣下の誓いはしてしまったし、今朝は制服を仕立てるために採寸をした。そうやって逃げられないようにされている。
とりあえず昼食までに少しは勉強しておきたい。いや、どんな内容なのか最初にざっと一通り見ておこうか。
俺は静かにソファーに戻り、本のページをめくった。
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